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テーマ:仏教について思うこと(1383)
カテゴリ:正法眼蔵
〔『正法眼蔵』原文〕 江西コウゼイ馬祖バソの坐禅することは二十年なり。
これ南嶽の密印を稟受ボンジュするなり。
伝法済人デンポウ サイニンのとき、坐禅をさしおくと道取せず。
参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。
普請作務フシン サムのところに、かならず先赴センプす。
老にいたりて懈惓ケゲンせず。いまの臨済リンザイは江西の流リュウなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 江西コウゼイ(揚子江中流の南岸の地)の馬祖道一禅師は、 坐禅をつとめること二十年であった。 (江西馬祖の坐禅することは二十年なり。)
その坐禅は南嶽懐譲禅師から親しく仏心印(仏の心そのもの)を受け取ったのである。 (これ南嶽の密印を稟受するなり。)
法を伝え人を救うとき、坐禅を差し置くと言わず坐禅のしづめであった。 (伝法済人のとき、坐禅をさしおくと道取せず。)
参禅学道の雲水がはじめて来たときには、 必ず坐禅をさせ仏心印を親しく受けさせた。 (参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。)
大衆ダイシュ全員を請ショウして行う作務のときには、必ず率先して赴いた。 (普請作務のところに、かならず先赴す。)
老年になっても怠ることはなかった。 (老にいたりて懈惓せず。)
今の臨済宗は、この江西の流れである。 (いまの臨済は江西の流なり。)
〔『抄』私訳〕 「江西馬祖」の段、文の通りである。
合掌 馬祖道一禅師は坐禅をつとめること二十年であった『正法眼蔵第十六行持』16-6お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.03.02 08:51:44
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