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研究関連の現状報告

2022.01.01
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​​​​​​​​
​​​​2021年といえば、数理研で行なわれた訪問滞在型研究​「宇宙際タイヒミューラー理論の拡がり」の中核的事業となった4件の研究集会やその関連業務を中心に、宇宙際タイヒミューラー理論や、関連する遠アーベル幾何学の普及活動に奔走した一年でした。特に、ズーム(+アクロバット+マイクロソフト・ホワイトボード)による講演を全部で13コマ(=上記研究集会4件+12月に開催された別の研究集会1件において)行ないました。また講演のビデオ閲覧のための登録と、数学的な対話を呼びかける​招待状​を国内外の200~300名の数学者に送り、数十名の数学者による閲覧登録の申請を受け付けました。一方、講演に関連した数々の質問をオンラインや集会のスラックのワークスペースで受け付けて、質問への対応にかなりの時間と気力を費やすことになりました。

そもそも2021年と言えば、3月に宇宙際タイヒミューラー理論の原論文4編が数学雑誌PRIMSの特別号に正式に出版され、また秋に、宇宙際タイヒミューラー理論の数値的に精密化された改良版​​[ExpEst]の、(東京工業大学が発行する)数学雑誌Kodai Mathematical Journalへの掲載が決定しました。これらの動きは国内の報道機関で取り上げられました。

なお、更なる興味深い応用に向けた、宇宙際タイヒミューラー理論の更なる改良版の執筆作業も始まっており、この更なる改良版の報告が(上記4件の集会のうちの一つである)​2021年9月の集会で行なわれました。

一方、2021年3月に公開し、それ以降も度々更新している原稿​[EssLgc]の(非専門家向けの)§1(=特に、§1.5, §1.8, §1.10)や​2020年1月のブログ記事で詳しく解説している通り、私の研究や私自身を巡っては、(特に)欧米では、過去9年以上にわたり、現代西洋文明、あるいはいわゆる「西洋的価値観」の最も中核的な基盤を成しているはずの様々な考え方

​議論の明示的かつ詳細な記録​
​基本的人権​
​法の支配​
​​・司法の適正かつ透明性が確保された形
 での手続きの保障​​
​​​​​​​・証明責任・説明責任

等の精神を根源的に蹂躙するような、実につまらない誤解に端を発した、極めて悪質な言動(=誹謗中傷・名誉棄損等)の嵐が吹き荒れており、残念ながら現在も、その勢いは衰える気配を見せておりません。

これまで見た(欧米の報道は疎か)日本の報道でも、この欧米のお粗末かつ遺憾極まりない実態を直視し、毅然とした姿勢で厳しく糾弾する論調の報道を私は未だに目にした記憶がありません。またこの状況は、報道機関には数学的内容について厳密に理解する能力が本質的に欠如していることと決して無関係ではないようにも思います。

しかし、一方で(ブログ記事でも)​[EssLgc]でも詳しく解説している通り、否定的な人たちの数学的主張が如何に荒唐無稽でお粗末・滅茶苦茶であるかは、(日本でいうと)修士課程の学生でも十分理解可能な数学的内容です。一般に、報道という職業においては、(別に数学でなくても)必然的に、政治・経済・法学・会計学等、様々な専門分野の高度な知識がないと適切な内容の記事が書けないことはそれほど珍しい事態ではないはずです。つまり、これら数学以外の専門分野の場合もそうですが、記者の方が、高度な数学的な専門知識が全くない方であっても、取材に際して、様々な数学的主張を展開する相手については、その相手の社会的地位等々よりも、

   相手の数学的主張を証明する議論が​​​​​​
   きちんとした厳密な形で書かれた文献
   ・記録(=論文のPDFファイル等)の
​​   存在特定(=例えば、URL等による)​​
​​
つまり、もう少し平たく言うと、

   相手の数学的主張の論理構造追跡を​​
   可能にする(文献・記録等の)明示的
   な物的証拠の確保相手自身の証明
   責任・説明責任(=「バーデン・オブ
   ・プルーフ、アカウンタビリティ」)
​​​​​​​​​
が如何に本質的に重要であるかは十分理解可能なはずです。しかし、これまで見た報道機関の取材ではそのような文献の存在や特定、あるいは主張が根拠としている数学的な議論の論理構造の

追跡可能性(=「トレーサビリティ」)や、
・肝心の相手の証明責任・説明責任
立証の手続きの透明性

への言及すら見たことがありません。

歴史的な観点から見ても、例えばいわゆる「フェルマ予想」がフェルマによって既に証明されていたかどうかという問題に関して、本質的に重要なことは(指摘するまでもなく!)フェルマという個人の社会的地位等々ではなく、そのような証明が詳しく明示的に記述された文献・記録の存在・非存在であることは、数学の専門知識が全くない記者の方でも十分理解可能なはずです。

