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ものづくりを支え隊☆

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Mar 17, 2008
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谷中銀座には昔ながらの下町風景が凝縮されていて

有名人が訪れてテレビなどの取材も多いようだ。

饅頭や惣菜を売るところにはその時のサイン色紙や写真がたくさん

飾られていた。私もつい肉屋さんの「谷中メンチ」なる行列に並んでみた。

揚げたてのメンチの味は格別で昔、小遣いでおやつを買ったころを

思い出させてくれた。

何故か、スーパーや惣菜屋ではなく肉屋さんの店先で

揚げているコロッケがおいしいことを知っているあなたは

私と変わらないミドルエイジでしょう。

他にも焼き鳥やせんべいを買い食いしながら

谷中の人通りの少ないところを歩いて上野公園の不忍の池

ほとりを回ってみようと思った。

車通りの少ない路地や家々の間で遊ぶ幼少の自分達が

頭をよぎる気がして、にんまりとしてしまった。

言問通りに出て公園の景色が目の前に広がると

もう春ですとばかりに園内や池には人だかりで

今までの魔法が解けてしまったようだ。

水鳥の家族や少しつぼみがふくらみかけた桜たちは窮屈そうにも見えた。

谷中は思ったとおり郷愁を誘うスポットではあったが

煩雑で見慣れた上野広小路あたりの交差点まで歩いてくると

しっかり前を向いて歩こうと、かえって現実的な意識になってしまったのです。

ともかく45歳にしてやっと台東区を制覇できた…という話でした。
















Last updated  Mar 18, 2008 04:01:31 PM
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もともと自分が下町っ子だと思っていて

仕事関係でも台東区、墨田区、荒川区、足立区などは

隅々まで知り尽くしていると思っていました。

ところが、実は1個所、全く足を踏み入れたことのない場所が

よりによって台東区にあったのです。

そこで昨日、天気も良いし家族を連れ立って

谷中デビューの散策にでかけたというわけです。

上野公園の裏手にある谷中界隈は台東区の北西の端で荒川区と文京区との境目に

位置しているところで自動車が入りにくい道が多く、仕事としてもあまり縁のない

私にとっては未開の土地だったのです。

先ずは日暮里駅から谷中銀座を目指して歩くと

噂に聞いていた「夕焼けだんだん」という階段があり、

その回りでこれまた噂どおりのネコたちが数匹、日向でまどろんでいます。

階段から見下ろすとほんの100mくらいの、まさにネコの額のような

商店街が立ち並んでいて50年も前にタイムスリップしたような

雰囲気にさせてくれます。

                   …つづく






Last updated  Mar 17, 2008 11:05:35 AM
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Sep 29, 2007
ケガから一週間が経ち…

幸いにも神経障害や化膿もなく、傷は治りつつあります。

毎日消毒に通った甲斐もありますが、なにより

最初の処置をしてくれた医師に感謝したい思いです。

化膿などせず、結果として早く完治するには少々痛くても

しっかりした消毒処置が必要であったのだろうと理解できるのです。


何でもプロというのは先を見越して最良の一手が打てるものだと

感心しました。少々というか、かなり痛いですが患者への思いやりを感じます。

私もよく仕事柄、ミシンの医者と言われることがありますが

的確な判断が要求されるところは通じるものがあるかもしれません。

ただ、機械の患者の場合は部品を交換したり、調整したりしますが、

費用の問題や修理完了までの時間の制約などがあり別な苦労があります。

工場や家内工業のユーザーさんでは補修部品の入荷を漫然と待っていられなく

今、治らないと仕事が止まって困る、ということも多々あるのです。

野戦病院的にその場で何とかする対処をおこないつつも

長期的にユーザーさんに感謝される修理ができれば良いと思うのです。


いずれにしても私は外科医には成れないとよくよく思いました。

いくら自分は痛くないとは言え、生身の傷口をグリグリできませんもの。

ミシンの医者で結構です。

今後は気をつけて仕事しようと今回の出来事を教訓にするのでした。












Last updated  Sep 29, 2007 05:51:12 PM
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週のこと、相変わらず忙しく仕事をしていたのですが、

取引先から大至急で依頼された鉄ローラーが工場から出来上がってきて

納品しようとしたら少しキツ目で不具合があることに気づいた私は

自分で旋盤を回しながらヤスリをかけて手直しをしていました。

慌てていたこともあり、不注意にもヤスリを旋盤のチャック(物をくわえる爪)

