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カテゴリ:医、健康、からだ
明響庵の看板横に設置された黒板。
イベント告知の他、時々メッセージも発信している。
先日のメッセージは「身体は治るようにできている」。
私にとっては至極当たり前のことだが、案外認識できない人も現代では多いようだ。 病院が始終混んでいる、という現状がそれを示唆する。
最も、体調不良が続いている人には、先のメッセージに疑問をおぼえることも当然と言える。
じゃあ、なぜ、私はずっと調子が悪いのか?と。
自分に対して、そのような問いを持つことは、回復への極めて重要な一歩である。少なくとも、盲目的に病院へ駆け込んで、クスリで自身を誤魔化すことに比べると、偉大な一歩ではないか。
ところで、「治る」という言葉は、ごくごく身近に使われているが、それが表す内容のレベルは一律ではない。
比較的多いのは、症状を目安にしており、症状がとりあえず消えた時点で、治った、とするものだ。
さて、そうすると、治る、ということを考える上で、症状、についても考えなくてはならない。
症状は、私たちの身体が表すもの、生きていたら起こるであろう生命現象である。生きている限り、身体は環境の変化と連動して変わり続けるゆえ、その変化の過程、言いかえれば、環境の変化に対する適応過程ととらえられるだろう。
例えば、何かを食べて、腹が痛くなったとすれば、その何か、という環境(自分以外の何か)に適応する過程で身体が痛みを表しているのである。場合によっては、吐くなり、下すなりの身体の反応で、その何かと離れれば、症状は治まる。もしくは、消化し、同化することで、身体が適応、変化してしまえば、やはり症状は治まるだろう。
であるから、上記のようなとらえ方によって、身体は常に治り続けている、とも言えるが、適応の速度には個体差が生じてくる。環境は常々変化していくから、適応が遅くなれば、常に治り続けていても、表面上の現象として症状は治まらない、ということも起きてくる。
ところで、症状が治まることのみを、治る、として認識していると、思わぬ落とし穴にはまることがある。今の世の中には、身体(特に脳神経系)を鈍らせることで、身体の適応過程を強引に抑えよう、というものが存在する、ということである。端的な例を多くのクスリにみることができる。これによって、表面上は症状が治まったように見えるから、これも治った、と表現されがちなのだが、身体の中身の変化はまるで異なってくるのだ。
先のメッセージ、「身体は治るようにできている」は以上のことを踏まえてであったが、何にせよ、現実的な体験を通じて、この理解を深めていくと、不調時の不安は軽減され、不安の軽減がより回復をスムーズにする。誰かがこう言っていたから、という頭のみの理解や暗示ではなく、言葉を自分のものにしていくことが言葉を活かすことにつながる。
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Last updated
2017.11.14 17:48:19
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