宇宙際タイヒミューラー理論に対する批判的な主張の場合もそうですが、一般に、数学的主張が根拠としている数学的な議論の論理構造が詳細に記述された文献が明らかにされない状況が長期にわたって続くと、論理構造が永久的に謎のまま、迷宮入りを迎える虞が現実味を帯びてきます。そのような状況は数学界に多大かつ全く不必要な混乱をもたらすものであり、また(数学雑誌PRIMSの出版元である)EMS(=ヨーロッパ数学界)の​行動規範「COP」​に記された「著者の責任」の第6項目

 「数学者は、新しい定理を証明した、あるい
  は特定の数学的問題を解決したとする、公​​​​​
  の主張を行なった場合、主張を証明する
​​​​​  詳細な議論を、時宜に適った形で公表する
  義務を負っている」

の精神に対する、明確かつ重大な違反でもあります。

この文脈においてもう一つ重要な側面は、主張を展開する相手の態度であることも指摘しなければなりません。​2020年1月のブログ記事​や​[EssLgc]の§1でも指摘していることですが、理論について誤解されている内容は、適切な論理的な姿勢で向き合えば、(日本でいうと)修士課程レベルの、それほど難しくない数学的内容であり、時間の圧迫を感じることなく、半年~一年程度の期間にわたって議論を行なう機会さえあれば、理解することはそれほど困難なことではありません。実際、2021年の、当方にとって特筆すべき出来事の一つは、まさに長らく宇宙際タイヒミューラー理論について誤解に基く内容の主張を展開していた欧米の数学者の一人を相手に、​[EssLgc]の§3の内容を辛抱強く解説することによって、漸く相手に自分の主張が全くの誤解であったことを明示的に認めていただいたことです。相手の主張・思考の論理構造の細かい分析は双方にとって大変な時間と労力を要する作業となってしまいましたが、それでも

   常に友好的かつ建設的な空気の下で​​​​​​​​​
​   適切な論理的な議論を行なうことに​
   よって長らく続いた相手の誤解を
   決定的に氷解させることができた

ことは、2021年に起きた様々な出来事の中でも、当方にとっては珍しく希望を抱かせられる、とても貴重な経験となりました。

またこのような文脈においてもう一つよく聞かれることですが、

  宇宙際タイヒミューラー理論を巡る誤解
​  は計算機による、理論の正否確認によって​
  解消できるのではないか
​​​​
という質問ですが、幸か不幸かは別として、そういう性質の問題ではありません。​[EssLgc]の§3でも詳しく解説していることですが、理論の誤解されがちな側面を、基礎的論理演算子

   '∧'(=「AND」)・'∨'(=「OR」)

の列で記述すると、(上でも指摘した通り、)それほど複雑な論理構造ではありませんし、計算機を用いるまでもなく、簡単に正否を確認することができます。また仮に何等かのソフト・アルゴリズム等を計算機上で走らせて「確認できた」という報告があがったとしても、元々懐疑的な観察者からすれば、ソフト・アルゴリズム等による理論の正否確認の仕組み自体の正否確認に疑問が生じることになるだけで、議論が収束する可能性は極めて低いと考えざるを得ません。

つまり、何度も強調していることですが、理論を巡る誤解を克服する唯一の決定的手段は、

  適切な論理的な数学的議論を通して、理論​​​​
  に含まれる数学と向き合い​数学的に関与​
  する​
​​
ことです。本当はこれは別に宇宙際タイヒミューラー理論の特殊性の問題ではなく、どの数学にも言えることですが、上述のような意味での適切な数学的関与を拒否する限り、その数学を決定的な形で理解することはできません

最後に、このような文脈においてもう一つ、参考となりうる考え方ですが、数学の​「発展的復元可能性」​という考え方です。上でも述べた通り、ある数学的理論の正否やその理論に対するある当事者の理解度を確認する方法として、最も基本的かつ直接的な確認方法は当然、その数学的理論の論理構造の細部にわたる点検ということになります。一方で、やや間接的な視点となってしまいますが、その数学的理論が正しい(あるいは正しく理解されている)場合、

  その理論がもたらす、その後の応用等の​
  展開・発展によって理論の正しさ(あるい​
​  は理解度)を確認することができる​
​​​​​​​​​​​
というのが、「発展的復元可能性」という考え方です。つまり、言ってみれば、理論の正しさ(あるいは理解度)を、前述した直接的な論理構造の細部にわたる点検によって確認するのではなく、

