テーマ:詩&物語の或る風景(1046)
カテゴリ:書画・芸術・文学・音曲評論
ポチっとしてくださると喜んだりします。 明治25年(1892)1月8日、日本文学史に名を刻み、日本の現代詩の生みの親ともいわれ、昭和の文芸活動に大きな影響を与えた一人の偉大な詩人が生まれました。 父親が、東京帝国大学法科(現東大法学部)に在籍しており、住居も赤門前だったためその子は"大學"と名づけられます。 父親は、卒業後は外交官となって朝鮮に赴任しました。 ところが、その一年後の明治28年に、母の政は23歳の若さで病死してしまいます。 この時、大學はまだ3歳で、幼くして失った母への想いを、後に一つの詩に残しています。 「母の声」 母よ 僕は尋ねる 耳の奥に残るあなたの声を あなたが世に在られた最後の日 幼い僕を呼ばれたであろうその声を 三半規管よ 耳の奥に住む巻貝よ 母のいまはの その声を返せ 中学在学中の彼は病気がちな少年でしたが、文才は豊かだったといわれています。 明治42年に、中学を卒業した彼は上京して与謝野鉄幹、晶子夫妻に師事。 翌年入学した、慶応大学文学部では永井荷風と出会うなど、この時期に将来に繋がる良き師、良き友を得ます。 明治44年になると、当時メキシコ赴任していた父の招きを受けて、彼は19歳で海外に出ます。この頃、ベルギー人の継母からはフランス語を学び、父に習ってフランスの詩に目覚め、彼はこの時からフランスの詩集を日本語に訳すことを始めたのでした。 ベルギー、スペイン、ブラジル、ルーマニアと、33歳まで続いた海外生活の中で、大學は訳詩集「昨日の花」、詩集「月光とピエロ」の出版に続き、コクトーやアポリネール、ラディゲなどの詩人を日本に紹介します。 大正14年に出版した、「月下の一群」やポール・モーランの小説「夜ひらく」の翻訳など、大學の著訳書はこの頃すでに300を超えており、川端康成、横光利一らに大きな影響を与え、新感覚派を生みました。 昭和32年には芸術院会員に。 昭和33年、詩集「夕の虹」で読売文学賞を受賞し、昭和45年には文化功労者として顕彰され、昭和54年には文化勲章を受賞。 そして昭和56年、89歳だった堀口大學は静かにその生涯を閉じました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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亡き母を思う、少年の遣るせない思い。。かな?
かなしいような あたたかいような 。。。 なぜか、昔のアニメ「一休さん」を思い出しました。 エンディングの歌。♪ははうえさま~おげんきで~す~か~。。。* 好きでした。^^ (2006年10月21日 14時40分27秒)
こんにちは。
>この時、大學はまだ3歳で、幼くして失った母への想いを、後に一つの詩に残しています。 3歳で母親と死別・・・。 峯子は3歳で実母と生き別れ。 ちょいと事情は違いますが、幼少期の親との別れって子供心にショックですよね。 (2006年10月21日 14時40分58秒)
声を一度も聞けないままって 悲しいな。
わだつみ様の声も聞いてみたい、よしぴーです^^ 夕陽の写真が とってもすてき☆ いいな.......(*^-^*) (2006年10月21日 15時16分59秒)
堀口大學さん、当時は珍しい帰国子女だったのですね。子女、と言っても、海外生活は19歳から33歳になるのでしょうか。
「母の声」、良いですね。こういう感覚を持った方が海外経験などして下さって、日本の文学界にとっては、きっとものすごく意義のある事だったのでしょう、などと考えたりしました。 (2006年10月21日 17時56分24秒)
なかん最近忘れてました。実は昨夜帰りがけに「秀さん、よくあんな馬鹿と一緒に仕事できますね。俺なら総入れ替えですけど・・・」なんて言われてしまいました。確かに・・・・・・そこから2時間位かな、私も馬鹿だから、北朝鮮問題から始まり、最後は社会主義(ほとんど死語かな)と資本主義までぶっちゃいました。生意気な口きく割に何も知らない。若いっていいですよね。なにも知らなくてもいいから(?)違うって向上心がないのかな今のヤングは・・・・・
(2006年10月21日 18時20分11秒)
詩歌の世界は弱いです・・・与謝野晶子・鉄幹はちょっとやったかな。小6のときの塾の国語の先生が「君死にたまふなかれ」を教えてくれました。
明治維新の混乱が落ち着いて、大正、そして昭和初期に海外に出た人たちは彼の地のいいところをたくさん吸収し、祖国のいいところを再認識して帰国した人が多いですね。 今は手軽にいけるようになっただけにどうなんだろう・・・と思うことがしばしば。 (2006年10月21日 21時57分17秒)
オリーブのような。。。♪
三つ子の魂百までといいますが、 短くてもたくさんの声鼓動を細胞に刻みつけたとおもいます。 きっとおかあさま、ぼうやの名前を いつも呼びながら、あやしていたのでしょうね♪ 気持のある人物に育ったのはその証拠とおもいます。 短い間に、母である責任をきちんと終えて、彼女は旅立ったに違いありません。 男女とも、産みの母への憧れは 永遠でしょう(^-^)ノ★♪ (2006年10月22日 02時27分59秒)
堀口さん、ルーマニアにも。
彼の本読んでみようかな。 (2006年10月22日 15時39分19秒)
茜色の夕空久しく見ていません。今日は学校のアケビの実をとりました。熟してきれいに割れていました。
ムベは割れないのですよね。こちらは食べたことがありません。どのような味がするのでしょうか・・ (2006年10月22日 20時10分55秒) |
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