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ShinoDUCKの楽天家日記

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2024.11.14
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テーマ:☆仙台☆(1880)
カテゴリ:季節の移り変わり


11月14日(木)


東北大学片平キャンパスの西側に接して南北に走る片平丁の通り。


東北大学正門がありますが、東北帝国大学が開学した当初は、北側の弾正横丁沿いにあったそうです。
南側にあった旧制二高が北六番丁(2017年まで農学部があった雨宮キャンパスの場所)へ移転した跡地がキャンパスに組み入れらることとなった大正14年(1925年)に、片平丁沿いの今の場所に新しく正門を建てて、この新正門と旧制門を結ぶ通りを整備した・・・というとその通りは現在の史料館前、本部前を通ってきた門へ抜ける道?それとも本部西側を北へ抜けて金研の南門に通じる細い道?


門柱は4本あり、内側の大きい2本は「鉄筋コンクリート造り御影石貼り」の角柱、上に三角形の柱頭が乗っています。外側に同じかたちで少し小ぶりの柱を置いています。建てられた当初は鉄扉が備えられていたそうです。その鉄製門扉は戦争中に供出されてしまって今はなく、しばらく木製の門扉が設置されていたそうですが、昭和40年代にその木製の門扉の形を踏襲して(つまりオリジナルとは形が違う)鉄製の門扉に取り替えられて現在に至る・・・となります。

門扉は昭和のものですが、4本の門柱は建設当時そのままのものだそうです。

土日祝日は門扉が閉められていますので、もしも観光などでこの歴史的建造物を見に来るのであれば、昭和の門扉が閉じている休みの日よりは開いている平日に訪れることをおすすめします。


・・・と、旧東北帝国大学正門のはなしを展開しておいて、実は今日の話題の主役はそちらの方ではありません。この正門から片平丁の通りを少し南に行った場所にある、一回り小さな古い門のおはなし。

片平丁の通りに面して、門の左右には立派な桜の木があって、春にはみごとに花が咲きます。


そのころの季節に投稿した日記の記事がこちら。

ブログ「ShinoDUCKの楽天家日記」2021年4月3日付



この記事に添えていた、​門の後ろから片平丁を向いて撮った写真

これと同じアングルで今日撮影した写真がこちら




by OLYMPUS STYLUS XZ-2


すっかり秋の装いです。


明治20年(1887年)に旧制第二高等中学校が設立され、明治27年(1894年)に改称されて第二高等学校になりました。

正門は、明治22年(1889年)に完成した旧制第二高等中学校木造校舎と同時期、少なくとも明治24年(1891年)までには建設されたものなのだとか。

かなりの歴史がある門です。

レンガ造りの角柱に石でできた四角錐の柱頭を乗せた4本の柱、建設当初から門扉は設けられておらず、柱の間に鉄の鎖を渡していたそうです。今もそのようになっています。


大正14年(1925年)、北側にあった東北帝国大学の拡充に伴って、旧制第二高等学校は片平のこの場所から北六番丁(2017年まで東北大学の農学部雨宮キャンパスがあった場所)に移転しましたが、正門は少し遅れて昭和11年(1936年)頃に北六番丁構内の「武道寮」の門として移設されたとのこと。しかしその後昭和20年(1945年)、戦災により北六番丁の校舎が焼失して、三神峯(現在の東北大学富沢キャンパス)に移転、正門もいっしょに三神峯へ移されました。

そこで終わりではなく、昭和25年(1950年)、学制改革により第二高等学校は廃止され、正門はなんと仙台市立博物館の構内に移され保管されたそうです。昭和43年(1968年)に、第二高等学校尚志同窓会により片平キャンパス内のおよそ建設当初の場所(つまり現在の場所)に戻ってきました。しかし、当初の門柱の間隔より狭い1.8メートルとなっていたのを、平成8年(1996年)の旧制第二高等学校百十周年にあたり、もともとの間隔サイズ3.6メートルに広げて旧観に戻し、この一角を「第二高等学校片平記念苑」として整備した・・・という長い歴史があったみたいです。

とすると、私が東北大に入学した1988年から90年代あたりの段階では、正門自体は片平に戻って来ていたけれども、間隔は狭い状態で周囲も今のように整備されてはいなかった、ということになりますが、当時はそんなことはまったく気にしていませんでした。


今、片平丁から数段の石段を上がって門の前に来ると、左手に「蜂」のプレートが埋め込まれた石碑があります。

蜂は「勤勉」を意味し、旧制第二高等学校のシンボルだったそうで、校旗にも中央に大きく蜂のマークがデザインされています。

学友会体育部所属の各部が用いる東北大学のシンボルとしても蜂は受け継がれていると思いますが、ルーツは旧制第二高等学校にあったのですね。


さて、この旧制二高正門跡を含む「第二高等学校片平記念苑」の前面には上述のように左右に立派な桜の木があるのですが、背後にはモミジの木が取り囲むように枝を広げています。

日の当たる時間が短いためか、葉が色づくのも遅めで、ほかの場所ですべて散ってしまっていてもなお、紅葉が楽しめるスポットでもあります。

今はまだ、街では紅葉もこれからという時期ではありますが、ここでは赤く色づいた葉とまだ緑の葉がほどよく混じって、朝日に透かして見ると得も言われぬきれいさです。



こちらは赤が多め、そして



こちらは緑が多め。

今朝は天気も良く、西側の片平丁通りのほうから日の光が射して色づき始めた葉を通してみると、清々しい気分になります。

~~~
ちなみに、この旧制二高正門跡に関するブログ記事を
Google Bloggerのブログ「仙台市青葉区片平界隈情報」(現在は開店休業状態で、2023年3月から記事を更新していません・・・なんとかせねば)にも挙げていました。


2012年3月8日付



1996年に第二高等学校尚志同窓会によって整備されたときに設置された石碑などの話題も。





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Last updated  2024.12.10 17:03:47
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