幻の帰雲城と黄金伝説
『飛騨国阿古白川と云所は、在家三百余軒の所なり、其時の地しんに、高山一つ欠け落ち、白川三百余の上に落懸りて、数百人の男女も三丈計の下に成、在所の上は草木もなき荒山とぞ成にけり』(三壺記より) ポチっとしてくださると喜んだりします。 国道156号は、かつて白川街道と呼ばれた道です。 御母衣ダムを過ぎ、平瀬温泉を抜けて北に向かい、国道から西には三方崩山(2,059メートル)、東に猿ヶ馬場山(1,827メートル)を見て、しばらく走ると右手に山頂近くが大きく崩壊したような山肌を見ることが出来ます。 これは、帰雲山崩壊地だといわれており、国道からも生々しい崩壊跡が見てとれます。 (三河戦国記HPより)それは、今から400年余り前のことです。 世界文化遺産にも登録される、合掌造りで有名な白川郷には、寛正六年(1465)、戦国時代、飛騨白川郷を統治した武将内ヶ嶋為氏が築いた"帰雲城(かえりぐもじょう)"という山城がありました。 天正十三年(1585)、秀吉の命を受けた金森長近が飛騨に侵攻しますが、三代目城主の内ヶ嶋氏理は、あっさりと金森氏に恭順して所領安堵を沙汰されたそうです。 こうして、戦国の世を切り抜けたかに見えた内ヶ嶋一族でしたが、1588年の天正の大地震によって帰雲山が頂上付近から崩落し、発生した山津波に呑み込まれて一族は帰雲城もろとも一夜にして滅亡し、城下の領民1,500人も全滅したといわれています。 また、土砂が庄川を堰き止めたため自然のダムが出現し、以降400年もの間、城の位置さえも正確に判らず放置されていました。 したがって、城の絵図や内ヶ嶋氏の資料なども一切残されていません。白川郷一帯には、昔から七つの金山があったといわれ、内ヶ嶋一族は120年間に渡って金を採掘し、帰雲城に蓄えていたと伝えられています。 内ヶ嶋氏は、古くは足利氏の銀閣寺の建立に際して黄金を献上、織田信長の安土城築城、豊臣秀吉の大阪城築城にも大量の黄金を献上したとされます。伝説通り、近郊の山々から採掘された金が帰雲城と共に埋まってしまったものとすると、その量は約2兆円とも推察されています。 数百年もの時の流れの中で、人々に忘れ去られていた幻の城は、こうして黄金の伝説と共に、にわかに注目を浴びるようになりました。 ポチっとしてくださると喜んだりします。