    理論がもたらすその後の発展から
    その理論の正しさを「復元」する

という考え方です。因みに、この「復元」という考え方は、宇宙際タイヒミューラー理論遠アーベル幾何幾何学においても非常に中心的・中核的な考え方であり、その意味でも、宇宙際タイヒミューラー理論の文脈において、この「発展的復元可能性」に注目することは至って自然な流れであると言えます。宇宙際タイヒミューラー理論の場合の具体的な事例としては、上でも言及した宇宙際タイヒミューラー理論の、

・数値的に精密化された改良版​​[ExpEst]
・まだ執筆中の更なる改良版

が挙げられます。

一方で、それほど高級な数学でなくても、この「発展的復元可能性」という考え方は様々な事例に対して適用可能です。身近な例では、学生向けの試験等に登場する、数学の「応用問題」が挙げられますが、もう少し非日常的な事例では、地球外文明の探索古代文明の数学的理解度・成熟度の測定があります。特に古代文明における数学の場合、文明の数学的理解度・成熟度を「発展的復元可能性」の視点から示すものとしては、

古代バビロニアの(ピタゴラスの三つ組について
 書かれた)有名な粘土板文献「Plimpton 322」、​​​​​​​​​​​
​・エジプトのピラミッド、​
​・​ナスカの地上絵​、​
​・プマプンクの古代遺跡

等々、非常に興味深い事例が多数挙げられます。




​​​​​​​​






Last updated  2022.01.01 11:57:04


2020.01.05
記事の標題にあるテーマについて度々聞かれますので、この際、内容をきちんと整理して皆さんにお伝えしたいと思います。この内容は報告とも言えますが、広い意味での、一種の「内部告発」とも言えます。

まず強調しなければならないことは、理論に関わっている研究者の、約7年半に及ぶ大変な努力によって、理論の論理構造は細部まで徹底的に分析・議論され、何十回もの単独講演や何件もの大きな研究集会で詳細に解説され、また何名もの研究者により(いわゆる「サーベイ」という形で)解説原稿が出版され、特に理論の正しさは何十回、何百回と確認されており、この検証活動によって多数の軽微な記述上の不備等は発見され直ちに修正されているものの、理論の本質的な正しさに関わる問題点は一件も確認されていないということです。

未だにときどき、ネット等で、「理論の正しさはまだ確認されていない」といったような主旨の主張を目にすることがありますが、多数の研究者による、この7年半に及ぶ膨大な時間や労力による壮大な規模の検証活動の中身や重みを鑑みるに、これは甚だしい事実誤認としか言いようがありません。

理論の検証や更なる発展に関わった研究者の中には、様々な国籍、所属大学、年齢、職位等の方が含まれていますが、特に講師(相当)以上の研究者の場合、それなりの研究実績を有していて、数学雑誌の論文の査読を何十件も担当した経験のある方も何名も含まれています。これらの事実だけから考えても、IUTeichの論文が未だに正式に出版されていないことは大変不思議で不自然・不可解・不条理なことであり、実際、多くの理論の関係者はまさにそのような認識でおり、またそのような趣旨の発言を度々口にしています。

​では、実際の論文の査読状況はどうなっているのでしょうか。まず、2012年8月、IUTeichの連続論文4編を某数学雑誌に投稿し、それ以降、査読報告書は一回(=2016年5月=ちょうど論文の投稿から3年8ヶ月程経過した時点)しか受け取っていません。その査読報告書(英語・約5頁)は(公開するつもりはありませんが)IUTeichの連続論文を絶賛した上で、「論文の出版を非常に強く薦める」内容となっています。20件程の誤植等、それまで私や他の関係者が見逃した軽微なミスも指摘されていましたが、それらの指摘には直ぐに対応しました。また、2017年9月に雑誌から論文の完成版(=つまり、ニュアンスとしては、「本番の出版用の最終版」)の提出を求める連絡があり、その後暫くして論文の完成版を提出しました。一方、2016年5月以降、雑誌からは査読報告書のような正式の文書は一件も送られてきません。​2019.01.02​の記事でも強調した通り、歴史的な観点から言っても、

     明示的な記録を残すことは
     非常に本質的に重要なこと

です。数学雑誌による論文の審査の場合、査読報告書は審査の実態(=論文がただ放置されているだけだという状態とどこが違うか等)を確認する上において、殆ど唯一と言ってよい「明示的な記録」ということになります。

