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正法眼蔵読解&世界におけるユニークな日本文明

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2026.03.12
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カテゴリ:正法眼蔵

趙州ジョウシュウ観音院真際シンサイ大師従諗ジュウシン和尚、

とし六十一歳なりしに、はじめて発心求道ホッシン グドウをこころざす。

 

瓶錫ビョウシャクをたづさへて行脚アンギャし、遍歴諸方するに、

つねにみづからいはく、

「七歳童子、若勝我者、我即問伊。百歳老翁、不及我者、我即教他

《七歳の童子なりとも、若し我よりも勝れば、我ワレ即ち伊カレに問うべし。

百歳の老翁なりとも、我に及ばざれば、我即ち他カレを教ふべし》」。                                     

かくのごとくして南泉の道を学得する功夫クフウ、すなはち二十年なり。

年至ネンシ八十のとき、はじめて趙州城東観音院に住して、

人天ニンデンを化導ケドウすること四十年来なり。

いまだかつて一封の書をもて檀那ダンナにつけず。

僧堂おほきならず、前架なし、後架コウカなし。

あるとき牀脚ジョウキャクをれき。

一隻イッセキの焼断ショウダンの燼木ジンボクを、縄をもてこれをゆひつけて、

年月を経歴キョウリャクし修行するに、知事、この床脚をかへんと請ショウずるに、

趙州ゆるさず。

古仏の家風、きくべし。                                 

趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり。

正法正伝ショウボウ ショウデンせり。

諸人これを古仏といふ。

いまだ正法正伝せざらん余人ヨニンは師よりもかろかるべし。

いまだ八旬にいたらざらん余人は師よりも強健ゴウコンなるべし。

壮年にして軽爾キョウニならんわれら、なんぞ老年の崇重ソウヂュウなると

ひとしからん、はげみて弁道行持すべきなり。 

〔『正法眼蔵』私訳〕                       

趙州観音院の真際大師従諗和尚は、六十一歳のときに

始めて菩提心を発こし菩提道を求めることを志した。

(趙州観音院真際大師従諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて発心求道をこころざす。) 

浄瓶ジョウビョウ(水を入れる器)と錫杖シャクジョウ(行脚に使う杖)を携えて行脚(諸国を巡り歩いて修行する)し、諸方を遍歴するときに、常に自ら言った、

「七歳の童子であっても、もし我より勝れていれば、我は彼に尋ねよう。

百歳の老翁であっても、我に及ばないなら、我は彼に教しえよう」。

(瓶錫をたづさへて行脚し、遍歴諸方するに、つねにみづからいはく、「七歳童子、若勝我者、我即問伊。百歳老翁、不及我者、我即教他《七歳の童子なりとも、若し我よりも勝れば、我即ち伊に問うべし。百歳の老翁なりとも、我に及ばざれば、我即ち他を教ふべし》」。)                                        

このようにして、南泉普願禅師の仏道を学んで坐禅修行に精進すること二十年であった。


八十歳になって、始めて趙州城の東にある観音院に住職して、

人間界と天上界を教化し悟りに導くこと四十年であった。

(年至八十のとき、はじめて趙州城東観音院に住して、人天を化導すること四十年来なり。)                    

 

今まで一度も一通の手紙を出して檀家に布施を求めることをしなかった。

(いまだかつて一封の書をもて檀那につけず。)

 

僧堂は大きくなく、前架(僧堂の外堂にある棚)

後架(僧堂の裏にある洗面所・便所など)もなかった。

(僧堂おほきならず、前架なし、後架なし。)              

           

ある時、住職が坐禅する椅子の脚が折れた。一本の焼け残りの木を縄でくくりつけ、長年にわたってそのまま修行していたので、役僧が椅子の脚を換えることを願いでたけれども、趙州は許さなかった。

(あるとき牀脚をれき。一隻の焼断の燼木を、縄をもてこれをゆひつけて、

年月を経歴し修行するに、知事この牀脚をかへんと請するに、趙州ゆるさず。)


趙州古仏の家風がどのようであったか知ることができよう。

(古仏の家風きくべし。)                               

 

趙州和尚が趙州城の東にある観音院に住職したのは、

八十歳になってからであり、南泉の法を継いでからである。

(趙州の趙州に住することは、八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり。)


正法を正しく伝えたのである。人々は和尚を古仏と呼んだ。

(正法正伝せり。諸人これを古仏といふ。)       


まだ正法を正しく伝えていないほかの人たちは、師よりも軽輩であろう。

(いまだ正法正伝せざらん余人は、師よりもかろかるべし。)


まだ八十歳にならないほかの人たちは、師よりも強健であろう。

いまだ八旬にいたらざらん余人は、師よりも強健なるべし。)                    

 

壮年で軽輩である我々が、どうして老年で敬慕すべき師と等しかろう。

我々は気力を奮い立たせて行持に精進すべきである。

(壮年にして軽爾ならんわれら、なんぞ老年の崇重なるとひとしからん、

はげみて弁道行持すべきなり。) 

 
 

              合掌

趙州和尚は六十一歳になって修行の旅に出た『第十六行持』16-11-1






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最終更新日  2026.03.12 08:56:06
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