の方へ滑らせてしまい、ヤスリの先端が回転しているチャックに衝突した感じになり

ヤスリ自体が自分の方へドン!と強く押されたみたいになりました。

あれっと思ったらヤスリの持ち手の方が手のひらに刺さっていました。

さほど血も出ず、痛さも感じなかったのですが、手のひらに突き刺さったヤスリを

見てさすがに動揺しました。自分で抜いてすぐ近くの病院にいきました。

そこでのこと、担当医師は非常に冷静な面持ちで…

先ず、どれくらい深く刺さったか見なければなりません。と

傷口を開いて針金のような棒を差込み幅と深さを測って2.5cmくらい

入っていますね、と。

ケガそのものより、こっちの方がよっぽど痛いじゃないの!と私は心の中で

思っていましたが、今度は傷口を洗浄しないといけないということで

消毒液入り注射器の先に2mmくらいの細い長いチューブを付けたものが持ち出され

水鉄砲のように傷に掛けるだけかと思ったらチュ―ブの先を傷口に入れて

グリグリ動かしながら洗浄を始めました。

私はクックックッと悶えながらこらえていましたが非常に時間が長く感じました。

やっと終わったとき、非情にも医師は、もう一度やります。と…。

最後にガーゼを傷口に押し込まれて処置が終わった時には私は涙目になっていました。

                          …つづく














Last updated  Sep 29, 2007 04:53:00 PM
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Jul 5, 2007
仕事で日野市のお客さんのところへ行くことに

なったのですが、時間調整が必要になり

現地で一時間ほど暇をつぶすことになりました。

そういえば…と、昔 学生時代に日野の知人宅に間借り下宿を

していたことを思い出しました。

チョッと記憶を辿って行ってみようと思い立ち

当時利用していた豊田駅から捜索を開始しました。

昔とは駅前から変っていてさすがに27年間の歳月

を感じました。住所も覚えていないので駅から歩いた記憶

を元に周囲の景色や雰囲気だけをたよりに

ぐるぐると車を走らせましたがなかなか見つかりませんでした。


下宿先は当時、親の会社と取引きのあった保険外交員の

自宅で何でもそのおじさんは大正生まれの慶応ボーイで

一人娘が外交官と結婚して海外生活になったから

部屋が空いているし、老父夫婦も寂しいので

八王子の大学に行くことになった私に是非来てほしい

という話だったのです。

なにか調子の良いおじさんという印象でしたが

戦争にも行っているので頑固なところもある感じでした。

親の顔を立てて下見もせずに決めてしまったのですが

ごくごく普通の日本的な4LDKくらいの家でした。


休みの日に部屋でギターを弾いていたら、ふすま一枚向こう側で

おばさんが針仕事をしていたり、バイト先から深夜帰宅したら

いつものところにカギが無く、2階にはしごをかけて窓から侵入なんて

こともたびたびありました。

間借り下宿で朝食にパンとコーヒーを出してもらう

他は一切お構いなしという条件でしたが、やはり他人と同居ですから

何かと気をつかい住んでみたら結構窮屈な感じでした。

まぁ、婿さん気分が分かって良い経験にはなったかもしれません。

ただ、時折目にする老夫婦の孤独というかわびしさが今になって懐かしく

思い出されるのです。既に夫婦共に他界しているはずですが

娘夫婦が戻っていれば家はあるかも知れないと思い

古い記憶をたどってみようと思ったのです…。



当時は無かった国道のバイパスを横切った先に目的地は

ありました。見覚えのある角の弁当屋が目印でした。

家は建て直されていましたが、嫁夫婦の表札の横に

もう一つの懐かしい名前を見つけることができました。

あえて訪問はしませんでしたが、門の外から

老夫婦の面影を思い出し、心の中でありがとうございました。と

頭を下げて、その場を後にしました。















Last updated  Jul 5, 2007 12:48:52 PM
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Jul 3, 2007
「歳月は人を待たず」という言葉がありますが、

の経つのはなんと早いものなのか‥。

時が流れ、環境が変わると人は変化するのだろうか‥?


過日、高校時代の剣道部の顧問の先生が退職したという事で

お祝いの会が催されました。

先生、本当にご苦労さまでした。

先生は教員生活の3分の1を私たちの母校で

指導してきたということで、77年から89年の卒業生まで

ざっと60人以上のOBが一同に会しました。

私は80年に卒業し、今45歳ですが、

最年長の先輩となると現在50歳くらいでしょうか、

実に高校生活から30年以上も経過していることになります。


18歳まで供に道場の床を這いつくばっていた仲間が

その後、それぞれ別の道を歩み出し、気がつくと

それまでの年月の倍以上を生きてきてしまったなんて

本当に信じられない気持ちです。でも、先生はいつまでも

先生で、先輩はいくつになっても先輩なんです。

目や耳に飛び込んでくる懐かしい姿や声‥。

先生やOBそれぞれの話の中に紆余曲折を経てきた様が

よく分かりました。


たとえ永く顔を会わせていなくても、旧友同士の方が

今の自分のまわりの40代よりも若く思えるのは、

私だけでしょうか?

