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カテゴリ:思考
私は、学校で歴史の時間が大変嫌いでした。
無意味に年号を覚え、テストでいかに正確にたくさんの年号を書けるかを競争するのがばかばかしくて仕方がありませんでした。 しかし、社会にでて、中国に駐在し、いろいろな社会問題を考えるようになると歴史が大変重要であると事に気づきました。 そして、いろいろな国の歴史とその年号が大きな意味を持ち、深く関わっていることがわかるようになりました。 まあ、それにしても暗号を暗記しておかなければ成らない必要性は感じませんが.... 今は、どうか分かりませんが、私が教育を受けていた頃は、歴史というのは、昔から順次現代に向かって説明されています。 しかし、そういう風に勉強するのは、全く意味がないような気がします。 以前、ラストサムライの最後の台詞を紹介しました。 We can not forget who we are... or where we come from. この言葉は、私に大変感動を覚えさせたと同時に、歴史に対する認識もかえてくれました。 自分自身を理解する為には、自分がどのようにして形成されていったのかを知る必要があるのです。 そして、誇らしく生きるためにも自分が形成されるまでにどのような事が起こったのかを知る必要があると思います。 なぜ私は、日本語を話しているのか? なぜ、中国人と違った考えかをするのか? 家に仏壇があるのか? キリスト教徒ではないのか? 日本は、なぜ戦争をしたのか? 中国の漢字と日本の漢字が、なぜ似ているのか? そして、それに対する答えが歴史なのです。 歴史は、縄文時代から順番に勉強するものではなく、現代の社会問題から、今の自分自身の問題からさかのぼって勉強していくものではないのかな? と感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.28 14:25:10
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