暖かい機械
家具販売の残務整理もほぼ終わった3月下旬のある日、机の引き出しの奥に眠っていた祖父の形見に目がとまった。もう50年以上も動いていない懐中時計だ。祖父はかつて横浜、サンフランシスコ間の客船のバンドでクラリネットを吹いていた。東洋音大を出た祖父の腕前は当時かなりのものだったそうだ。70で亡くなったとき、私は小学校1年だった。私の知る祖父は、手ぬぐいを頭にかぶってただぶらぶらしているだけの偏屈ものだった。ウイスキーのビンに放散水を入れて毎日うがいをしていた。楽器はとうの昔に処分していて、クラリネットについて話すのを聞いた覚えはない。高い棚の上に革の大きなボストンバッグがほこりをかぶって置いてあった。祖父の持ち物といったらそのぐらいしか印象にない。懐中時計はおそらくアメリカで買ったのだろう。私がいつもらいうけたのか記憶にない。生前に祖父から直接もらったのかも知れないし、死後親からもらったのかも知れない。もらったときすでに動かなくなっていたのははっきり覚えている。外側の金属面は一面さびて灰白色に曇っていた。子供の私は時々それを手にとっては眺めた。その度に動けばいいのにと思った。中をのぞきたいといろいろ試していると、裏蓋がネジ式で開けられるのを知った。開けてみると仕掛けの精巧さに驚いた。しかもその表面には、"Waltham, Mass. 17 Jewels"という飾り文字の刻印とともに、きれいな波型の文様が幾重にも細工されていた。思いがけぬ美しさに目を見張った。その後もそれは、壊れた蓄音機のカートリッジや、レンズやイヤホンや、小さなゲルマニウムラジオなどとともに私の宝箱の中にしまわれていた。年を経るに従ってその中身はほとんど処分されていったが、懐中時計だけはかろうじて多くの引越しをも生き延び、今まで保管され続けたのだ。先日、久しぶりに私の目にとまった懐中時計は、昔と全く変わらない顔をしていた。まさに時が止まっていたかのように。思い立ってインターネットで調べてみると、古い時計を修理する時計屋がいくつか見つかり、そのうちで最も信用の置けそうな一店に修理を頼むことにした。数回のメールのやり取りを経て、福山市のさとう時計店に時計を送ると、数日後、正確に動くWalthamが帰ってきた。金属磨きで丁寧にケースを磨くと、白けた錆の下から滑らかな銀の光沢が甦った。時計は50年の長い眠りから目覚め、生き返った。今、祖父の形見は私のズボンのポケットの中で、チッ、チッ、と密かに時を刻んでいる。それを取り出して手のひらの上で時を読む私は、得も言われぬ安らぎに満たされる。すべすべとした銀側の感触。その表面のしっとりと落着いた光沢。文字盤についた幾筋かのひび割れ。古風な字体の数字。手のひらのくぼみにそっくり馴染む丸みと大きさ。それらすべてが今の工業製品にない美しさでもって私の心を暖めてくれる。実はそれだけではなかった。やっといま気が付いた。冷たいはずのその金属の塊は、私の手の上で物理的にも実際に暖かいことを。腕時計では決してこういうことはない。懐中時計は、常に持ち主のポケットの中で人の体温に同化して作動している。時を知ろうと手に取ればそれは確かに暖かいのだ。まさに懐中時計。私はこんなに暖かい機械を初めて知った。