脳裏に焼きついた面影の記憶が神経を刺激してそうさせているのか、

もしかして、若くありたいという単なる願望の成せる技なのか‥。


30年ぶりなのにまるで昨日の話のつづきを語り合って

いるような錯覚に陥ってしまいました。


ともあれ、昔話が楽しかった事以上に今回のことで感動したのは、

人間は時が経っても本質は変わっていないものだ、という

ことを確認できたことでした。

お互い若干、額が広くなったり、腹が出たとかという「老い」はありますが、

それぞれのしぐさ、言葉使いや発声、瞳の奥の輝き、魂というか人格の基調が

オヤジやオバサンになっても変わっていないな、と思いました。

さらに一人一人の20~30年の越し方というか、

生活に思いをめぐらせてみると‥、バブル崩壊後の、

けして平坦ではなかったであろう

20代、30代また40代ではなかったかと思うと、なおさらに

皆の本質が変化しないことに敬意を表するのみであります。

剣道で鍛えられたから‥、

それにしても、仕事上の挫折や経済の問題、

人間関係や家庭での問題、身近な不幸や病、ストレスなどなど‥。

逆境や思い通りにならないことばかりで

打ちひしがれてボロボロになった日々もたくさんあったでしょう。

一つ一つ困難を乗り越えて今の自分達が厳然と存在して、

本質は高校時代のまま純粋であり続けていたから‥、

胸が熱くなり感動を与えてくれたと思えるのです。

皆、昔のままで‥よく頑張ってきましたね。と、

心からねぎらいの言葉を捧げたい。

一般的に同窓会などで昔にフラッシュバックしてしまうと

言われますが、そうではなく個々の人間が元々変わっていないと

いうのが私の持論なのです。

もしも歳月や環境によって人がコロコロ変わってしまう世の中ならば

誰しも孤独で不信な世の中ということになると思うのです。

思うに30年という歳月を経ての検証の結論は

歳月や環境は人を変えられないということなのです。

だから突然に集まっても連帯感があり

感動があるのではないでしょうか。


そして、そんな先生や先輩、後輩たちに触れて、

自分自身も変わっていないはずだ、と思えたのが

妙にうれしかったのかもしれません。

恩師と剣道部OBの皆さんに感謝、感謝‥。






































Last updated  Jul 4, 2007 01:14:37 AM
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Jun 11, 2007
カテゴリ:考えごと…
分が機械屋でありながら、機械に頼りすぎるといけない

という話。

社保庁の問題もそうですが、やたらコンピュータや機械が

生活に欠かせなくなって便利になった反面、人間の能力が

低下して昔ではありえない失敗や問題を引き起こして

しまう事が多々あるようです。

日も仕事で千葉の自宅から成田空港の近くの多古町という

ところに向かおうとカーナビ任せで東関道を空港方面に走って

いましたが、カーナビの指示では新空港インターを降りるようだった

のです。私の記憶では新空港自動車道は空港直結で降り口が

あったようには思わなかったのですが、迷っているうちに

指示通りのコースを走ってしまったのです。

すると案の定、空港の検問ゲートが目前に開け、赤筒を持った

検問官に手招きされてしまいました。

「今日はどちらにいらっしゃいますか?」

「ただ、通過したいだけなんですが‥」

私は、コイツのせいなんです!とばかりにカーナビを指さし

ましたが、カーナビは涼しい顔でまだ、検問所を突破せよ!と

指示をだしていました。 コノヤロー!

結局、警察の誘導で鉄条網の扉を開けてもらい一般道に

出られましたが‥、とんだプリズンブレイクでした。

そんなわけで、カーナビなんて無いころは自分の経験や感を

頼りに年間3万KMは車に乗ってきたのですが、

ド素人のような失敗をしてしまったのでした。

ういえば携帯電話を持つことが当たり前になってから

友人や取引先の電話番号すら覚えなくなりました。

私は家族の携帯番号も言えません。歳のせい?

こんなんで良いのでしょうか?

人類は生活様式を考えなければならない所に

きているのかもしれませんね。

しかし、機械の中でもミシンは別格ですよね‥。







Last updated  Jun 12, 2007 01:07:19 AM
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Jun 6, 2007
カテゴリ:考えごと…

近、やたら路上でのトラブルを目にする。

交互に一車線の道で工事でもないのに渋滞していて

事故かと思ったら若い作業者風のお兄さんが

バイクから降りて車のスーツのやはり若い兄さんに

つかみかかっていたのだ。なんかスーツの兄さんが

路上で土下座して誤って一件落着したようです。

また、昨日は昨日で会社の前の交差点で

事故を起こしそうになったバイクの若者と

車のおじさんが大声で罵倒しあう場面がありました。

二人で交番に入っても怒鳴りあって大騒ぎしていました。

無事で良かったことなのに、何故そんなに怒るのか?

