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カテゴリ:私とダンナの物語
整体師になったころはとにかく「肉体」が面白かった。
体の姿勢にもその人の個性があり、訴えがあり、もろさや弱点も体に現れているのがわかったからだ。 解剖学が大好きだった。 人体そのものの構造に神秘と見事さと感動を感じていた。 でもいつの間にか私は「読み取る」範囲が広くなっていた。 整体師として人に接しているはずなのについ感じ取ったその人の言葉ではない訴えに、なるべく変ではないように「あのさー、最近こう思うことがあるんだけど…。」というように話しかけている自分が多くなっていってしまっていた。 よく「え?どうして今、私が今悩んでいることがわかるんですか?」と言われたり 「先生ってそのうち渋谷のセンター街で机出して座っているんじゃないの?(つまり占い師みたいになっているということ)」と言われた。 「それだけは絶対ないよーーー。」とそれにこたえて笑っていたのだけれど…。 名前を見るとなんとなくその人のことがわかる。 今でもうまく言えないのだけれど、じーっとその名前を見ていると図形が浮かぶのだ。 それも自分の日常、でそんなことをしていないのは今でもだ。 でも、自分が”あるモード”に入るとその図形が浮かんでくる。 そのモードが何をきっかけに作動するのかも今でもわからない。 簡単に言うと自分のこと以外で「その気に」なったら作動するのだ。 これがわかったのは20代前半のころの友達同士での「飲み会」の時だ。 そう、私は子どもの頃の体験で宗教家とか、 占い師には絶対になりたくなかったのだ。 ずっとずっと絶対にイヤだ、と思っていたのだ。 宗教は父母の離婚の大きな要因となったもの、としての疑問と反発。 占い師になりたくなかったのは「すごくいいかげんな人々だ。」という気がしていたから。 そして祖父が近所の人の動向を読み当てるので怖がられ、煙たがられているのにもかかわらず、その人たちが困ったときだけ祖父のいつも座っている縁側にそっと来てあれこれと相談しているのを見ていたからだ。 祖父が普段煙たがられていたのは、今から思えば口調がきつく全てを断言する言い方をしていたせいもあるとは思う。 でも子どものときは「困ったときばっかり人が来る。」というのがなんだか祖父が利用されている、というか祖父がかわいそうな気がしていたからだ。 それなのに自分も二十代になって気の置けない友人たちができたときに、 お酒が入って気が大きくなって楽しい気持ちでいる飲み会などの場では 「最近、彼氏ができたんだけどさーーー。なんだかよくわからないんだよねー。」とかと友人に言われると 「へーーー。その人なんて名前の人?」と名前を聞くと、自分でもどうしてそうなるのかはわからないのに目の前に図形が浮かぶ。 それは動いている図形で、その形や形状と動き方で 「その人ってこういう人じゃないの?」と言えてしまうのだ。 もちろん、その人の具体的な姿形が見えるわけではない。 でも粒子のような形状とその動き方、でそう思ってしまうのだ。 友人から「あんたどうしてその人がそうだってわかるの?当たってるぅー?」とか言われ 「じゃ、この人は?じゃ、この名前の人は?」と次々言われて 「うーん、この名前の人はこんな感じ。」 「ああ、この人はせっかちで忙しくて止まってない人。ちょっと完璧主義者っぽい。」とか言っていると「やっぱり全部当たってるーーーー。」と言われた。 どうしてそうなってしまうのか自分でもわからない。 これは整体もいいけれど、心理学とか神秘学とかちゃんと勉強したほうがいいのではないか?と思ってはいたけれどどこへ行ったらいいのかわからない。 大学へ行くのはお金もなく気持ちが乗るようで乗らなかった。 さぁ、どこへ行こう?何をしよう?こんな自分をいったいどうすればいいのだ? そんな迷いを感じているうちに私はある非営利の団体と出会ったのだ。 その流れで私はいよいよネイティブアメリカンとの縁に向かって動いていくことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年10月04日 00時30分12秒
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