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カテゴリ:医、健康、からだ
耐える、我慢する、という言葉は、童話・三匹の子豚に見られるような、自然の力(童話では狼の吐息であったが)に耐える、という西洋的発想が多分にうかがえるものである。恐らくではあるが、日本においては、明治期から少しずつ浸透し始め、戦中戦後、爆発的に信仰ともいえる力をもったものではないか、と推測する。戦後の復興、高度経済成長を支えるために民を動かすには便利な言葉だ。
「忍耐」が私の座右の銘になりかけたのも、戦後を活き延びた祖母の影響が大きかった、と振り返る。たとえその言葉にすがっても必死に生き延びてくれた祖母のおかげで私の今があるのだから、もちろん、それを良し悪しでとらえることはできない。その時代、環境において、どうしようもないこともまたあるには違いないのだから。
ただ、いつまでも、その価値観に固執していては、困る事態というのが現実として存在してくる。 例えば、その一つが、先に挙げた、痛みの例、身体のことである。 現代では、クスリ一つで身体を誤魔化せるから、いよいよ自ら工夫するということが乏しいように感じる。我慢して、いよいよ困ったらクスリ、という泥沼的構図。 そこにできてくるのは、ため込んで、歪みに歪んだ身体であり、身体はその歪みを解消しようとする結果、表面的には大きな症状が起きると考えられるのだ。
私の感覚からすると、やはり、耐えることや我慢は美徳とは言い難い。 耐える、我慢する、が主な手段である、というのは、穿った見方をすると、誰かが救いの手を差し伸べてくれる、という他力本願的・幻想的な甘えが隠れていることもかなり多い。更には、自ら考え、工夫して行動し、乗り越えようとすること、つまりは自ら生きる、ということを怠っている、ともとれる。これはもちろん、自らの経験も省みての考察である。
我慢強さを鍛えるより、その局面を自らで如何に工夫して乗り越えるか、そういう知恵を身につけていきたいものだ。そう考え、自らの癖を修正しつつ、クライアントにも提案する今日この頃である。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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2017.12.13 17:01:26
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