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東北関東大震災発生から3週間経ち、ペリカン便が再開したので石巻の親戚へ物資を送りました。 仙台ではスーパーが再開したと聞きましたが、仙台近郊で被災された私の講座の卒業生YURIさんのことが気になっていました。彼女からは、震災から1週間後に「無事です」という短いメールをいただいていましたが、その後、連絡がなく様子がわからなかったのです。 YURIさんは、わたしのヒプノセラピストの養成講座でとても深い体験と学びをされた、明るく賢く前向きな、大家族のパワフルお母さんですが、障害を持った幼いお子さんもいらしたので、相当にたいへんな状況であろうと思われました。 そのYURIさんから、昨夜メールが届いたのです。長いメールでした。その文面から、震災時の、本当に凄まじく、たいへんな状況が伝わってきて、私も言葉を失いました。そして、その中で自分にできるすべてを精一杯生きていらっしゃる彼女の在り方に、胸を打たれました。 ご本人が、ブログに載せていいと言ってくださったので、ここにご紹介させてください。
~YURIさんからの手紙~
震災の日から、時間がたち少し落ち着いたので、メールします。
あの震災の日、私は娘と母で買い物をしに、多賀城か福島の店に出かける予定でした。 その朝、どうしても出掛けたくない思いがありましたが、食品を買いにいかなくてはなりませんでした。 多賀城には絶対に行きたくない思いが強かったので、福島に買い物に出掛けました。 帰る途中、白石のお店により、地震にあいました。
娘はギブスをしていたので、カ-トに乗せていたので、地震がきた直後にすぐカ-トから下ろし抱っこしました。 轟音と共に大きな揺れ、そして悲鳴。
店内は崩れ落ち、カラスは飛び散って、天井は紙きれのようにビリビリさける。 死ぬかと思いました。
その中、店員さんは、レジからそれぞれお客様のもとへ行き、安全確保してくれました。 ガラスの雨にはパンのトレイを頭に、ヘルメットの代用です。
少し、地震の揺れが小さくなった所で店外へ。 その時点で、母は離れていたので、後から会えたのは本当に幸運でした。
そこから、停電。携帯も不通。 昨日までの事が3ヶ月前くらいの出来事のようです。
その間に、なんとかガソリンを調達し、実家に何度か行きました。 まさに、仙台空港の近くの親戚6人が、亡くなりました。
ほかは、家が流された、浸水したとありましたが、命は助かりました。 石巻にも親戚がいます。 まだ、電力復旧してないみたいです。 その親戚は家の一階が浸水。避難所へは行ってないそうです。 避難所に居ない人は、パソコンでは探せません。
海岸沿いの親戚が避難所で発見されたので、会いに行きました。 帰る途中、海岸沿いの道路を見ました。 言葉になりませんでした。
想像を絶する光景で、後日、こども達にも見せました。
目的は、この震災で家でテレビ、新聞を見ても他人ごとの息子たち。 現状を理解し、相手を思う事、自分達ができる事をしてもらいたかったからです。
この震災で、地球規模の愛情を感じました。 涙がでます。 感謝です。
この震災の一週間、私は直感を大切にしていました。 その結果、震災後にふに落ちる事だらけでした。
あの日、福島ではなく多賀城に行っていたら、間違いなく私と娘と母は死んでいました。 生かされたと、何度も実感します。
震災の日から、私の出来る事。 グランディングして、イメージで地球→日本→被災地→福島原発を癒やす。 天使様にも、癒やすお願いをしていました。
まだ、ほっとするのは無理ですが、冷静に保てるように、明るい未来を想像します。 心配してくださった事、とても心励まされました。
ありがとうございます。 ~YURIより~
YURIさんが、これまでにわたしたちと共に学ばれたことを、しっかりと身につけ実践され、良い結果を導かれているということが、本当に喜ばしく、素晴らしいです。 YURIさんの勇気ある魂を心から尊敬します。 そして、彼女を導いてくださったすべてに、心より感謝いたします。
YURIさんはこの困難をきっと力強く乗り越えて行かれるでしょう。きっとこの震災の体験から、劇的な浄化と霊的な成長を遂げられるのではないでしょうか。 わたしたちの方が、逆に勇気をもらっているように感じます。 YURIさん、ありがとう。愛しています。
目に見えない仲間たちと共に、地球と宇宙と共に、そして共にこの時代に生きる仲間たちと共に、前へ進んでいきましょう! ずっとずっと応援しています。
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Last updated
2011.04.03 21:46:09
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