人情の下町・浅草もずいぶんと変わってしまったものだ

と思う古くからの人も多いのではないでしょうか。

国中がイライラとストレスの吐け口を捜しているような時代だから

弱いと思った者を皆で袋叩きにしてしまう風潮は政治やマスコミの世界

だけではなく極身近でも深く根付いているようです。

そうでもしないと自分達の心がストレスで壊れてしまうという

ことなのでしょうか?

そういえば大したストレスの吐け口を持たない私は先日‥

胃カメラを飲んでみたら大きな胃潰瘍ができていて

ストレスへの弱さをさらけ出してしまっていました。

心と体の自己防衛システムとして他人に吐け口を向けるのは

私は賛成できないのですが‥。

もっと穏便な社会を目指すべきだと思う今日このごろなのでした。














Last updated  Jun 7, 2007 12:11:27 AM
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May 28, 2007
ZARDの坂井泉水さんの訃報が飛び込んできて

ショックでした。詩もメロディーも大好きでした。

坂井泉水‥どこか不可思議で翳りのある、

それでいて隣近所にいそうな女性、やさしげなその歌声は

疲れた心を癒し励ましてくれる存在でした。

新しい詩が彼女の声で紡がれていくことが

もう無いなんて残念でしかたありません。

失われた10年と言われた90年代、バブル崩壊後の

日本人の萎れた心をZARDは潤わせてくれたのでは

ないかと思うのです。

‥負けないで‥心を開いて‥きっと忘れない‥マイフレンド‥などなど

誰もが知っているフレーズは皆、癒され勇気ずけられたのでは

ないでしょうか?私も幾度と無く辛い日の夜などにギターを抱えて

ZARDの曲を一人ひき語ってきたことか‥。

坂井泉水は短命ではあったけれども時を選んで

出るべき時に社会に出現し貢献したと思いたい。

ならばその役割を果たしてまた次のスタートを切ったと

言えまいか。少しは持ち直してきた日本を去って‥。

さらば、ジャンヌ・ダルク 坂井泉水‥。

彼女の詩が思い出される‥

Iremember sweet memories Dear my friends‥

‥‥はるかな未来へと 新しいドアを開け
動き始めた直感が行く道を決める
 あの冬の向日葵 まだひとりでやれそうだよ
愛する人よ 今どこで眠っていますか?‥

          新しいドア~冬のひまわり~
  

    ご冥福をお祈りします。













Last updated  May 31, 2007 01:00:15 AM
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May 24, 2007
カテゴリ:猫のいる家
柴犬のチップは子供の成長と供にいつの間にか

10歳になっていました。

人間なら50歳か55歳くらいでしょうか?

私自身も45歳になり気がつけばオヤジになって

いましたが、犬もオヤジ犬になっていたのです。

ネコに比べ普段はあまり存在感のないチップでしたが

このたびはやってくれました。

この間の日曜日の夕方、犬の散歩に出かけたのですが

家から100Mほどの歩道で突然チップがキャヒーン、

キャヒーンと騒ぐではありませんか。

どうした!どうした!‥と私と妻もたじろいだのですが

側溝の蓋に空いている穴にズボッと後ろ足を落としてしまった

のです。慌てて助けたのですが、右後ろ足を地面に付けず

ビッコをひいてしまいました。

これは骨折か脱臼だと思いすぐ動物病院に連れていきました。

不運にも診察時間が終わってしまっていて翌日朝に

車に乗せて再度診察してもらいにいったところ

やはり股関節脱臼だそうで、しかもかなり大きく外れている

らしく、手術しないといけないかも‥などと医師に診断されました。

え~!そんなに重症ですか?側溝に落ちただけなんですが‥。

獣医さんはリスクが多いと思ったのか、専門の病院を紹介します

と言って教えてくれたのは横浜の動物病院でした。

ならばとまた翌朝、妻と犬を乗せて横浜磯子まで車を飛ばす事に‥

そこは動物の救急指定の総合病院みたいで、たくさんのスタッフが

働き、患者?もたくさんいました。

結局、昼過ぎに麻酔を掛けてから股関節をはめてもらい治療は

ひとまず終わりましたが、経過を見るためしばらく入院という

ことになりました。一泊7000円だそうで今度は私が脱臼しそう

でした。

ともあれ、仕事も投げ捨て、高額な治療費を支払っても遠くの

病院に連れていく気になったのは、犬とはいえ、チップも

やはり家族なんだなぁ‥、と気がつきました。

今も入院中ですが、心細い思いをしているだろうと気に

かかります。それにしても思わぬ伏兵にやられた!と思うのでした。










Last updated  May 25, 2007 12:04:23 AM
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