私は、これまで約30年間にわたり、著者、査読者、編集委員、編集委員長等、様々な立場、また様々な雑誌での論文の査読に関与した経験がありますが、このように「論文の出版を非常に強く薦める」極めて肯定的な内容の査読報告書が著者に送られ、その後、3年8ヶ月もの間、何の説明等もなく、論文が事実上放置される(のと、著者からすれば区別が付かない)状況に置かれる、といったような事例に遭遇したことがありません。むしろ、以前、編集委員長の立場で、「論文の出版を強く薦める」趣旨の査読報告書を受け取った後、論文が約1年間、事実上放置された状況に対して、それなりの業績のある海外の教授の方からの「怒りの抗議」の手紙(=雑誌の運営状況を厳しく批判する主旨の内容)への対応に追われた経験すらあります。(その場合、論文を担当していた編集委員や査読者との交渉により、数週間で問題を円満に解決することができましたが。)
では、どのような理由によって論文が事実上放置される状況が発生しているのでしょうか。もしも実質的な数学的な問題があるのであれば、その問題を詳細に記述した査読報告書を著者に送るのは通常の数学雑誌の手続きになります。もちろん査読報告書を用意するのに多少の時間は必要になりますが、以前から審査に掛かっている論文であるにも関わらず、査読報告書(=多くの場合は、1~2頁程度、長くても通常は5頁を超えない)を用意するのに3年8ヶ月もの年月が必要であるというのは通常の雑誌の運営状況からして如何にも正当化が困難な話になります。実際、2016年5月の5頁の査読報告書は、論文の投稿から(偶々ですが)ちょうど3年8ヶ月後に私の手元に届きました。これまでの私の経験では、論文の投稿後、想定外に長い(例えば、5年超等)時間が経過している場合、「申し訳ない。後、~ヶ月で査読報告書が出来上がる予定なので、もうしばらくお待ち下さい。」といったような主旨の連絡が雑誌側の関係者から届きますが、IUTeichの論文の場合、雑誌の関係者とこのような話題をしても、数学的な問題、あるいは査読報告書等への言及は一切ありません。

そうすると、IUTeichの論文の査読を巡っては一体何が起きているのでしょうか。海外ではIUTeichについては、数学的には全く出鱈目な内容の指摘による様々な深刻な誤解が発生していて、この誤解については後程詳しく説明したいと思いますが、この手の誤解に対しては雑誌は如何にも不思議で、「学問の健全な発展」という、学問の世界において本来最も優先されるべき観点から言えば、極めて非建設的な立場を取っています。具体的には、雑誌の関係者はこれらの誤解の背後にある数学的に出鱈目な内容については、その数学的な出鱈目さを、査読報告書のような公式の文書という形で確認しない姿勢を取りながらも、実際には(その全体的な態度、物言い等から判断するに)十分に理解し、認識していることは間違いありません。しかしその一方で、誤解の数学的に出鱈目な内容に端を発した、海外の数学界のとある勢力による、私の研究に対する「激しい敵意」については、恐れを成してしまっている(=平たくいうと、「ビビってしまっている」)のでしょうか、毅然とした姿勢を取ることを完全に拒み、事実上、論文を放置し「機能不全もしくは機能停止」のような、如何にも残念(=情けない?)状態に陥っているように見受けられます。具体的には、「何も言えない・何も分からない・何もできない」といったような趣旨の発言をただ連発するだけで、論文を巡っては何がどうかなっているのか、誰にもさっぱり分からない

   底なしの「ブラックホール状態」を
  常態化させ、意味不明な「玉虫色天国」
   をただひたすらに永久的に維持・運営

しようとしているようにしか見受けられません。「中立的」な「玉虫色」の状態を維持することこそ、最も究極的に潔い姿勢である、と言わんばかりの方針で動いている雑誌や大学行政の関係者が相当数いるように見受けられますが、数学の場合、むしろ曖昧な状態を排して

​   なるべく効率よく白黒を付けること
   は数学の精神の基本中の基本であり、
社会的な勢力図に配慮した形の玉虫色の「中立論」は数学の研究には本質的に馴染まないものであります。なお、先ほど言及した誤解の場合、本記事の後半で詳しく解説している通り、効率よく白黒を付けることはそれほど技術的に困難なことではありません。

更にもう一つの重要な側面を指摘しますと、上述のような曖昧な状態を(10年に迫る)長期にわたって「運営」していくことは、様々な場面において学問の健全な発展を根本的に阻害するものであり、私だけでなく、他の関係者、特に周辺の若手研究者の人生(=具体的には、就職や論文の出版等)に重大な影を落とす事態であり、学問の本来あるべき姿には程遠いものであると言わざるを得ません。

ただし、ここで一つ注意しなければならない点ですが、この(本来優先されるべき「学問の健全な発展」という観点からして)余りにも奇妙で非建設的な「ブラックホール状態」の糸を引いている「黒幕」の正体については私は全く情報を持っておりません。つまり、「ブラックホール状態」の発生が、雑誌の関係者の独自の判断によるものなのか、海外の有力者の(何等かの人脈を介した)直接的な圧力によるものなのか、海外の「激しい敵意」に対して文科省官僚や大学の行政関係者が「忖度」をして雑誌に掛けた圧力によるものなのか、無数の可能性が頭が浮かびますが、現時点ではその発生の仕組みの解明には至っておりません。別の言い方をすれば、本記事の冒頭で「一種の内部告発」という表現を用いましたが、その広い意味での告発の対象は「海外の数学界のとある勢力による無意味な数学的な誤解」ということになりますが、より直接的・具体的な意味での告発の対象である「非建設的なブラックホールを発生させている黒幕」の正体は不詳のままであるということになります。

