Shionの部屋

2009/12/12(土)23:04

◆悠仁さまはなぜ、お茶大幼稚園へ入園するの?

× 生活・日常(142)

「あれ?秋篠宮さまはどうして普通の幼稚園を選ばれたの? なんで悠仁さまは学習院幼稚園に通われないの?」 と思った、そこのあなた! 私の「お仲間」ですね(笑)。 以下、「皇室マニア」の方たちはすでにご存じで面白くない情報かも知れません。 「お茶の水女子大幼稚園と皇室」の関係について「知らな~い!」という方だけ、どうぞ♪ ★・・・★・・・★・・・★ 実は私も初めて知ったのだけど、お茶の水女子大学は、 明治天皇の配偶者・・・皇后さまである、 昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の大きな寄与よって、 設立された学校なんだそうです。 そして、お茶の水女子大学付属幼稚園は、1876年に設立された、日本初の幼稚園 な~んと、「日本で一番、伝統ある幼稚園」だったのですねえ。 お茶の水女子大学の校歌は、昭憲皇太后が賜ったお歌、だそうで、 皇室とは、とてもゆかりの深い、学校なのでした♪   (↑東宮御所の近くの有名なケヤキ並木。ツアーコースらしいです。) ちなみに、学習院幼稚園のもとになっている、華族女学校(現学習院女子高等科)も 同じく、昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)さまの尽力によって設立されたものですが、 学習院幼稚園は1894年にできたので、1876年設立のお茶の水女子大付属幼稚園の方が 18年間、歴史が長い、というわけです。 悠仁さまは皇室にふさわしい、由緒ある幼稚園にちゃんと通われるようですよ。 秋篠宮さまは、「学習院幼稚園は3年保育ではないから」という理由で、 3年保育の幼稚園をお探しになられたようですが、もし、学習院幼稚園に行かないのなら、 歴史と伝統のある、そして皇室との関わりが深い、お茶の水を選ぶ、というのが、 自然な選択だったのでしょう。 今、悠仁さまのお母さまである秋篠宮妃紀子さまは、 日本学術振興会の名誉特別研究員として、お茶の水女子大を拠点に研究されているそうで、 悠仁さまは手続き的には、「研究者の子供を対象にした特別入学制度」を活用したそうです。 皇位継承権を持つ大切な悠仁さまが、何で普通の研究者の子供の枠で入学するのかしら、と、 私は強く疑問を感じますが・・・。 悠仁さまだよ?希望次第で行きたい所へ行けて当然でしょ?なぜ研究員の子の枠で? すごく違和感を感じます。 こういう「引っかかり」は、書いておいたほうがいい、と 私の脳内ファイルくんが主張しているので、ここに特筆しておきます。 紀子さまにとっては、近くに悠仁さまがいらっしゃって、ちょっと安心でしょうね。 ★・・・★・・・★・・・★ さて、悠仁さまがお茶の水女子大学付属幼稚園に通われるということで、 同大学創立に寄与された、昭憲皇太后さまについて、ちょっと調べてみました。 この方(↓)  昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう) ウィキペディアによると、 >維新期の皇后として社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現学習院女子高等科)や、 お茶の水の東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の設立、 日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。 (赤十字社の正式紋章「赤十字桐竹鳳凰章」は、紋章制定の相談を受けた際、皇后がたまたま被っていた冠が桐と竹の組み合わせで出来ていた事から、「これがよかろう」という事で決められたという) >1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后が10万円(現在の貨幣価値に換算すれば約3億5,000万円とも云われる)を下賜した。 赤十字国際委員会はこの御下賜金を基にしてショーケン・ファンド(昭憲皇太后基金)を創設した。そしてこの基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。 フーン。進歩的な方だったのですね。 悠仁さまのお母さま・紀子さまは、日本赤十字社の名誉副総裁を務めていらっしゃるので、 そういう意味でも、悠仁さまと遠いながら繋がりのある方だと感じました。 (※昭憲皇太后さまはお子様をお持ちにならなかったので、悠仁さまと直接の血の繋がりはありません。大正天皇は側室が生んだ子だそうです。) それからこれ。 >(昭憲皇太后は)中世以来の慣行に従って中宮職を付置され、中宮と称されたが、 翌年、中宮職が皇后宮職に改められ、称号も皇后宮と改められた。 この時を最後に、中宮職は廃止され、中宮の称号も絶えた。 そうか~。「中宮(ちゅうぐう)」なんて、大昔の呼称だと思っていたけど、 このときが最後だったのですね。・・・意外と最近まで使われてたんだ。 昭憲皇太后さまのウィキのページを読むと「出生:平安京」とある通り、 それまでは西日本に皇居があったのですよね。 日本の皇室の、長~い歴史を感じます。 ★・・・★・・・★・・・★ 悠仁さまは卒園までの3年間、この幼稚園に通われる予定で、 同大付属小学校への進学も検討されているそうです。 同大には共学の付属小、中学校があるということですが・・・ まあ、先々のことは、まだ、いいです。 今はただ、悠仁さまが、たくさんのお友達に囲まれて、 楽しい3年間を送られるといいなあ、と思います。 悠仁さまの、世界への「初めての一歩」が喜びに満ちたものになりますよう、 心からお祈りしております。 (↑悠仁さまがお生まれになったときに発売された、ドイツのテディベア。 シュタイフの「プリンス・モーリー」です・・・あっという間の3年間だったな~。) ←クリック応援頂けると嬉しいです ★ ■■マスコミが報じない民主党の真実■■ ↑大増税?大丈夫?必見情報満載のサイト。↑

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る