信長・秀吉・家康に共通する勝負備蓄食とは
困難な時代を生き抜くには、まずは歴史に学ぶ必要があると最近とみに感じます。なにせ今後、南蛮貿易時代のようにわずかな国との交易もしくは鎖国状態のようにほとんど外国産食料が入らない時代へといつでも突入しかねないのです。そんなほぼ国内需要だけで生き抜いていた祖先たちの足跡は今後私たちへの大きな智慧となるのではないかと歴史を少しずつ紐解いています。群雄割拠する戦国時代、困難な時代を生き抜いてきた武将や兵士たちの食生活は興味深いものがありました。食糧が極端に不足する戦場、食事のとり方、選び方は彼らの運命を大きく変えていきました。歴史書を読み進めていいくうち、興味深かったのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康この3人に共通する「勝負備蓄食」があったことです。それは何か。「豆味噌」でした。味噌は当時、非常に重要なたんぱく源であり、米とともになくてはならない食料のひとつでした。全国各地でいまでもご当地味噌はその歴史を物語っています。戦国武将、兵士たちは長い戦に耐えられるよう、すぐに滋養・栄養となるよう味噌に胡麻や山椒、生姜を混ぜて、焼き味噌を作ったり、干して丸めて携帯したりと工夫を凝らしました。味噌は各地で作り方、素材が大きく違います。ほとんどの場合、米や麦で作った麹を大豆と合わせて醸しますが豆味噌だけは豆100%。麹を米や麦で仕込んで豆と合わせる味噌と異なり、大豆を蒸してつぶした団子に直接麹を付け、数年かけて発酵させる豆味噌は蒸し暑い東海地方の夏でも腐敗しにくいようにと工夫され生まれたもので、豆味噌の食文化圏は限られていました。当時尾張周辺出身の信長、秀吉、家康たちだけがこの豆味噌を常食・重用していたのです。豆はご存じのように「畑の牛肉」と呼ばれるような良質たんぱく質のカタマリ。血や筋肉の素になるほか豆味噌には豊富でバラエティ豊かな栄養素がバランスよく含まれています。特に頭脳の栄養となるレシチン、「幸せホルモン」と呼ばれるトリプトファンなどの必須アミノ酸が豊富で、いかなる状況でも冷静かつ明るく前向きな判断ができる栄養素を日頃から摂取していたのでした。豆味噌は天下取りの大いなる立役者だったかも知れません。豆味噌文化圏出身者はほかにも前田利家の賢妻・まつがいます。前田家の食事を支えていたのは、玄米ごはんと具沢山の豆味噌をつかった味噌汁だったそうです。前田利家といえば、槍の名手で大男。そんな頑丈な骨格と筋肉を維持できたのも豆味噌のおかげかもしれません。また、豆味噌には女性ホルモンのように働くイソフラボンも豊富でまつは十一人の子どもを産んでおり、平均寿命が37~8歳だった当時、71歳まで長生きしました。豆味噌は限られた食材の中でも生き抜くため、健康を維持するために必須な栄養素をバランスよくほとんど含んでいるまさにサバイバル時代の核となるような食材。豆味噌文化圏以外の人にとっては、少々苦く感じることもあり、敬遠されがちでもあるのですが備えておいて損はない食材だと思っています。豆味噌というと、関東の私はカクキューの八丁味噌を連想するのですが、このアルミパウチは3年保存できるそうです。味噌は生き物ですから、通常は空気にさらして常温に置いておくとだんだん発酵してしまいます。食べられなくはないですが、風味がおちていきますので私は小分けに買っては冷凍しています。冷凍なら何年でも熟成は進みません。