|
カテゴリ:カテゴリ未分類
【スタッフ】 監督=新藤兼人 脚本=新藤兼人 原作=永井荷風 撮影=三宅義行 美術=重田重盛 音楽=林 光 録音=武 進 照明=山下 博 編集=渡辺行夫、近藤光雄 【キャスト】 津川雅彦=永井荷風 墨田ユキ=お雪 原田大二郎 =永井素川 瀬尾智美=お歌 八神康子=黒沢きみ 浅利香津代 =真砂の女将 乙羽信子=まさ 佐藤 慶=刑事 井川比佐志 =菊地寛 戸浦六宏=取り巻き 上田耕一=中年の男 河原崎長一郎=竹さん 浜村 淳=鮫や 角川 博=艶歌師 河原崎次郎 =たかり 宮崎美子=お久 杉村春子=荷風の母 【あらすじ】 1879年、 良家の長男として生まれ育った『永井荷風』 父の意向に反し早くから文学の道を志した 荷風文学の真髄は女性を描くことで、特に社会の底辺に生きる女性達に目が向けられた そのため紅燈に親しむことも多く、「荷風」は文人たちから遊蕩児とみなされた 文壇という特殊世界に入って文士と交わることを嫌い、 究極において紳士である「荷風」は、常に女性から手痛い被害を被る それは女性に真の愛を求める「荷風」の人生への探究でもあった やがて玉ノ井の『お雪』と出会った「荷風」は、社会底辺の世界に生きながらも清らかな 心をもった彼女に、運命的なものを感じる しかし、57歳の「荷風」にとって、年のひらきのある「お雪」と結婚するには、 互いの境遇が違い過ぎた それでも「お雪」の純情さに惹かれた「荷風」は、彼女と結婚の約束をする だが、昭和20年3月10日 東京大空襲の戦火に巻き込まれて、二人は別れ別れになってしまう 戦後、昭和27年のある日、「お雪」は新聞で「荷風」が文化勲章受章者の中にいるのを見て 驚くが、あの人がまさかこんな偉い人ではないだろうと、人違いだときめてしまうのだが・・・・・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「永井荷風」の最高傑作と言われる「濹東綺譚」 その原作に「断腸亭日乗」のエピソードを加え 当時79才の「新藤兼人」監督が脚本を書き、撮った映画 57才頃の「荷風」を 当時52才の「津川雅彦」が演じた どうなんだろう? オイラと同じ1940年生まれの「津川雅彦」 デビュー当時の美少年は成人し・・・・ 真面目なオイラとは違い 女遊びは得意とするトコロだろうが 玉ノ井の娼婦に入れあげ とことん遊ぶ 将に放蕩児 それも後に文化勲章迄戴いた文化人がベースの“粋人”として 新藤監督が描きたかったのは「永井荷風」の“生き様”そして“死に様” 劇中で、老いを感じて悲観する「荷風」が綴る一節 「芸術の制作欲は肉欲と同じきものの如し 肉欲老年に及びて薄弱となるに従い 芸術の欲もまた冷めゆくは当然のことならん」 聴いたところによると 「新藤監督」が初対面の「津川雅彦」に言った 「荷風は女に性欲を感じなくなったら、もう小説は書けなくなると思っていたんですよね」 そこで「津川」は「監督はどうなんです?」と切り返す と 「監督」は「性力はありませんが、性欲はあります」 なんとも流石の会話ですねェ この作品を撮る気になった79才監督の心境で描く“生き様” オイラなんかが色気づいた18才の頃(1958年) 売春防止法が施行され 赤線が失くなった 歓楽街の赤いネオンの誘惑に惹かれていたが 残念乍・・・・ 映画の前半は三人のオンナとの絡み 小説家の主人公「永井荷風」(津川雅彦) 自宅に住み込み、せっせと尽くす『お歌』(瀬尾智美) と 銀座のカフェの女給で 金をむしり取ろうと押しかける『お久』(宮崎美子) そして メイキングラブのいい女『黒沢きみ』(八神康子) 次から次へと、遊びまく り、小説ネタに・・・・ 「実の母」(杉村春子)「女はなぐさみものと思っていらっしゃるのね」 「荷風」「肉体の歓喜を与えない女はどうして女の値打ちがありましょうや 僕は、文学と僕の女は一体なのです だから、家庭なんかに縛られたくないのです 子孫繁栄を望みません 子供なんか、僕の文学には邪魔なんです」 持論なんだろうけど 何とも身勝手な話で この映画での荷風は 唯の〇〇オヤジ 映画が30分を過ぎた頃 やっと現れる娼婦の『お雪』(墨田ユキ) なんともいえぬ 当時だからこそのイイ女 肌は抜けるように白く 細身で柳腰 憂いを含むうりざね顔は 竹久夢二の美人画から抜け出たよう 色街 玉ノ井だからこその情景と時代背景 その人情味溢れる空間をバックに とことん尽くす事で男を虜にする この女優「墨田ユキ」の存在が光り輝いた映画 置屋のかあさん『まさ』(乙羽信子)との連携プレイも決まって・・・・ 終戦後 二人が浅草を 如何にもな派手な服装で歩いてる姿に 笑っちゃう そして 荷風が文化勲章を受賞して 新聞に載ってる写真を見た二人 「ナ~さんに似てるけど あのエロ写真屋が まさかネエ」と 全く信じない ラスト 狭い畳の部屋で血を吐いて倒れてる「荷風」に ナレーションが・・・・ 「余 死するの時 後の人、もし墓を建てぬと思わば かの浄閑寺の空域 媼妓の墓乱れ倒れたる間選びて 一片の石を建てよ 石の高さ五尺を超えるべからず 名は“荷風散人墓” 五文字を以って足れりとすべし」 昭和三十四年四月三十日 永井荷風 死す 享年七十九才 病名胃潰瘍 やりたい放題の人生の結末は孤独死 幸せな男の一生だった? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 庭の椿が満開 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月25日 09時37分48秒
コメント(0) | コメントを書く |