98:日本の誇るべき偉業と、敗戦後の第124代昭和天皇のお姿
アメリカとの戦争に敗れてしまった日本。しかし、日本が戦ったことによって、世界史を塗り替える大偉業を果たしたのです。【アジアの独立】日本は大戦中、東亜の独立を謳いました。当時、世界は欧米列強の植民地施策真っ只中で、日本以外ではタイがかろうじて独立を保っているにすぎませんでした。(支那は内戦で分断状態です。タイも、イギリス領のビルマ、フランス領のインドシナに挟まれる緩衝地帯として生かされていたにすぎません。)人種差別撤廃を提案した日本は、アジアの真の独立を願いました。勿論、一番は自存自衛の戦争でしたが、欧米列強の世界を変えるため、アジアの独立を後押しして欧米の力を削ごうとしました。敗戦後も、舞い戻って再度支配しようとした欧米を追い払い、完全独立のため、現地に残って戦い続けた日本兵も多くいました。結果、敗戦後、アジアは次々と独立。1945年インドネシア1946年フィリピン1947年インド、パキスタン1948年ビルマ、セイロン、マラヤ連邦1950年ベトナム、ラオス、カンボジアアジアの指導者たちの言葉を見ればそれが分かるというものです。日本は世界史を塗り替える程の業績を残したのです。・明治維新という近代化の成功・日露戦争による勝利・大東亜戦争を通じてのアジアの独立これらは世界に誇るべき奇跡です。【日本が防ぎたかった共産主義が世界で蔓延】日本は自存自衛のために米英と戦ったわけですが、共産主義とも戦っていました。この戦いは、ロシア帝国滅亡後に誕生したソ連におけるシベリア出兵より始まります。何と言っても皇帝を殺した共産主義は、天皇制を頂く日本には真逆の考え方でした。このため、ソ連を仮想敵国とし、共産化した横暴が目に余る支那とは戦いをしていかざるを得ませんでした。しかし、敗戦により、結果的に共産主義が世界に蔓延することになります。支那では、勝者であるはずの蒋介石が、共産党の毛沢東に追われます。毛沢東は日本が引き上げた後、真っ先に満州を狙います。日本が多大な投資をして発展したこの地域が欲しかったわけです。満州を抑えた毛沢東は、蒋介石を台湾へ追いやり、1949年、共産党による中華人民共和国が誕生してしまうのです。そして今現在も、変わらず約束を守らない横暴国家のままです。ただ当時と違うのが、核も持ち、アメリカに次ぐ軍事国家となってしまっているので、昔以上にたちが悪いでしょう。朝鮮も南北に国家が分かれることになりました。北は共産国家で、国民生活を顧みないまま、ミサイルをどんどんぶっぱなしています。南は北よりは割と会話が成り立つのかもしれませんが、恥を知らない国家です。戦前は日本人として戦ったくせに、敗戦後は手のひら返しの被害者面。口を開けば、賠償しろ!謝れ!困ったら「日本助けて~」の国です。そして共産国家バリバリのソ連。この国は崩壊しましたが、新たにできたロシア連邦も世界の嫌われ者です。というより国が変わっても、中身は変わらないのです。8/6、日本が原爆を広島に落とされてから、8/8に日ソ中立条約を破って満州や千島列島に侵攻します。8/15のポツダム宣言受諾以降に北方領土を侵略し、調印日の9/2以降も侵攻。4島を占領。今に至る・・・この侵略の際、多くの日本人を捕虜・奴隷としてシベリア抑留させます。弱いと見るや軽々と侵攻してくるのは、ウクライナのクリミア半島を見ていたらよく分かります。そして北方領土には住民を住まわせ、自国の既成事実を作る。領空・領海の侵犯を繰り返し、自国領という既成事実を作るどこかの国と同じですね。ロシア帝国もソ連もロシアも同じなのです。日本がロシアを恐れて、倒幕・明治維新を起こしてまで近代化を図ろうとしたのがよく分かるというものです。中国・朝鮮・ロシア。防共のため日本が戦ってきたわけですが、その日本を倒した後、防共の矢面に立ったのがアメリカです。アメリカは何のために日本を潰したんでしょうか。。。もう二度と戦争はしません!という憲法を作らせておいて、朝鮮戦争が起こるや警察予備隊→保安隊→自衛隊 を作らせています。その後、世界は 資本主義のアメリカ VS 共産主義のソ連 という冷戦を迎えることになるのです。日本を潰したことで、結果的に世界で共産主義が蔓延しました。歴史は後世が評価をする と考えた時、アジアの独立を果たしたこと、敗戦後に共産主義が蔓延したこと敗北を恥じることなく、むしろ日本人の誇りを取り戻さなくてはなりません。(アメリカの占領軍最高司令官:マッカーサーは、後の朝鮮分裂を目のあたりにして、あの時の日本は自存自衛のために戦ったと、日本の正当性を認めました。)【歴史上の為政者とは違う昭和天皇】古今東西、為政者は自分の身に何かあった時の保身だけはしっかりしています。捕まった時でも、自分だけは悪くない と言うものです。しかし、神代の御代より続く天皇、第124代昭和天皇は違いました。「戦争の遂行にあたっての全ての決定と行動に対する全責任を負う」と、マッカーサーとの会談で述べたと云います。開戦の責任は内閣にあります。昭和天皇は戦争に反対でしたし、いつも平和主義者でした。日本政府も開戦は避けたかったのですが、外交の失敗と、アメリカの嫌がらせ、支那の横暴、ソ連の暗躍、ドイツに振り回され、開戦やむなきに至り嵌められました。それを全て飲み込んで、自分が全責任を取ると仰せになったのです。【戦後、日本国民の傍にいた昭和天皇】日本国民に対しても誠実に向き合いました。焼野原となり何もかもが無くなってしまった日本国民を元気づけるため、1946年2月~1954年8月の8年半をかけて全国を行幸し、国民に勇気を与え続けました(アメリカの統治下であった沖縄県を除く。沖縄行幸は次の第125代平成天皇がなされました)。日本国民にとって、天皇とは「偉い雲の上の権力者」ではなく、寄り添う日本国民の父のような存在なのです。天皇は太古の御代より、日本国民の安寧を願う存在なのです。そして1955年より高度経済成長に入り、1960年代後半にはアメリカに次ぐ世界2位の経済大国になります。焼野原の敗戦からわずか20年程のことです。まさに日本は奇跡の復興を遂げるのです。勿論、日本国民の頑張りの賜物ですが、その背景に天皇の存在があります。幕末、欧米列強による外圧がありながらも、奇跡の近代化を成し遂げたのも、天皇の存在がありました。日本にとって、天皇制は宝なのです。天皇を中心に日本人を日本人たらしめ、一つにまとまってきたのです。このことをマッカーサーは、占領期から感じていました。だから天皇を潰しては日本がかえって大混乱になると判断したのです。更に、昭和天皇との会談での姿勢に感銘を受けたことが、天皇制廃止に動かなかった要因でしょう。昭和天皇は、戦争末期、内閣が機能不全に陥り、もはや戦争を終わらせることすらできなくなった時も、終戦をご決断されました。そしてまた、敗戦後のボロボロになった日本を立て直されました。124代の歴史の中でも非常に波乱に満ち・偉大な天皇であったと思うのです。