街がデザイン、生き方がデザイン
先週は、なにかと行事が重なって日記が書けませんでした。ダーウィンの定例会儀や、デンマーク協会の運営委員会や、県の産業デザインワークショップなどなど。そして週末に福岡のデザインNPO団体の「NPOデザイン都市プロジェクト」主催のセミナーに行ってきました。建築の鮎川透さんが「建築とまちづくり」の題材で喋ってくれました。建築やデザインが果たす社会への役割りは大変大きなものがあると感じた次第。この社会とデザインとの関わりは私にとっても大きな課題のテーマ。今日は、以前このテーマで書いた原稿を紹介することにします。『※中田英寿が在籍していた名門サッカーでも有名なイタリアのボローニャ。イタリア料理が好きな人にとっては、ラザニアやトルテッリーニ(ひき肉や生ハム、パルメザンチーズが詰まっている手打ちパスタ)や、モルタデッラ(ボローニャ風ソーセージ)などのボローニャ名物の料理の話をするだけで生唾が出そうな、料理天国の街。イタリア北部の、ヴェネツィアとフィレンツェの真中位に位置する、前8世紀から続く歴史と文化の都市ボローニャ。ヨーロッパを旅行した人が誰もがつぶやく言葉「絵のような風景やねえ!」。そして日本に帰って日本の街並みを見てなんと煩雑な風景かと暗胆たる思いに駆られます。(すぐに慣れてしまうのが恐いが)なぜこんなに街の景観が違うのかは、もちろんその国の歴史・文化・風俗・国民性の違いでもあるわけで一概に比較できないと分かりながら、やはり府に落ちない。このイタリアの古都ボローニャが持つ街のスローガンが「新しい社会のための古い町」。「保存」から生きた町の「再生」へ、その都市の修復・再生に基づく町づくりの事業に積極的に取り組んでいる。日本で保存といえば、ただそのままにして、朽ちていくイメージがありますが、この場合の保存とは「メンテナンスが行き届いた状態」のこと。そして、住民の生活サイズにあった町のスケールと、景観デザインを歴史家や建築家やデザイナーや文化人が行政と協力して創り上げています。いわゆる歴史をばねにして、その地域でならではの革新力が、新しい文化を創造していることになっている。一般的にデザインといえば、常に新しい物だけを手掛ける印象がありますが、けっしてそんなことはありません。新しいものや、古いものを総体的に捉えて、今の生活や、社会活動にいかに活かすかが大切なこと。これは、たとえば企業の屋号や、お酒や醤油のビンのラベルなど、古い物をしっかりと伝える努力は、その企業のアイデンティティでもあります。古い物の新しい価値を見つけて、いまの生活に活かす。その生活の場である町の風景や建物や住宅を「新しく再生する」デザインが地域のビジョンとして推進されている様は、これからの福岡・博多のような歴史・文化を持った都市の町づくりに一番重要な気がしてならない。この福岡にも都市が持つ新旧の要素をデザインした明治男がいました。その男の名は「電力の鬼」といわれた松永安左エ門。長崎県の壱岐の出身の松永は、慶応大学を経て幾多の事業に挑戦し、電力や瓦斯や鉄道を興した大事業家として有名ですが、また、美術や茶の湯の分野においても大きな功績を残した人物です。全国規模の電力事業の礎を築いた実業家として、東京、関西、福岡を股にかけた活動を行い、太平洋戦争前後のエネルギー政策に関与し、戦後の電力再編成を成し遂げました。ただし、彼の一生がけっして成功ばかりであったわけはなく、闘争とサクセスと失意を、幾度となく味わっている。福沢諭吉の娘婿桃介との共同事業の起業と倒産。大阪の本宅の火災による長家住まい。福岡での鉄道の創設(西日本鉄道の前身)。瓦斯会社の創立(西部ガスの前身)。また、大正2年に九州地方を襲った流行性感冒で2年間の静養生活。博多商工会議所会頭就任、福岡選出の衆議院議員の当選、そして落選。松永はのちに成功の秘訣としてこの「浪人・病気・長屋住まい」をあげている。これらの体験から生まれた松永イズムは、権力に媚びず、信念をもって事に当たり、ある時は鬼になった。この時代は旧国鉄の鉄道路線によって全国が線で結ばれていた時代。(若い人はぴんとこないかも知れませんが、この鉄道は石炭で動く蒸気機関車の時代。電気はまだ今のような家電がない時代だから細々と電燈を灯していた程度、順序は電車を動かすために、電力会社をつくる発想だった)元々古くからの住宅地であった、いまの天神周辺の風景デザインは、西鉄の前身である九州電灯鉄道会社が松永の献身によって出来た時から始まった。駅ができ、百貨店ができ、商店街ができ、沿線に遊戯場ができた。電気と電車、ガスエネルギーが整備され、百貨店や商店街の商業が集積された。これらを集約して町づくりがなされたのが今の天神、福岡。この遺志をどう我々が「保存」「再生」し、カタチ創っていくのか。明治の硬骨漢が見ている。松永の遺書には「死後の一切の葬儀、法要はうずくの出る程嫌いこれにあり、墓碑一切、法要一切不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階これはヘドが出るくらいに候。財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが堕落するだけである。」とあった。最後まで生き方をデザインした男の面目躍進というところである。』今回は「生き方がデザイン」などとちょっと壮大なテーマになってしまいましたがご勘弁ください。そして現在、新緑眩い木々に囲まれた福岡市美術館。ひんやりとした常設館の館内で、松永安左エ門が寄贈した「松永コレクション」の美術品の数々が、フィラメントのような清雅な光を放っている。