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テーマ:仏教について思うこと(1349)
カテゴリ:正法眼蔵
『正法眼蔵』原文〕 しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。
いはゆる「仏光非青黄赤白等ショウコウシャクビャクトウ」の道ドウ、 いかにあるべしとか学しきたれる。 卿もし青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、 さらに仏光をみて青黄赤白とすることなかれ。 憲宗皇帝もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。 〔『正法眼蔵』私訳〕 そうではあるが、文公はまだ仏書を十分見聞していないところがある。 (しかありといへども、韓文公なほ仏書を見聞せざるところあり。) ここでいう「仏光は青黄赤白にあらず」という言葉を、 どのようなものであると学んできたのであろうか。 (いはゆる仏光非青黄赤白等の道、いかにあるべしとか学しきたれる。) 「貴公がもし青黄赤白を見て仏光ではないと参学する力があれば、 その上に、仏光を見て青黄赤白と見てはならない」。 (卿もし青黄赤白をみて仏光にあらずと参学するちからあらば、 さらに仏光をみて青黄赤白とすることなかれ。) 憲宗皇帝がもし仏祖であったならば、 このようなお尋ねがあったはずである。 (憲宗皇帝もし仏祖ならんには、かくのごとくの宣問ありぬべし。) 仏光を見て青黄赤白と見てはならない『第十五光明』15-2-3b 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.01.16 09:26:13
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