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2011/09/17(土)08:45

アナタハ、ガイコクゴガ、ハナセマスカ?~日々雑感 2011/09/17(土)号~

唐突だが、このブログは一週間ほど休載する。9月18日夕刻には日本を旅立つので、場合によっては明日は更新できないかもしれない。ただ、次から次へと書きたい内容が沸いてくる中で、帰国後すぐにまたブログを更新すると思う。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 外国語が話せる人というのを見て、皆様はどう思われるだろうか?当ブログでは、資格試験の話だとか、仕事の進め方の話だとか、「社会人としてのスキル」という話題に精力的に取り組んでいるつもりだが、外国語がペラペラに話せるという意味について考えてみたい。当職は事情があって、これから一週間ほど海外に出かけるが、いつも感じるのは欧米人の英語力の高さである。 新聞やテレビといったマスゴミあたりが「日本は中学・高校・大学と10年間も英語教育を行っているのに、日本の社会人は全く英語が話せない。これは日本の英語教育が誤っているからだ!」といった主張を展開しているのを目にするが、誤っているのは日本の英語教育ではなく、この手の見解の方だ。実は、欧米人の英語力が高いのは当たり前なのだ。英語は「インド・ヨーロッパ語族」の「ゲルマン諸語」に属している言語であり、主述の関係や人称代名詞、冠詞や時制といった文法の骨格面で、ドイツ語やオランダ語と極めて近い関係にある。また、語彙についても、ラテン語やギリシャ語由来のものを、欧州人は共有している。このため、例えばフランス語を母語とする人が、自分の話すフランス語に対応する英語の語彙や発音を習得した上で、フランス語と英語の語順等の違いを抑えておけば、極めて簡単に英語が話せるようになるのだ。しかし、残念ながら日本語と英語では、語彙も異なれば語順も違う。発音から文字体系から文化に至るまで、完璧に異なった言語なのだ。英語をペラペラに話せるようになるために必要となる努力は、ドイツ語を母語とする人が「1」だと仮定すれば、フランス語を母語とする人は「2」、日本語を母語とする人は「10000」くらいの努力が必要だろう(※当職の主観)。なにせ、発音も異なれば語彙も文法も思考回路も文章の作成ルールも、全てが完璧に異なっている点には注意が必要だ。 当職自身はご他聞に漏れず、英語が話せないし、聞き取りも殆ど出来ない。しかし、実は英語を使って仕事をしている。それは、当職の場合は文章の読解に力点を置いているからだ。苦手な英会話では、通訳を雇えばそれで済む。むしろ、生半可な英語力で聞きかじろうとする方が誤っているのだが、その一方でバーゼル銀行監督委員会等が公表する最新の基準の原文は、英語で読み取るようにしている。 ただ、日本の場合は、日本国内で高等教育を受ける際に、英語がわからなければ教育を受ける機会すら保証されない、という状況ではないのだ。医学にせよ、経済学にせよ、法律にせよ、高度な(そして最先端の)知識や研究成果は、殆どの概念が日本語で学べるのだ。稀に当職の専門としている分野のように、日本語訳が遅れて出てくる場合もあるので、それらに限定して言えば英語を読めれば済む話である。そして、我々は先祖代々、日本語を使ってきているわけだから、母国語で高等な思考が楽しめるというのは、極めて恵まれた状況であると考えるべきだろう(なお、これが某隣国などでは、自国語で高等な思考ができないという)。  

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