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  徒"然草 ~づれづれなるままに~  by 整体処 明響庵(めいきょうあん)

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なまはげ侍

なまはげ侍

2016.12.20
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久しぶりに、某空手道場へ顔を出した。

しばらく、自分の武道研究の都合、足が遠のいていたのだが、ちょっと用事があって、ついでに稽古に参加した。

 

稽古内容はともかく、稽古後数人の会員と話をした。

その中で気になったのが、目を合わせるのが苦手、という発言だ。

相手の目を見ていられないという。

思春期の子供の発言ならいざ知らず、だ。

 

 

目は心の窓、というが、相手の目を見ることで、様々な相手の情報を感じとることができる。もちろん、それが必ずしも認識されるわけではないが、直感、自分の反応と結びついてくるのだ。

 

例えば、武道的な内容で言えば、相手が本当に危害を加えるつもりなのか、否か、いつ攻撃してくるのか、などを予見することができる。

突いたり、蹴ったり、という運動以前に、相手の目をまっすぐ見る、ということが至極大事なのだ。

 

また、アイ・コンタクト、という実際が表すように、目は受信機能だけでなく、同時に発信機能も兼ね備えている。

武道的なところでは、相手をまっすぐ見据えることで、相手の動きを止めておくこともできるのだ。

 

時代劇で、構えた二人が向き合って、微塵も動かない、というシーンがあるが、あれは嘘ではない。また、ヘビににらまれたカエル、ではないが、動物どうしが向き合って動かないシーンを目にしたことがあるかもしれない。あれもまた、同じで、身体はほとんど動いていなくとも、二者の間には濃密なやり取りがあるのだ。

 

武道と言うと、やや殺伐としたイメージや例が湧いてしまうのだが、反対に、目を合わすことで、温かい関係が築かれる、ということもある。

 

例えば、赤ちゃんや、幼児は、まっすぐに相手の目を見る。彼らの視線に思わず、抱きあげてしまったり、情動を動かされた経験はないだろうか。

 

 

というわけで、目を見る、目を合わせる、というのは、本当の意味で相手とつながる重要なファクターだ。世に、つながる、という言葉はあふれているが、現実をシビアに見つめていくと、実際はつながっていない、つながっていると錯覚しているだけ、ということが大人同士の場合、極めて多い。だから、どこかで孤独感が育ち、それを反映したような病気が巷に溢れている。孤独感を誤魔化すエンターテイメントやサービスも発達している。しかし、どんなに誤魔化したところで、その孤独感を自分で作りだしていることに気付かぬ限り、決してそこから抜け出すことはできぬだろう。

 

 

最初の方に、思春期の子どもならいざ知らず、と書いたが、思春期は自意識の急成長とともに実際とのバランスが崩れる代表的な時期だ。そう、自意識と実際とギャップが、相手をまっすぐ見る、ということをできなくしているのである。だから、赤子や幼児は、自意識のもとになる先入観が少なく、まだまっすぐ見ることができる(注:ここで言う、まっすぐ見る、は方向だけの話ではなく、相手との間に何もはさまず、そのままに、という意味だ)。大人で相手をまっすぐ見ることができない、というのはおおむね自意識過剰、という言葉で表すことができるのだ。

 

 

偉そうにここまで書き綴っているが、何を隠そう、私とて、相手の目を見続けるなど、とても無理、という方だった。訓練によって、克服しつつある(まっすぐ見る、その程度は無限の深さを匂わせ、完全はないだろう)が、今でも自意識過剰は自認するところである。日々、これを戒め、生きている。

 

最近、某コンビニで、まっすぐな眼差しを向けて、接客してくれる人と出会った。目すら合わさずに接客する店員もいる中で、その存在は極めて異例であり、際立っていた。たたずまいが美しく、接客姿勢も当然極めて気持ちがいい。情動が動かされ、元氣が湧くのを感じる。もっと、その人を知りたい、という好奇心、関わりたい、という欲求が湧いてくる。これもまた、目を合わせたところから始まる反応だろうか。

そのような人と出会うと、自分の未熟を恥じるとともに、励みをいただく。享受するだけでなく、相手にもそういう反応を起こせる眼差しを、自分を磨きたい。一方通行では、やはり一抹の寂しさが残る。相手の笑顔が更に輝く自分に磨きあげたいのである。






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Last updated  2016.12.20 10:19:19
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