カテゴリ:給食について
なぜ日本人は牛乳を飲み、パンを食べ、肉を食うようになってしまったのか?
今まで書きたい、書きたいと思っていたのですが、やっと、 新連載始めることになりました。題して・・・・、 【仕組まれた食の欧米化】です。 なぜ日本人は米を食べなくなってしまったのか? ということも分かります。 できるだけ簡潔に書いていこうと思います。 1945(昭和20)年、第二次世界大戦が終結しました。 アメリカはそれまで兵士の食料として消費されていた 農産物が余るようになっていったのです。 ぼくが生まれた年の1953(昭和28)年、そして翌年1954年は、 世界的に小麦の大豊作となりました。 アメリカも大豊作で、アメリカ政府が抱える小麦の在庫は 3000万トン(ピンとこないがすごい大量らしい)。政府が借りる 倉庫代だけでも一日2億円かかったというんですね。 1953年1月にアイゼンハワーが大統領に就任しました。 アイゼンハワーはカンザス州の農村出身。 農民の期待に応えなければならない。 この余剰小麦(小麦だけではないんですが)をどうするか? 話は変わって、アメリカは戦後、各国への援助を行ったのですね。 経済援助法(1948年)、相互防衛援助法(=軍事援助、1949年)、 国際開発法(=技術援助、1950年)がそれ。 そしてこれらを修正し統合した、MSA法というのが、 1951年に制定されました。これはより軍事的な意味合いが強いということです。 さらに1953年には食糧援助を含むものに改正しました。 これは食糧援助を餌に、その国の軍備強化を義務づけ、 味方陣営を増やそうということなんですね。 アメリカはさっそく日本へこのMSA協定の締結を働きかけたのです。 当時の吉田茂首相は、協定締結を決意しました。 1ヶ月近くも協議は難航しましたが、妥結し、 1954年3月にこれが調印されたということです。 参考文献から引用すると、 「日本はこの協定締結で小麦60万トン、大麦11万6千トンほか、 総額5千万ドルのアメリカ農産物を受け入れ、その食糧を国内で 販売しその代金を積み立て(見返り資金)、4千万ドルは アメリカ側の取り分として日本に対する軍事援助などに使われ、 残り1千万ドルが日本側の取り分として経済復興などに使われた」 さあて、アメリカから入ってきた小麦。誰が食べるのでしょう? 日本人です。決まってます。そこで厚生省(当時)は 「栄養改善運動」を始めました。その柱となるのが 粉食奨励なのでした。その内容についてはまたあとで。 【参考文献】 「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月02日 18時53分26秒
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