息子よ、私をas like CWニコルの母にしてくれてありがとう
息子は無事、NIC インターナショナルスクールの成績不良による居残り=4学期を追え、今週、アメリカに旅立つ。つーーーーか米国に「帰国」なさる。ホームステイしてコミュニティ・カレッジに通学するだけだから、他の日本の友達たちの「留学」と変わらない。二重国籍である、ということは雑多な点からするならば、有利だったり、逆にちょっとめんどくさかったりする。約20年この子を見てきた自分からすると、きっとこの子は大丈夫なんだろう、と思う。目立った、際立ったものがあったわけじゃないが好きなことしかしない。その反面、片手はないわ、超アレルギーだわ、そういうマイナスの点では際立ってはいないかもしれないが、あれこれ厄介なものをあれこれ私が与えてしまった。私がそう産んだ。彼はそう生まれた。私がこの子の年齢のとき、女性誌は「女の自立」をうたてった。これからは「女が輝かないと!」みたいなことをファッション誌でガンガンうたっていた。たぶん、雑誌の「MORE]だったと記憶してるんだが、なんだか作家の五木寛之さんと、CWニコルさんの特集が多く、きっと私はそういう記事に影響されまくった。その中でCWニコルさんの書かれていたある記事が、当時、18歳くらいだった私には感動的だった。私の記憶では、その記事は彼はカナダの母子家庭に育ち、「お母さんを見捨てることはできない。」とずっと思っていた。でも、だんだんに世界に興味が湧いて、カナダ以外の所にも行きたい、と思うようになった。でも、「母から離れ、放って置くことはできない。」と思っていたらある日、そのお母さんから言われたそうだ。”あのさ、お前、遠くを旅してみたいと思っているだろう。世界を見たいと思っているだろう。でも、私を見捨てることはできないと思っているだろう。いいんだ、世界を見てきなさい。私から離れて遠くを見てきなさい。””あのね、私は男の子を産んだ。だから、いつかそういう日が来るのはわかってたんだよ。私は男の子を産んだ。男は世界を見てきなさい。”うろ覚えなんだけど、そういう内容だったと記憶してる。だからニコルさんはカナダから旅立てた、と。18歳だった私は「このお母さん、ちょーーーーカッコいい!」と思った。そして、いつか自分がもし、男の子を産んだら、同じことを言うんだ!!!と憧れた。そう言えたら幸せだ!と。息子よ、ありがとうございます。私は、今、それを言えるのです。ニコルさんとお前が違う所は自分で世界に旅立つためのカネを貯めたニコルさんとは違い、てめーは、まだ私に頼っていることであり、そこは私の至らぬところなのでしょう。でも、そんなこといいじゃん。18歳で私が読み切れなかったニコルさんの母の気持ちがあるのだとしたらそれは「我が子というものは、生きてさえいてくれたらどこに居ようが、その分の、なんかイイものを母親というものに、生まれて20年以内に、「もうとっくにくれたんだ。」というような「もうこれまでで充分でございます、あざっした!」というような子に対する感謝の気持ちなのである。あざっした、ケアシュカ。ま、きっとこれからもしばらくは、キミは私から金をむしりとっていくし「はーーー?」ってこと言うんだろうしいいんじゃない?キミがいなくなったら寂しいが母は母で忙しいので、きっと。キミの父の思いと君自身の命運がキミをきっと導くよ。そう信じたいな。母の愛は女の愛と違うね。女の愛は Don't leave me なのかもしれないが母の愛は You have to leave me, don't believe me, you have to believe your ounself私から離れなさい、私を信じなくていい、あなた自身を信じなさい、なのかもね。