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常に二十匹くらいはおったやろか。
そんな場所やから、あらゆるとこに猫が入ってきて、糞尿をたらしていくんや。実際は猫婆さんが飼ってるようなもんやけど、俺のアパートも夏になったら臭くて臭くて、時折撒かれる消毒剤の臭いが混ざったらまた臭くなる。 猫の屍骸も転がってるんやろうけど、それは見ることはなかった。猫は事故で無い限り、人目につかんところでひっそりと死ぬからな。それがまたアパートのどっかやったら、かえって迷惑なんやけどな。 ある日なんか、天井から蛆虫がぼたぼた落ちてきて、調べたら猫の屍骸があったらしく、家主も怒ってた。もちろんそのシーンは見んかったけどな。 猫婆さんも、最後は、おらんようになってもうた。猫に近づいて遊んどったら、絶対に出てきてたんや。そしたら俺は逃げとった。 それが、ある日を境に出て来んようになった。猫もあんまり見んようになった。 ほんで、婆さんの家の周辺がやけに臭くなってきてた。せやから多分、夏のことやったんやろうと思う。 俺がなんでそうゆうシーン見たんか、わからんけど。 大人たちが、猫婆さんの家に入っていく後に着いて行ったんや。家と変わらんくらいに薄暗くてじめじめとした、玄関は土間みたいになってて、すぐそこの畳の上で、婆さんは白骨になっとった。 何で俺が近寄れたんかもわからんし、妄想かもしらん。 最初に見たんは、暗い中、畳の上に何かが転がっていて、その上に何対かの目が光って動いていたシーンやった。 それは目が慣れてくると何かわかったんや。転がってるんは猫婆さんの死体で、その上には猫達が乗っとった。 猫は餌を貰えへんようになった代わりに、婆さんを喰うてたんや。 死体がどうなって、何匹くらいの猫がおったんか、それ以上は近づかせてもらわれへんかった。今考えたら、お父ちゃんが連れてきたんかもしらへん。 脳裏に焼きついいてるんは、今までで最高に臭かったんと、教科書で見たミイラみたいな婆さんの死体。その上で、会合でもしているかのように集まっていた猫たち。 後から聞いたら、身寄りは遠くにあったらしく、お金はそこから郵便か振込みかしらんけど、送られてたらしい。 どんな身寄りかしらんけど、連絡とかは取り合ってなかったから、死んでもわからんかったみたいや。単なる老人の孤独死やけど、俺にとっては猫が上にいっぱい乗ってたシーンが印象的で、骨をしゃぶる情景の夢を今でも時々見るんや。 結局そこには中二くらいまで住んどった。 生活保護のお金ではやっぱり足らんみたいで、ほとんどが食費と酒とタバコとパチンコやったけど、お父ちゃんは時々、西成に行って、アルバイトしてたようや。また、露天やろな。 その頃かな。 お父ちゃんの身体がなんか、悪いことを知ったんは。 日本酒はワンカップばかり飲んでたけど、飲み干したらその瓶はお父ちゃんの灰皿兼、痰壷になっとった。汚いもんや。真黄色の痰が、瓶いっぱいに詰め込まれて、腐ったなめくじのようにうようよ蠢いてるみたいやった。 すぐ捨てたらええのに、蓋していっぱい溜め込んで、あの頃は慣れてしもうて何とも思わんかったけど、今見たら、気持ち悪くてどうしようもないやろな。 そんなんがコタツの上に置かれてるねん。 異様に痰を吐いてたな。時々、血も吐いてたけど。 中学は入ったばかりの頃、お父ちゃんが入院することになったんや。 何で入院するんかわからんかったけど、なんとなく左足の事やと思ってた。近所に個人病院やけど、大きな病院があって、そこの整形外科に入院することになったんや。もしかしたら切断せんとあかんかもわからんってお父ちゃんはゆうとった。何か、そういう恐怖があったみたいや。 そもそもなんで、足が悪くなったかというと、子供の頃に身体障害者手帳ってゆうのを覗き見たら、ポリオによる小児麻痺って書いてあった。 子供の頃はポリオって意味がさっぱりわからんかったし、大人になってからもわからんままやったけど、かつきが産まれてから、ポリオってなんか知ったよ。 今は赤ちゃんのうちにポリオの予防接種するから、その病気はなくなったって聞いたけど、実際はどうか知らん。 なんか勉強させられたのは、ウィルスが脊髄に入って、麻痺をおこすらしいって言うことだけは、わかったんや。人から人にもうつるらしく、かかってしまったら、治らんらしい。俺がうつらんかったのは、予防接種を受けてたからなんかはわからんけど、多分、そうなんやろ。 せやったら、なんで、治らん病気なんやのに入院したんやろな。