ここまでの話を要約すると、IUTeichの論文を巡っては、本来の数学雑誌による査読・審査のあるべき姿、つまり、学問の健全な発展を最優先に、細かい数学的な内容について査読報告書とそれに対する著者からの返答のやりとりを通して論文の数学的内容の検証を進めるという状態から著しく乖離した奇妙で非建設的な「ブラックホール状態」が長年にわたって続いているということです。

では、この異常な状態を解消し、論文の査読・審査を、

   技術的な数学的な内容のやりとりを
        主体とする

本来の姿に戻すにはどうしたらよいのでしょうか。まず、どの数学論文にも言えることですが、その論文の内容を本格的に技術的に理解し、査読・審査に関わる技術的な資格のある研究者は世界的に見てもかなり限られていて、論文のテーマによっては世界的に見ても数人程しか存在しないといったような場合もそれほど珍しくありません。幸か不幸かは別として、これが現代数学の実態です。論文の内容をきちんと理解する技術的な資格のない研究者に査読を依頼しても、意味のある内容の査読が行なわれないことになるだけです。

IUTeichの場合、「年頭所感 2020」でも言及した通り、関係者の大変な努力によって何名(=その人数は10名に迫る勢いである)もの理論の「習熟者」をこれまで育成することができました。そのような、査読に適任な「習熟者」に査読を依頼すれば、論文の査読は正常な形で実施することが可能であり、かつそれほど時間を要しないはずです。実際、2016年5月に受け取った査読報告書の場合、その書き方(=詳細な技術的な指摘等)からは明らかですが、立派に適任な研究者によって執筆されたものです。

では、何で(論文の学問的内容に対する習熟度からして)適任な研究者による、通常の「正常な形での査読」(=例えば論文の投稿から2016年~2017年頃までの状態)ではだめなのでしょうか。上でも指摘した通り、非建設的な「ブラックホール状態」発生の仕組みや、発生させた「黒幕」の正体については私は何も分かりませんが、何等かの(=場合によっては複雑で「忖度」等を介した間接的な)仕組みによって海外の数学界のとある勢力を「震源地」とする妨害活動によって発生している事態と思われます。その海外の数学界のとある勢力は、(長年にわたるネット上の書き込み・誹謗中傷等からは明らかですが)私や私の研究に対して極めて激しい敵意を持っている人たちです。その激しい敵意の原因については、謎の部分が多く、純然たる感情論や様々な社会的・文化的・政治的背景、といったような非数学的な要因も少なからずあるという印象を強く受けておりますが、一方で、(これまで何度も言及していてかつ以下で詳しく解説する予定の)とある数学的な誤解も大きな要因ではないかと考えています。

誤解そのものの解説に入る前に、一つ注意しておきたい点ですが、理論の正しさを検証する活動と、(他者による)理論に対する誤解を発見し処理する活動は根本的に「業務内容」が違うということです。前者の方は、上でも説明した通り、7年半前から多くの関係者によって精力的に行なわれていて、理論の正しさは既に何十回、何百回と確認されていて、これ以上行なおうとしても、理論の検証すべき箇所が見当たらず空転するのみである、つまり、別の言い方をすれば、既に(というよりだいぶ前から)「飽和状態」にあるということです。一方、「誤解学」と呼んでいる後者の方の活動ですが、

  相手の誤解という肝心な「入力データ」
     =「誤解学の研究対象」
がないと始まらない活動になります。

簡単な喩えになりますが、例えば、黒板に「2+2=4」という式を書いた人物「ヨンさん」がいたとします。その式を遠くから一瞬だけ覗いてみて、式を「2+2=9」という式と誤認した人物「キューさん」がいたとします。キューさんは、ヨンさんが「2+2=9」という式を主張しているという認識から、ヨンさんを、とんでもない間違った式を書いた人物として激しく誹謗中傷するかもしれません。しかし、誹謗中傷だけですと、ヨンさんは対応のしようがありません。つまり、「2+2=4」という式の数学的正しさを何度確認しても、キューさんの誹謗中傷に対しては意味のある対応には全くなりません。ヨンさんが意味のある対応を取るには、キューさんが「2+2=4」という式を

