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カテゴリ:他の人が経験しないようなこと
三菱重工広島があったから広島に原爆が落ちた。 三菱重工広島は東洋一の造船所と造機工場を目指して作られた。当然アメリカはそのことを知っていたであろうから、広島を原爆投下の第一目標にした。 第二の原爆投下地は長崎であるから原爆原爆投下目標地が三菱重工であることは間違いない。長崎は三菱重工発祥の地でもあり、三菱城下町である。長崎と言う名前でなければ三菱市と名前が変わってもおかしくないほど三菱重工が支配する町である。この二つの町に原爆が落とされたのであるから、間違いなく原爆投下の原因は三菱重工にある。三菱重工はアメリカが恐れたゼロ戦を開発もしている。アメリカがもっとも潰しておきたかった会社は三菱重工である。日本は三菱重工があったために2発の原子爆弾にさらされた。広島市も長崎市も三菱重工が従業員を多く雇用しているために公には責任を追及できないでいる。しかし、日本が原爆の被害にあった第一の責任が三菱重工にあることは原爆資料館にも展示するべきであろう。そして三菱重工は地元に対してその謝罪をこめて貢献し続けなくてはならない。三菱重工は広島と長崎の将来にわたり経済を支え続ける義務がある。三菱重工の屋台骨が揺らごうとも広島からの撤退は許されない。原爆の日には必ず三菱重工の責任を明示し、その責任の大きさを確認する必要がある。 実に原爆投下時刻の8時15分は三菱重工広島の始業時刻でもある。まさに原爆は三菱重工広島に目標を決めて落とされた。減税はフレックスタイム制度により以前ほど8時15分の意味がなくなったが、三菱重工広島では現業部門の始業は8時15分であり続けているはずである。この忌まわしい歴史は三菱重工が続く限り続くのである。 来年の原爆記念日からはこのことを公表し、三菱重工に対して永遠の反省を促すべきではないだろうか。三菱重工は常に問題を起こし続ける企業である。毎年原爆の日に日本全国に向けて三菱重工があったから広島が原爆の犠牲地に選ばれたことを公表し、三菱重工に反省を促す一日とするべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.15 00:05:09
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