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正法眼蔵読解&世界におけるユニークな日本文明

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2025.01.06
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カテゴリ:正法眼蔵


〔聞書私訳〕

/近頃の禅僧が盛んに修行僧に示す言葉では、今問法に来たその人自身(主人)が、「却知有」(却って有ることを知る)に当たる、法を問い法を学ぶからである。お伴の若い僧こそ「不知有」(有ることを知らず)であるので「三世諸仏」と言うのだなどと言うが、これは信じ難いことである。





「大地全収のまなこ」があって、「眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なるゆゑに」こそ、「不知有を保任せる三世諸仏あり」と許されるのである。すべて不学・不知であれというのではないのである。







〔『正法眼蔵』私訳〕


さらに、収束したり放散しない光明がある、


僧堂・仏殿・庫裡・三門、それぞれが光明そのものである。


(さらに收放にあらざる光明あり、僧堂仏殿廚庫山門なり。)


〔万物はそれぞれ自己の光明を放っている。白菊は白く光明を放ち、


紅葉は赤く光明を放つ。人もやはり光明を放っているのだ。〕





さらに言えば、行仏(たった今を行ずる身心)には、


十方に通達する眼があり、大地を全て収める眼がある。


(さらに十方通のまなこあり、大地全收のまなこあり。)




心の前(記憶の過去)があり、心の後(観念の未来)があるというが、


みな”たった今”あるだけである。


(心のまへあり、心のうしろあり。)〔過去を悔やんだり、未来を心配したりするのも、たった今そういう思いが浮かんだだけである。〕





このように眼耳鼻舌身意の光明の功徳が盛んであるから、


たった今以外のどんなものも有ることを知らない(不知有)


という境地を保っている三世の諸仏があり、



たった今以外のものも却って有ることを知っている(却知有)


などど言う狸や白牛の輩もいる。



(かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なるゆゑに、


不知有を保任せる三世諸仏あり、却知有を投機せる貍奴白牯あり。)





このつかまえどころがあり、この眼があるのは、


​(たった今)​が行仏(たった今を行ずる身心)を説き、


法が行仏を許すからである。



(この巴鼻あり、この眼睛あるは、法の行仏をとき、法の行仏をゆるすなり。)






                           合掌






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最終更新日  2025.01.06 09:21:27
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