   「2+2=9」という式と誤認している
    のであるという、肝心な入力データ

がないと意味のある対応は取れません。そのような肝心な入力データをヨンさんが入手して初めて意味のある形で「誤解学的な研究」に着手し、誤解の内容の適切な分析によって意味のある形での、キューさんの誤解の「決定的な処理」に当たることができます。ただし、数学的な内容からして適切な誤解学的分析が完成しても、ヨンさんとキューさんを巡る社会的な状況が、回復が困難になる程こじれてしまうと、学問的内容=誤解学的研究の分析結果だけ提示してもどうにもならない場合があります。

IUTeichの場合、2017年末辺りまでは、私や私の研究に対する、海外の数学界のとある勢力によるネット上の激しい誹謗中傷の存在は認識していましたが、その背後にある数学的な内容(=「2+2=9」に対応する肝心な入力データ!)は全くの謎でした。今でも、その「肝心な入力データ」については完璧に把握できているかどうか分かり兼ねるところがありますが、少なくとも2018年の様々な動きによって、初めて「肝心な入力データ」を入手することができました。その「肝心な入力データ」を元に、個別の誤解について分析し、その誤解を決定的に処理するための解説(=誤解の主張のどこがどういうふうに間違っているかという詳細な説明)を2018年に行ないました。

一方で、2019年の夏頃までは個別の誤解への対応が済んでいても、それらの誤解の発生の仕組みはまだ謎のままでした。2019年の夏頃になって誤解学上の大きな決定的な進展として、

​   数々の個別の誤解=「症状」を発生
   する大元の「ウィルス・病原菌」の
        ような誤解
を特定することができました。この「大元誤解の特定」は私のこれまでの誤解学の研究の中でも非常に決定的な、大きな進歩になりました。

さて、以下では、この大元誤解の内容について詳しく解説してみたいと思います。より詳細な技術的な説明は私が書いたIUTeichの解説原稿​​[Alien]​ §3.11 (iv) に書いてあります。特に、​​[Alien]​​のExample 3.11.4は事実上、高校数学程度の知識でも理解可能な形で書かれていますので、関心のある読者の方には一読をお勧めしたいと思います。以下の説明は、まさにこの​[Alien]​のExample 3.11.4の内容の、ブログ読者向け解説ということになります。

一言で言ってしまいますと、「大元誤解」の本質は、よく知られている論理演算子

   「∧」(=「AND」=「かつ」)と 
   「∨」(=「OR」=「または」)

の混乱によるものです。これらの論理演算子の意味を簡単に復習しますと、二つの命題「P」と「Q」がありますと、

        「P ∧ Q」

は命題「P」と「Q」の両方が同時に成立していることを意味するのに対し、

        「P ∨ Q」

は命題「P」と「Q」の、少なくともどちらか一方が成立しているけど、両方同時に成立しているかどうかについては言及しない(=特に、両方同時に成立していることは言えない可能性もある)ことを意味します。一般に、「P ∧ Q」より「P ∨ Q」は直ちに従いますが、逆、つまり、「P ∨ Q」より「P ∧ Q」が従うとは限りません。別の言い方をしますと、「P ∧ Q」は(相対的には)かなり強い主張をしていることになるのに対し、「P ∨ Q」の方は(相対的には)やや弱い主張をしていることになります。具体的な例は無数にありますが、例えば、ある人物「X」について

   「Xの誕生日は1月1日」∧
        「Xの誕生日は2月2日」

という主張は、かなり強い、矛盾めいた(=「びっくり!」な)内容の主張になりますが、一方で、

   「Xの誕生日は1月1日」∨
        「Xの誕生日は2月2日」

は全く驚きや不思議さのない、淡々とした調子の内容の主張になります。またもう一つの注目すべき点として、もし「Y」という、「X」とは別の人物がいたとすると、

   「Xの誕生日は1月1日」∧
        「Yの誕生日は2月2日」

という主張は、「∧」が出てくるような形をしていても、矛盾めいた驚きのある内容が一切含まれていない主張になります。

さて、IUTeichに対する「大元誤解」の話に戻りましょう。まず、議論の中心的な対象となる4つの整数

        A, B, ε, N

の記号を用意しておきます。これらの整数について、次のような不等式が成立していると仮定します:

      A>0, B>0, 3>ε≧0 .

