テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:想い出の書院
霞ヶ関界隈で働いていた頃の後輩から電話。 『今はブログ言いたい放題で書いて、先輩は能天気でイイすねぇ~』などと・・・(怒) 久し振りに何の用なのかと聞いてみると、今まさに吹き荒れる"仕分け減らし"の愚痴ではなく、何とあの、新宿ゴールデン街の名物爺さんが9月に亡くなっていたというお話でした。 新宿ゴールデン街の名物男といえば流しのマレンコフ爺さん。 享年82歳。 飲み屋街を知り尽くし、酔客の歌の伴奏をする流し一筋に生き、60年間、新宿ゴールデン街の栄枯盛衰を目にしてきた人物。 文字通りゴールデン街の生き字引でした・・・ ゴールデン街といえば、多くの作家や詩人、芸術家や芸人に愛された街。 そして、歌舞伎町とは一線を画し、まったく異なる風情を感じる夜の街でした。 数多くの作家を育む街。 野坂昭如、渡辺淳一、村上龍、大江健三郎、中上健次、半村良、佐木隆三、村上春樹、志茂田景樹らが足繁く通い、記憶に新しいところでは俵万智、最近では宇多田ヒカルの宣伝ポスターの背景として話題となり、怪しい酒場が軒を連ね、若者が宵ごしの酒を楽しむ街。 そして、かつて若い頃のわだつみ判官も闊歩した街でした。(知らぬ!) 思い出に残る店は数々ありますが、中でも異彩を放っていたのが、有名な悪役声優の柴田秀勝さんが経営する会員制バーの老舗、昭和33年開業の"突風"です。 何を隠そう、若きわだつみ判官も通った店で、未だに店も店主もご健在とのこと。 ゴールデン街の建物は、概ね4戸程度の棟割長屋になっており、棟と棟の間を細い路地となり、客は路地を通り抜けてはしご酒できるのがゴールデン街の醍醐味でした。 そんな古きよき時代のゴールデン街も、バブルの時代を経て変貌し、全盛期には200軒以上あった店も減り、世代交代も随分進んで、今では半数ほどは平成にオープンした店だということです。 わだつみ判官が霞ヶ関街を去って5分の1世紀。 時の流れでしょうか? 全共闘時代の先輩たちがイイおっさんになっても、高等遊民について熱く議論していたりして、官僚が肩身の狭い思いをするアングラな店だって幾つもありました。(笑) そんな事を思い出すと、何だかちょっぴり寂しいですね。 マレンコフ爺さん、ご冥福をお祈りいたします・・・(合掌) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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