ものづくりを支え隊☆

2007/07/05(木)12:48

老夫婦の思い出

最近の出来事から…(47)

仕事で日野市のお客さんのところへ行くことに なったのですが、時間調整が必要になり 現地で一時間ほど暇をつぶすことになりました。 そういえば…と、昔 学生時代に日野の知人宅に間借り下宿を していたことを思い出しました。 チョッと記憶を辿って行ってみようと思い立ち 当時利用していた豊田駅から捜索を開始しました。 昔とは駅前から変っていてさすがに27年間の歳月 を感じました。住所も覚えていないので駅から歩いた記憶 を元に周囲の景色や雰囲気だけをたよりに ぐるぐると車を走らせましたがなかなか見つかりませんでした。 下宿先は当時、親の会社と取引きのあった保険外交員の 自宅で何でもそのおじさんは大正生まれの慶応ボーイで 一人娘が外交官と結婚して海外生活になったから 部屋が空いているし、老父夫婦も寂しいので 八王子の大学に行くことになった私に是非来てほしい という話だったのです。 なにか調子の良いおじさんという印象でしたが 戦争にも行っているので頑固なところもある感じでした。 親の顔を立てて下見もせずに決めてしまったのですが ごくごく普通の日本的な4LDKくらいの家でした。 休みの日に部屋でギターを弾いていたら、ふすま一枚向こう側で おばさんが針仕事をしていたり、バイト先から深夜帰宅したら いつものところにカギが無く、2階にはしごをかけて窓から侵入なんて こともたびたびありました。 間借り下宿で朝食にパンとコーヒーを出してもらう 他は一切お構いなしという条件でしたが、やはり他人と同居ですから 何かと気をつかい住んでみたら結構窮屈な感じでした。 まぁ、婿さん気分が分かって良い経験にはなったかもしれません。 ただ、時折目にする老夫婦の孤独というかわびしさが今になって懐かしく 思い出されるのです。既に夫婦共に他界しているはずですが 娘夫婦が戻っていれば家はあるかも知れないと思い 古い記憶をたどってみようと思ったのです…。 当時は無かった国道のバイパスを横切った先に目的地は ありました。見覚えのある角の弁当屋が目印でした。 家は建て直されていましたが、嫁夫婦の表札の横に もう一つの懐かしい名前を見つけることができました。 あえて訪問はしませんでしたが、門の外から 老夫婦の面影を思い出し、心の中でありがとうございました。と 頭を下げて、その場を後にしました。

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