IUTeichでは、以前のブログ記事(=​2017.01.06​, ​2017.05.06​, ​2017.11.14​付けの記事を参照)でも解説した通り、「Θ(テータ)リンク」という数学的対象は中心的な役割を果たします。実際のΘリンクの定義は非常に高度な数学の知識を必要とするものですが、ここでは上述の「大元誤解」の本質的な論理構造を解説するため、先ほどの4つの整数しか出てこない、高校数学レベルの議論で説明することにしたいと思います。そのようにしますと、Θリンクの定義に対応するものは

       
 (N=-2B) ∧ (N=-A)

という式になります。理論では、Θリンクから出発して様々な操作を行ない、(Θパイロットと呼ばれる数学的対象の)「マルチラディアル表示」というものを構成します。その「マルチラディアル表示」に対応する内容をこちらの議論の整数で表現しますと、

       (N=-2A+ε) ∧ (N=-A)

という式になります。つまり、「ε」という、比較的小さい「誤差」を認めてあげますと、本来一致するかどうか分からない整数 A と B を、まるで一致するものかのように扱うことができるということです。この「マルチラディアル表示」の内容を書き下してみると、まさに同一の整数 A に対して、論理演算子「∧」が成立していることによって、

    -2A+ε=-A, つまり、A=ε< 3

という式変形が可能になり、この議論の最終的な結論となる「A<3」という不等式が簡単に、形式的に従ってしまいます。

​先ほどの議論で注目したいことは、

       論理演算子「∧」が
      果たした本質的な役割

です。元々のΘリンクの定義における「∧」は、一致するとは限らない整数 A と B を用いたからこそ、整合性(=「無矛盾性」)をもって定義することができました。これは先ほどの「Xの誕生日...」∧「Yの誕生日...」と全く同じ現象です。元々のΘリンクの定義が「∧」によるものであるこそ、その肝心な「∧」性を壊さないような操作によって行なわれる「マルチラディアル表示」の構成は「∧」性を引き継ぐことになります。また「マルチラディアル表示」において「∧」性が成立しているからこそ、議論の最終的な結論となる「A<3」という不等式が簡単に、形式的に従ってしまうのです。

​一方で、(ここから先が、先ほどの喩えの「2+2=9」に対応する「大元誤解」の内容になりますが)例えば、元々のΘリンクが、何かの理由によって

      (N=-2B) ∨ (N=-A)

として認識(=誤認!)されたとします。すると、まず、整数 A と B が、一致するとは限らないものであることを仮定することには全く意味がない、つまり、最初から「A=B」ということにしても、整合性(=「無矛盾性」)の問題は全く発生しないのではないかと考えてしまいます。これは先ほどの「Xの誕生日...」∨「Xの誕生日...」と全く同じ現象です。しかし、最初から「A=B」ということにして、Θリンクの定義も

         
(N=-2A) ∨ (N=-A)

ということにすると、「マルチラディアル表示」に移行する際、(「∧」ではなく!!)「∨」を引き継ぐことになり、つまり、

      (N=-2A+ε) ∨ (N=-A)

という恰好の「∨版マルチラディアル表示」しか従わないことになってしまいます。このように考えると、実際の「マルチラディアル表示」に登場する、肝心な「∧」性を壊さないための数々の丁寧な細かい操作は全く無意味なもののように見えてしまいます。その上、最初から「A=B」ということにしてもよい状況の下で議論しているからこそ、そもそも「∨版マルチラディアル表示」(=「ε」という誤差を認めることによって本来一致するかどうか分からない整数 A と B をまるで一致するものかのように扱うことを可能にする表示)は全く無意味なものであるようにしか見えません。一方で、このように、「∨」、「∨」、「∨」で議論していると、議論の最終的な結論となる「A<3」という不等式を発生する式

        -2A+ε=-A

は、まるでΘリンクや「マルチラディアル表示」の「∨版」に登場する

   「∨」が、とんでもない「詐欺的な
   論法」によって「∧」に勝手にすり
   替えられたことによって導かれた

ようにしか見えません。ここでは、高級な数学的対象を用いる代わりに高校数学レベルの整数を扱う式を使って解説しましたが、上述の議論のように、本来のIUTeichの

​​    論理構造の根幹を成している
     「∧」、「∧」、「∧」が、
     「∨」、「∨」、「∨」と
​    誤認されてしまった​ことが、
​​
(=上述の「大元誤解」)この7年半程続いたIUTeichを巡る(海外の数学界を震源地とする)大きな混乱(=つまり、理論がとんでもない「詐欺的な論法」の上に成り立っているとの誤解等)の真相であると考えています。

当たり前ですが、もちろん、海外の(理論を理解していない)数学者が理論を批判する際、

   『自分たちは「∧」を「∨」と誤認
    しているため、数々の数学的に
    出鱈目な主張をしていますよ!』

ということを、ご丁寧に伝達してくれるのではなく、ただ凄い勢いで数学的に出鱈目な主張を並べていくだけなので、個々の個別の誤解(=正しくない数学的な主張)を発生している「大元誤解」を特定するという、誤解学的な分析には1年半程の時間を要しました。

