今日という一日
今日は母を連れて、一族の一人の墓参りに行きました。 御影石の五輪塔からは、海上特攻に参加し、23才で命を散らせた若き海軍士官の心模様が読み取れたような気がしました。 昭和20年の今日、鹿児島県御ノ岬沖において、沖縄へ向けて海上特攻に出た戦艦大和は、米海軍の艦載機の波状攻撃を受けて沈没。 乗組員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。 クリックしてくださると、とっても嬉しいです! 昨今、映画を皮切りに大和だけがクローズアップされていますが、実際にこの日、戦死した将兵は戦艦大和の乗組員だけではありません。軽巡洋艦「矢矧」 446名 沈没、生存者503名、うち負傷者133名駆逐艦「磯風」 20名 大破・自沈、負傷者54名 駆逐艦「浜風」 100名 沈没、負傷者45名駆逐艦「雪風」 3名 被害なし、負傷者15名駆逐艦「朝霜 」326名 沈没、全員戦死駆逐艦「初霜」 0名 負傷者2名のほかは被害なし駆逐艦「霞」 17名 大破・自沈、生存者285名、うち負傷者47名駆逐艦「冬月」 12名 小破、負傷者12名駆逐艦「涼月」 57名 大破、負傷者34名 愚かな戦争のために・・・ 『御国の為』と言う抗し得ない大義名分に、多くの未来ある若者が戦場に狩り出されて屍となった時代。 この様な悲劇が二度と繰り返されないためにも、日本の国民にはこれからの10年を、"真の美しさ"とは、"国家の品格"とは何かをしっかり見つめ返して、歩んで欲しいと思います。昭和16(1941)年12月、呉海軍工廠で当時の最先端技術を結集して建造されたのが戦艦大和でした。 昭和20(1945)年4月7日、空からの攻撃を受けて沈没。 近代戦術として"大艦巨砲主義"の時代の終焉を象徴するような戦闘でした。 しかし、戦後に大和の建造の技術は生き続け、船舶建造技術に留まらず自動車や家電品の生産など広い分野に応用され、戦後の日本の復興を支えたのでした。『真の平和とは、征服からも服従からも得られない』(祖父の言葉より)今日一日のほんのわずかな時間、平和について考えてみませんか。 クリックしてくださると、とっても嬉しいです! ●南近畿の春を感じる旅、そんな想い出に残る旅をしてみませんか●