2013/03/28(木)01:07
デール・カーネギーの教えに従い、今も後悔していること
社会人の人付き合いや経営者の指南書として必ず挙げられるのが、デール・カーネギーシリーズでしょう。
その中でも、『人を動かす』と『道は開ける』は名著と言われ、文字どおりボロボロになるまで読んだ人も多いのではないでしょうか。
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『人を動かす』の中に、「相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない」という記述があります。
これは、相手が間違ったことを言ったときに、その人の自尊心を傷つけてまで誤りを指摘したとしても、良い結果は得られない、といった内容になります。
人は完璧ではありませんから、ちょっとした言い間違いや記憶違いはあるものです。
しかし、物事の全容を見た時に、その誤り自体が取るに足らないことなら、あえて聞き流してしまうのも、人間関係を円滑に進めていくために必要なことなのかもしれません。
しかし、私はこの教えにバカ正直に従ったおかげで、痛い目にあうことになりました。
真面目で勉強熱心なペク氏
もう結構前の話になりますが、韓国に住んでいた頃、百(ペク)さんという方と知り合いになりました。
この苗字はあちらには多いので、ここでは個人情報うんたらの問題はないとしましょう。
以降、ペク氏と呼ぶことにします。
ペク氏は私より一つ年上の方でしたので、年功序列を重んじる儒教の国では、話し掛けるときにはノプンマル(敬語)を使わなければなりません。
努めて丁寧な言葉を選び、失礼のないように心がけていたのですが、私が日本人と知ると、こう言ってきたのです。
「今、日本語を勉強してるから、日本語教えて。」
嫌な予感がしました。
子供に何かを教えるならまだしも、相手は年上です。
しかし、ただならぬ威圧感に飲まれ、頭を横に振ることはできませんでした。
そして、その日から容赦のない日本語攻撃が始まったのです。
ペク氏は週に二日ほど日本語学院に通っていたらしく、授業の後に発音チェックの目的で電話をかけてくることがありました。
韓国人が日本語の発音で一番苦労するのは、ザ行の発音ですが、ペク氏のザ行の発音を細かく訂正しているうちに、態度が明らかに不機嫌になっていきました。
こりゃーヤバい!
ペク氏を激怒させてしまう前に、ここでデール・カーネギーのあの教えを活かさなければ!
それから、ペク氏の顔色や声色をうかがいつつ、完璧を求めず、適当なところで満足してもらえるよう、日本語のお手伝いをさせていただく日々がしばらく続きました。
ホヤにつまずく
友人が旅行でソウルに来ることになり、約一週間滞在するので会いたいという連絡が入りました。
かれこれ 7 年ほど会っていなかったので、久し振りにバカ話で盛り上がりたいとのことで、ペク氏との約束をキャンセルしようとしたときです。
「めたるの日本の友達に会わせて。」(日本語)
この堂々とした態度は、私も見習いたいです。
まあ、友人もペク氏に会ってみたいかもしれないと思い、三人で明洞にて食事することになりました。
事前に、私の友人とは英語で話しても全然問題ないということを伝えたのですが、ペク氏が日本語で OK と言い切ったので、それ以上は何も言えませんでした。
さて、その当日がやってまいりました。
友人を見るなり、ペク氏が元気にご挨拶です。
「いらっしゃいませー」
居酒屋で聞くような、あのハイトーンの声に、友人がズッコケそうになります。
「めたるの韓国人の友達ってやっぱキョーレツだね。」
ペク氏は、本来はとても真面目でデリケートな性格の持ち主ですので、初っ端から不穏な空気が漂い始めます。
そして嫌な予感は次々と的中することになります。
夕食はペク氏好物のヘムルタン(海鮮鍋)になりました。
ペク氏が気前よく奢ってくれると言い出したので、メニューを選ぶ権利はペク氏にあります。
しかし、私は魚介アレルギー持ちのため、ヘムルタン自体食べられません。
友人は本場の激辛ヘムルタンに挑戦してみたいとのことでしたので、私はミッパンチャン(メインと一緒に出されるおかずいろいろ)の中から食べられそうなものだけを摘まむことにしました。
ヘムルタンの材料が目の前に並べられると、友人がホヤを指さしながら、これ何と尋ねてきました。
ホヤだよと答える前に、すかさずペク氏が口を挟みます。
「これはモンゲ!」
「マ○毛?」
店内は混み合っていて、会話が聞き取りにくいこともあったのですが、初対面の人を前に、友人の口からマ○毛という言葉が出たのは衝撃でした。
真面目なペク氏のことです。
表情ひとつ変えずに再び訂正が入ります。
「これはマ○毛じゃなくて、モンゲ。わかりますか?」
普通、韓国語でモンゲと言われてもあまりピンと来ないでしょうが、友人はとりあえずそれがモンゲという名前の海産物だということは納得したようです。
ところで、言葉遣いで気になるのは文末ですね。
文末を正しく操作することによって、相手に対する敬意を表すことができるのは、日本語も韓国語も同じです。
韓国語は、文末に「ヨ」を付けると親しみを込めた丁寧語になりますが、日本語も最後に「よ」を付けることによって親しみを込められるのを、ペク氏は日本語学院で学んだのでしょう。
「そうですよ。」
「楽しいですよ。」
このあたりは全く違和感がなかったのですが、あまりに「よ」を付けまくると、会話の雲行きが一気に怪しくなっていきます。
「それは違うよ。」
「私は知らないよ。」
文末にいくら「よ」を付けても、「です、ます」を忘れると、日本語は途端にぶっきらぼうになってしまうことを、ペク氏に伝えるのを忘れていました。
南山タワーの夜は容赦なく更けて
食事の後、ペク氏が南山タワーに案内すると言い出しました。
南山タワーは別名ソウルタワーと呼ばれ、日本の東京タワーやスカイツリーレベルの観光スポットとなっています。
南山タワーの最上階のレストランは回転式の展望台になっているため、そこでソウルの夜景を見ながらコーヒーを飲むという段取りだったようです。
南山タワーに到着すると、ペク氏は友人が持っていたデジカメを指さしながら、大真面目な顔付きで、こう口走りました。
「ここで激写してあげますよ。」
ペク氏はその後転職が決まり、中国に移り住んでしまったため、次第に疎遠になってしましいましたが、いつ、どこで「激写」という造語を聞き覚えたのかを聞いておくべきでした。
そして、あのとき何故、「撮影」という言葉に訂正してあげなかったのか、今でも本当に後悔しています。
勉強熱心で、真面目なペク氏のことです。
今頃は大真面目な顔をしながら、中国語でも面白いことを口走っていることは想像に難くありません。
敬意を払って誤りを訂正するなという、デール・カーネギーの一見素晴らしい教訓があったとしても、その人の知識レベルの向上を真剣に考えるなら、敬意を払いつつも、誤りに気付かせることは、ときにはその人を救うことになります。
情報は鵜呑みにすると、とんでもない目に遭うかもしれない、というお話でした。
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バチンバチンとケツを叩かれる部屋の話