では、そもそも何で「∧」は「∨」と誤認されてしまったのでしょうか。IUTeichの連続論文では、「P ∧ Q」のような形の内容の「∧」性に対応する部分は、

  「PとQを同時的に」、「Qを固定
   した上でPを」、あるいは「Pと
   Qを、その共通部分に沿って貼り
   合わせる」

といったような表現で記述していますが、これらの表現はどう考えても、通常の数学的な(「デフォルト」の)解釈ですと、「∧」という捉え方しかあり得ないと思います。実際、これまで交流してきた「理論の習熟者」の多く(=特に、日本語で口頭で議論した研究者たち)はこれらの表現を問題なく最初から「∧」の意味で捉えています。また、この「大元誤解」(=つまり、「∧」は「∨」と誤認されてしまっている)の話を聞かされたとき、多数の関係者によるIUTeichの解説において様々な形で「∧」性が昔(=10年程前)から表現され強調されているにも関わらず、このような根本的な誤解がここまでおおごとになることに呆れ不思議がる習熟者も少なくありません。

では、上のような「∧」性の記述に用いた表現は何で多くの(特に海外の)研究者によって誤解されたのでしょうか。これまで接してきた、誤解した人たちの数々の発言から推測するしかないですが、そのような人たちがよく強調しがちなことは、

  「理論が複雑過ぎるから、思い切って
   簡略化したい」

あるいは

  「理論を以前からよく知っている枠組
   ・考え方で捉えられるはずだから、
   そのように捉えることにしたい」

といったような考えです。そのような考えに則った思考回路の持ち主ですと、

  「とりあえず、馴染み深い枠組・考え
   方に沿った理論として捉えられるよう
   に、A=Bということにしてしまっても
   特に問題はないだろう」

(記号は先ほどの高校数学レベルの議論の記号)という、数学的な根拠が全くない主張=一種の「希望的観測」が先行して、その希望的観測を正当化するためのものとして

  『理論の細かいことは面倒くさいし、
   余り読んでいないけど、どうせ要は、
   「∨」、「∨」、「∨」と来て、最後
   の不等式を導くところで「詐欺的な
   論法」で「∨」を勝手に「∧」にすり
   替えているだけだろう』

といったような感覚が、ほぼ無意識・無自覚のうちに後から付随してくるのです。

ただし、この文脈においてもう一つ強調したいことは、数学の研究者の議論において上で解説したような「∧・∨」の誤解は(幸か不幸かは別として)まさに日常茶飯事といって差し支えありません。通常の状況ですと、正常な、建設的な空気の下で議論が行なわれ、このような誤解は効率よく分析・整理され、多くの場合、(年単位の時間どころか!)数分のうちに処理できてしまうのです。実際、IUTeichにおけるこの「∧・∨」の誤解も、これまで(国内外の)研究者との議論において、まさしく数分~長くて数週間のうちに、非常に効率よく処理することに私は何度も成功しております。

最後に、本記事の内容を簡単に総括したいと思いますが、総括するに当たって

​   「恐れるべきものは恐れ自体のみ」
という有名な格言が頭に浮かびます。例えば、五百年や千年後の知識人から見て、IUTeichを巡る大きな世界的な混乱は歴史の一幕としてどのように総括されるのだろう、ときどき考えることがあります(このような考え方は​2019.01.02​付けの記事にも登場します)。そのような歴史的な視点に立って状況を俯瞰すると、まず、純粋に数学的な内容の面では、先ほど詳しく解説した

       「∧・∨」の誤解

こそが混乱の本質的な原因であることが言えるかと思います。しかし、先ほど指摘した通り、数学の研究者の議論においてこのような誤解はまさに日常茶飯事であることも紛れもない事実であり、正常な、建設的な議論が行なえるような空気さえ確保されていれば、このような誤解は数分~長くて数週間のうちに非常に効率よく処理できてしまうのです。つまり、本記事の標題の「ブラックホール」の話に戻りますと、本来なら

  淡々とした技術的な数学的な議論を主体

としているはずの、論文の審査や数学の研究者の議論の場ですが、

  ・正常な、建設的な数学的な議論を
   行なっている研究者をトンデモ系
   の「狂った異端者」として描き、

その上、

  ・威圧的な政治的な空気や恐怖を撒き
   散らし、また場合によってはネット
   上の誹謗中傷で威圧的な空気や恐怖
   を拡散させ、

更に、

  ・その恐怖の文化という虚構に対して
   「忖度」や萎縮の塊と化して跪き、
   機能不全・機能停止に陥ってしまう
   関係者を究極的に潔い人格者として
   持ち上げる

といった要素・「症状」からなる文化的風潮こそが、論文の審査や数学の研究者の議論を機能不全・機能停止に追い込んでいる「真犯人」=IUTeichを巡る世界的な混乱の本質・真相と言い切ってよいのではないでしょうか。






Last updated  2020.01.09 23:23:00

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