2010/10/24(日)20:02
東洋のマチュピチュ~別子銅山跡
今日も本題から。
東洋のマチュピチュと呼ばれる愛媛県の別子銅山跡は、幻想的でした!
進水式の前日、早朝に大阪を出発して、明石海峡大橋から鳴門大橋(眼下に渦潮が見えました!)を通って、高松道を快適ドライブ。
昼過ぎ、世界的産業遺産の里マイントピア別子に到着。
大型バスは入れない東平(とうなる)ゾーンへ行くために、マイクロバスに分乗。
細い山道を30分。
到着したのが東洋のマチュピチュと呼ばれる銅山の跡です。
日本三大銅山のひとつです。地上千メートル、地下千メートルまで掘りつくされ、銅山としての役目を終えた後に、放置されていた産業遺産を蘇らせた場所です。
明治維新以前から、日本の経済を支え、住友財閥の基礎を築いた場所でもあります。
マチュピチュと同じく、山の中に忽然とひとつの発達した町があったんですね。
住友財閥の方針で、山の上でも、都市部にいるのと同等の生活を保障するということで、劇場・学校・病院などに一流の人を集め、鉱山の人々の生活を守ったそうです。
そして、鉱毒水による公害が出ないように水路にはかなり設備投資されました。
ただし、精錬のための煙害で、山の木がほとんど枯れてしまったそうです。
閉山されてから、住友グループの社員が、1本1本植林し、今では山は緑豊かに蘇っています。
そして、男だけの世界ではなく、家族で移り住むことが基本とされ、女性も鉱石の選別や運搬などの仕事に関わっていたそうです。
鉱石をここから落として、下の広い場所で選別。索道の鉄道を使って、
下の端出場(はでば)まで運ばれます。また、一時鉱石を置いておく、貯蔵庫跡も現存しています。
また、生活物資などは、今は階段になっているインクラインを使って運ばれてきました。
こうして見ると、かなーり古い遺跡のように感じますが、この銅山が最終的に閉山したのは1968年(昭和43年)。今から42年前。日本にも鉱山はたくさんあったんですよね。
山を下りて端出場地区に戻ると、トロッコ電車に乗って、観光坑道見学です。
元ダイナマイト貯蔵庫を利用した展示トンネル。
おまけですが、愛媛といえば伊予甘。はい、ここにもご当地ソフトクリームがありますよ。
200円だったので珍しく、食べてみることに!
うん、いい香り。夕食までのいい繋ぎになってくれました。
このあと、しまなみ街道を通って福山に向かいました。
残念ながら曇り空だったので夕陽は楽しめなかったけど、小島を繋いでかけられた多くの橋。瀬戸内海の美しい風景は、見応え充分でした。
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