切断も意味ないと思うし、今となってはようわからん入院やった。 手術も結局せえへんかったし、退院しても特に何も変わらんかった。 入院中は学校の帰り道に病院があったから、何をするでもなく、よう、病院に行っとった。 酒とかたばこをやりたいらしく、俺に酒を持ってこさせとった。 酒を飲むのはいくら整形外科でもあかんかったらしく、酒の持ち込みは禁止やったから、そういうとこだけは知恵がまわるんか、水筒にウィスキーを詰めてくるように命令して、俺もまだ、そん時はゆうこと聞いとった。高校になったら聞かんかったけどな。 どういう入院かわからんかったけど、俺は多分、足が腐ってて、もう切断せんとあかんのやと思ってた。 ポリオってそういう病気やないんやろうけど、何でそう思ったかてゆうと、踝が赤くてパンパンに腫上がってるのを見てたからや。そん時に奇妙な経験をした。 お父ちゃんは本当に病院が嫌いやった。まあ、好きな人はおらんやろうと思うけど、そういう姿見てるから、俺も病院が嫌いになったんや。多少、痛くても、おかしいなって思っても、自分で判断して自分で治そうとする。 どこが悪かったんかしらんけど、医者にかかりたくなかったお父ちゃんは、すぐに漢方で治せるから医者にかからんでええってゆうて、病院行くの拒否しとった。 漢方で何を治してるんかわからんかったけど、行きつけの薬局で高い漢方薬を買っとった。プラスチックの大振りな容器に百錠以上は詰め込まれていて、草色の薬が詰まったやつと、えんじ色の薬が詰まったやつ。どっちも一万円近くする薬を飲んどった。 それが何に効くんかもしらんかったし、どういう病気なんかも知らんかった。 たまに、お父ちゃんの代わりに買いに行かされて、どうも普通の薬局とは雰囲気の違った店に自転車で行って、薬を家に持ち帰る。記憶は曖昧やけど多分、詰め替え用の袋入りみたいなやつやったと思う。それをプラスチックの容器に移し替える時、なんとも言えん、薬草の臭いがして鼻が痛かったのを覚えてるんや。いかにも薬の臭い。今の胃薬とかの何十倍も臭かった。 未だに、あれがなんのための薬やったのかようわからん。 子供の頃は足が治る薬かと思ってたけど、薬飲んでも治らんわな。しかも酒で飲んでるし、タバコもがばがば吸ってたし。 今となっては、足の麻痺は治らんと理解できるけど、あの頃はそういうもんじゃなくて、捻挫とか怪我の関係と思ってたからな。 手術したら治るもんやと思ってたし、手術が怖いから、お父ちゃんは薬で治そうとしてると思ってたんや。 小学生か中学に上がってからか忘れたけど、足の踝に薬を擦り込んでた時期があった。透明で臭いのきつい、油状の薬やった。 嫌やったけど、時々塗らされる事もあった。 そん時、初めてお父ちゃんの足がどういう状態にあるか知ったんや。 何ちゅうか……右と左は明らかに物の質が違ってたんや。右が普通の大人の足やったら、左は、子供の足やな。俺はどうやら母ちゃんに似て色黒に産まれたみたいやけど、お父ちゃんは色白やったけどウェハースみたいな黄色がかかっとった。 せやから余計、未成熟な左足が子供の足みたいに見えるし、ふくらはぎとかの筋肉も右足の何分の一かやった。 ほんで、左足の踝の周りだけ、異様に腫れあがっとった。 足の甲とか踝より上が、無茶苦茶白かったから余計にその色が際立ったけど、その時は赤黒腫れあがって、踝の部分が奇妙な生き物みたいに蠢いてたように見えた。 ちょうど踝の部分には五円玉くらいの穴が開いていて、そこからはクリーム色の汁がこぼれてた。 (膿が出てるっちゅうことは治りかけてる証拠や) お父ちゃんはそんなことを言いながら、俺に薬を塗らした。工作で使うセメダインみたいな軟膏やった。 豆粒くらいを人差し指に乗せて、ゆっくりとその部分に擦り込んだ。妙にそこだけ熱く、別の生き物のようやった。猫の目ん玉にでも指を突っ込んでいるような気分やった。 (お父ちゃんも昔から、足は悪かったけど、こんな腫れたんは最近やで) 酒臭い息で、息子の俺に弁解するように言葉を搾り出しとった。 (酒が悪いんや。俺も昔から酒を飲んでたわけやない。お前の母ちゃんがおらんようになってからや) それはもう、耳が腐るほど聞いた話やった。 (酒を飲むようになって、足も仕事もなんもかんも思い通りにいかんようになった) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.09 13:07:40
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