忘れない日々~その弐~普段いい加減で大雑把な私が細かく書けるのはその時に書くという事をしていないと、自分が支えきれなかったのと 「必ず良くなる!」 その時に彼女に眠っている間の事を知らせる気でいたから。 その後危篤になるまで記録を続けました。 その後夕方には義父母が、また義妹が駆けつけてくれました。 子供達のことを義妹に頼み、義父母と病院で待ち続けました。 途中、義父母の前で何度も泣いてしまいました。 19:40 手術終わり。一応成功。ただ問題は数日後に来るらしい。 (脳血管攣縮は数日後にやって来る、そこですべてが決まる) 20:30 帰る前にもう一度顔を見る・・・ガンバレ!! 21:40 帰宅。出来合いを買って帰るが喉通らず。 子供達を目の前に正座させ彼女の事を伝える。今の様子、そして 言いたくはなかったが最悪の事も。精一杯冷静に伝えた。つらかった。 23:20 床に就くがほとんど眠れず。目が覚める度に現実を知らされる。 翌日も順調な様子。夕方、待機してもらっていたが、実母に応援を頼む。 これから数日は非常に安定。院内だった分、処置が早かったのが幸いした と、淡い期待をする。 4日後の朝、子供達を送り出した後病院から電話。 容態急変。また血の気が引いてゆく。皆で駆けつける。 駆けつけると厳しい言葉が先生の口から。 見ると血圧は上が30台に。 自分に「しっかりしろしっかりしろ」と言いきかせるがダメ。 いろんな事が頭の中を駆け巡る。 先生の話もほとんど耳に入らない。 話が終わるとすぐ学校へ電話 父母達に手分けしてタクシーで迎えに行ってもらう。 それまではショックが大きいと思い、子供達には彼女を会わせなかった。 でももう、そんな事は言っていられない。二人をICUに連れて入るが 自然と涙がこぼれていた。 義妹がやってきた「あきらめたらダメ」みんなを元気付けてくれた。 みんなで声をかけた。薬のせいもあるが血圧が80台まで戻った。 その日は奇跡的に持ち直した。でも内心は覚悟をした。 もう、身体の中、頭の中はボロボロだろうと。 この日から病院に泊まることにした。少しでも近くに居たかった。 少しでも長く居たかった。森羅万象すべてのものに祈った。 ICUなのに枕元は子供達が選んだ物でいっぱいになった。 この頃は、重病でも一般病棟にいる人をうらやんだ。 後になって「愛と死別の掲示板」等で他の人の大変さを知るまでは 一番不幸だと思っていた。 「その日」の前日手帳に書き留めていた。 「○○、俺は今、戸惑っています。君が出した宿題の意味を考えあぐねています。でも、俺は君の事を心の底から愛し感謝しています。実際俺がいくら感謝しても感謝しきれないと、思っています。でも今、とにかく君の生還を祈り続けます。結果がどうであれ君の事をこの世で一番愛する人間として祈り続けます。それは俺と君の本当の気持ちだから。静かに粘り強く祈ります。そしてすべてを受け入れます。今までの事を神様、ご先祖様、それからこの大自然に感謝しながら。 H16.10.3 PM5:00頃 」 そして「その日」がやってきます。 ジャンル別一覧
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