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風雲 いざなみ日記

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判官的 古典文学のすすめ

2009年11月28日
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先日、米の品種改良のニュースに目がとまりをました。 中国産の品種と、東北の一部地域で栽培されている直立種をベースに、従来の稲よりも米の収穫量が倍増するという新品種の稲を開発中だそうです。 新品種開発に成功すれば、日本国内の食料自給率の改善になりますね。



開発に取り組んでいるのは、京都大学の客員教授で植物育種学の権威の徐正進氏と、秋田県の東北農業研究センターだそうで、こうした人たちの努力の積み重ねで、常に新しい末来が切り開かれ、技術は日々進歩して、磨かれてゆくものですね。



そのうち、"実れども 頭(こうべ)を垂れぬ 稲穂かな"という句が生まれそうで楽しみです。




実るほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな



学識が高く、徳や人格を持ち備えた人物ほど、相手に対して態度が謙虚であるということ。 また、人はたとえ成功して人の上に立ったり、富を得たとしても、人への感謝の心や、敬いの心を忘れてはいけないと俳諧の七五調に残した先人教えです。 経営者や政治家、官僚たち・・・ 役割を担い、一度権力を手中にすると、人は大切な多くの事を忘れてしまうものですね。



事業仕分けによって、ムダを省こうという理想や、政権与党となった民主党としてアピールし、政権が早く国民の理解を得たいと画する気持ちも理解できます。 けれども、あの一連の"演出たっぷり"の公開映像を目にした多くの国民には、省庁=諸悪と見えたのではありませんか。 しかし実際には、国家国民の利益を考え、を抱いて勤務する官僚も数多くいるのです。ひらめき 予算削減は重要。 でも、事業仕分けは"魔女狩り"ではないのです。



時が経つにつれ、わだつみ判官の目には、民主党政権の諸氏がまるで清盛平家の集団のように映ってきています。 



  蓮舫 聞いてるか?


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最終更新日  2009年11月28日 13時58分48秒
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2009年06月16日
(住吉大社)

昨日のつづきです・・・


そんな事があって十日が過ぎようとしていました。 毎日、仕事に精を出す女房のおさんを尻目に、治兵衛自身はどうにも仕事が手につかず、コタツに寝転がってその日その日を送っていました。 



そんな折、治兵衛の叔母と孫右衛門が、小春の身請け話の噂を聞いて、治兵衛のところにやって来ました。 ここ十日ほど、治兵衛は何処にも出かけておらず、恐らく、その身請け話は伊丹の太兵衛だと合点し、治兵衛とおさんは叔母にそう伝えます。 



叔母の方も、治兵衛とおさん言葉を信じたいのは山々でしたが、念のため、治兵衛には熊野権現の烏が刷られた起請文を書かせて帰って行きました。 



しかし、一旦は諦めたものの、心の底では小春を忘れられるハズもありません。 叔母と孫右衛門が帰ったあと、治兵衛はコタツに潜って、一人泣き伏してしまいます。 



女房のおさんは、そんな治兵衛の心を知って情けなく思いつつ、願いを聞き入れ、治兵衛を突き放してくれた小春との義理を考えて、伊丹の太兵衛に小春の身請けを勧めました。 こうして、おさんは商売用の銀四百匁と子供や自分の着物を質に入れてまで、小春の支度金を準備しようとしていたのでした。



しかし、間が悪い事が起きるもので、おさんの父、五左衛門がやって来ます。 五左衛門は、普段から治兵衛の無責任と放蕩振りを快く思っておらず、いくら直筆の起請文があっても治兵衛への不信感を拭うことはありませんでした。 



父としておさんを不憫に思い、治兵衛への怒りをあらわにして、五左衛門は無理矢理におさんを連れ帰り、離縁させてしまいます。 こうして、治兵衛が立ち直ってくれる事をひたすら願ったおさんの献身も、すべて無駄に終わってしまいました。



我が身から出た錆びとはいえ、小春への想いも断ち切れず、頼りにした女房のおさんにも去られた治兵衛は悲嘆に暮れ、益々思い詰めてしまいます。 絶望し、すべてを失った治兵衛の行く先は、小春のいる曽根崎新地以外にはありませんでした。



一度は別れたはず・・・ けれども治兵衛とは元々は恋仲・・・ 小春は、こうして逢いに来た治兵衛を口では咎めつつ、よくよく訳を聞けば、無碍に突き放すこともできず、いっそ、こんな世の中とはおさらばして、一緒に死んで欲しいと乞う治兵衛に、小春は心を動かされてしまいます。



