ぼくは麻理のなか 8 押見修造
7巻あたりから、麻理の多重人格説が出てきた。 今、麻理の中の小森が、本当の小森でなく、麻理が自分で作り上げた別人格なら、いろいろな辻褄が合ってくる気がする。本物の小森の体の中に、ちゃんと小森がいること。1・2巻あたりで麻理の中の小森が、麻理が小森のことを知っていて謎に思っていたことも、自作自演だとしたら、そんなに不思議でもない。小森としての記憶も、あくまで、小森を観察していた範囲内での記憶なのだ、きっと。 以前、SFまがいの設定を考えてみたけど、きっとそういう心理的なものの説明で解決していくのだろう。1巻冒頭の、小森の視点からの物語の開始も、読者を欺くための手法で、あれもきっと麻理の視点であったのだろう。 にほんブログ村 →トップに戻る