そして、小春とあらかじめ示し合わせておいた治兵衛は、人目を忍んで、小春とともに蜆川から幾つかの橋渡り、網島の大長寺の境内に辿り着きました。 青い三日月が照るわずかな明かりの中で、二人は声を押し殺しながら、この世での最期を惜しんで情交を交わします。



そして、うっすらと空が白みはじめる頃、覚悟を決めた二人は、向かい合って俗世との縁を絶つために髪を切り、治兵衛は小春をグッと抱き寄せて、手にした脇差で小春の喉を一突きしました。 



息絶えた小春の着物の乱れを整えると、治兵衛自身は、尽くしてくれた女房のおさんへの義理立てのためか、一人紐で首を吊って果てました・・・




< あとがき >

この物語は、享保年間に実際に大阪で起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を描いた近松門左衛門の『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれごたつ)』を下地に、わだつみ判官が一部を脚色してあらすじを現代語でまとめてみました。



近松が描く、いわゆる世話物の中でもとくに秀作といえる作品で、歌舞伎では、近松半二によって改作され『心中紙屋治兵衛』が安永7年(1778)に上演されて以来、『時雨の炬燵』や現在の『河庄』として今も伝えられ上演されています。



近松作品を読むたびに、江戸時代の人の情の深さや、純粋さ、そして江戸文学の完成度の高さを感じます。 感情表現の豊かな近松門左衛門は、シェイクスピアを遥かに凌ぐ作家だと思います。



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最終更新日  2009年06月16日 23時33分22秒
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2009年06月15日
(中ノ島公会堂)


いつの時代も、男というものは愚かな生き物で、少しばかり商いも繁盛すると途端に遊びに興じたりします。わからん 



紙屋の治兵衛も、女房と二人の子がありながら、ここ三年ほどは曽根崎新地へ足繁く通うようになり、紀伊国屋の遊女の小春とすっかり馴染みの間柄になっていました。 客と遊女とはいえ、三年もの月日を重ね、情を交わせば、なかなか切れない仲となるものです。 このままでは治兵衛も小春も身を滅ぼしてしまうと、遊郭の主人までが気を揉んで、あれこれと理由をつけては二人の仲を裂こうとしました。



無理に裂こうとすればするほど、男と女は惹き合ったりするものです。 治兵衛と小春も、仲を裂かれ離、れ離れにされるようなら、その時は一緒に死のうと起請文を交わし、心中の誓いをしたのでした。



ある日、新地の河庄で、武家の客と同伴した小春でしたが、侍が小春と話をしようとしても、小春の方は心ここにあらずという感じで、口を開けば死ぬだの何だのと、物騒な事ばかりを言い出します。 そんな小春を不審に思った、侍は小春に訳を聞きました。 



すると小春は、馴染み客の治兵衛と心中の約束を交わしたものの、死にたくないと心境を打ち明け、侍に自分の馴染みになって治兵衛を諦めさせて欲しいと頼みます。 そして、小春が開いていた窓を閉めようとしたその時、格子の間からいきなり脇差が差し込まれます。



治兵衛の仕業でした。 治兵衛は、小春と心中しようと脇差を持ち、店の者たちの監視の目を潜り抜けて河庄にやって来て、たまたま二人の会話の一部始終を聞いてしまい、逆上して血迷ってしまったのでした。



侍は、咄嗟に治兵衛の手首をねじり、格子にくくり付けます。 間の悪いことに、治兵衛の恋敵の伊丹の太兵衛が河庄に来て、小春に想いを寄せる太兵衛は、ここぞとばかりに治兵衛の醜態を嘲笑いました。 



すると、侍は、今度は治兵衛を庇って、太兵衛を一喝して追い払いました。 実は、この時誰もが武家の客だと思い込んでいたのは、侍をよそおった治兵衛の実兄で、粉屋の孫右衛門だったのです。 孫右衛門は、商売が傾くほど小春に入れ揚げている治兵衛に怒り、遊郭通いをやめさせるために小春に逢うためにやって来たのでした。



事の次第を知り、落ち着きを取り戻した治兵衛は、兄の孫右衛門の前で小春とはきっぱり別れると約束し、小春から起請文も取り戻します。 



しかし、その中には治兵衛の妻から小春に宛てた手紙も添えられていたことから、小春の心変わりの真相を悟った孫右衛門は、密かに遊女小春の治兵衛を想う真心と、義理堅さを有難く思うのでした・・・




明日につづきます


わだつみ判官 現代解釈 近松門左衛門
『お初天神 月夜の逢う瀬』 判官バージョン

『女殺油地獄』上の巻(判官バージョン)

『女殺油地獄』下の巻(判官バージョン)









最終更新日  2009年06月15日 22時17分05秒
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