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2014.07.27
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テーマ:カルト映画(14)
先日、デンマークに移民したスウェーデン人親子の極貧生活のゆくえを描いた映画『ペレ』[1987年]をご紹介したしましたが、今回はそれと類似の感覚に浸れる映画として、『ニーチェの馬』[2012年]を二回に分けてご紹介します。



『ニーチェの馬(原題:A torinói ló/英語:The Turin Horse)』は、直訳すると『トリノの馬』になります。
 タル・ベーラ監督自身が、ドイツ人哲学者ニーチェ発狂の引き金となったトリノの馬事件をモチーフにしていると語っているため、邦題に『ニーチェの馬』が採用されています。

 こちらが当方所有 DVD のジャケット。

『ニーチェの馬』ジャケット


 中身はこんな感じ。

『ニーチェの馬』中身

 日本語版は中身がちょっとだけ凝っていますね。
 たいていは黒いケースにディスク一枚で終わりですが、こちらは透明ケースですので、内表紙としてチャプターリストが確認できるようになっています。

 しかし、これで 5,040円(税込)は少々お高めですね。
 特典映像は予告編のみですので、もしこれからゲットしたい方は輸入版の方がよいかもしれません(リージョンコードに注意)。


 個人的にはタイトルを忠実に『トリノの馬』にしておいて、解説・ネタばれとして徹底的にニーチェのエピソードとの関連性を楽しむ余地を残した方が良かったのではないかと思います。

わかりやすいあらすじ


 1889年1月3日。
 トリノで馬にムチを振り下ろしていた御者。
 それを半狂乱になって泣きながら止めに入ったニーチェ。
(とはいっても、映像なし。)

 老人は馬とともに岐路に着く。

 砂ぼこり舞う荒野にぽつんと建つ一軒家。
 彼はそこで娘と二人暮らし。彼女も若いとはいえない。
 父親は朝起きて馬を連れ、仕事のために町へ遠出。
 娘はその間水くみをしたり、料理をしたり、洗濯をしたりして過ごす毎日。

 ただ、ただ単調な生活サイクルの繰り返し。
 その繰り返しの中で、イヤでも受け入れなければならないことがある。

 この当たり前の光景でさえ、まちがいなく終焉に向かっているのだと。

みどころ


1. 全編モノクロ

 作品のレトロ感を出すために、作品の一部をモノクロやセピア色に置きかえる手法がありますが、モノクロシーンを挿入することで、他シーンとの差別化を図ることもあります。

 たとえば、1987年フランス・西ドイツ合作映画『ベルリン・天使の詩』では、不老不死の天使には人間たちの心の声が勝手に聞こえてくるが、喜怒哀楽も色彩感覚も持たないという特徴をモノクロフィルムで表現しています。



 これによって、カラー映像とモノクロ映像がコロコロ切り替わっても、人間の目線と天使の目線を映像として楽しめるカラクリになっているわけです。

『ニーチェの馬』は、全編モノクロですが、今あるものが失われて行く様子や、序盤の砂ぼこりの量が終盤ではケタ違いに多くなっている点などから考慮しても、モノクロだからこそ表現可能な絶望感がそのまま画面全体に漂っているといえます。
 レトロ感よりは、状況判断の材料として不可欠となる色の情報を撤去してしまうことによって、無彩色で繰り広げられる光景を凝視しながら、次に待ちうける状況を想像させる試みに近いのではないかと思います。

2. 10分観て無理だと思った人には、残りの140分は苦痛でしかない

 タル・ベーラ監督自身が長回し(カメラを一点に固定させて、俳優の演技を淡々と撮影する方法)好きということもあって、ほぼ全編が長回しであるといっても過言ではありません。

 最初の 10 分間で馬が砂嵐吹き荒れる中進んでいく様子が流れますが、映像を早送りして中盤、終盤に入ってもまた同じような描写が延々と続いているのです。

 またか、と思わせるのが監督の狙いでもあるわけですが、モノクロ、走る馬、狭い家の中で貧しい暮らしを送る親子の繰り返しが我慢ならない方は、最後まで視聴する気力が持たない可能性があります。

3. 一曲のみのサウンドトラック

 長回しのシーンの所々に音楽が流れますが、全編を通じて採用されているのはこの一曲のみです。
 チェロ、ヴァイオリン、オルガンというシンプルな構成で、ひたすら同じメロディの繰り返し。
 唯一工夫が見られる点は音量です。

4. 不安を象徴するアイテム

1) 砂嵐

 一歩家を出れば、あたり一面の砂嵐。果てしなく続く平原。
 老人が馬で移動しようにも、はっきり見えるのは必死に足を動かす馬の背中だけ。


2) 芋

 茹でたジャガイモ。これが唯一の食事。
 娘が「食事よ」なんて言いながら父親を呼ぶんですが、観ている方としては「ただのイモじゃん」としか思えないわけです。

 序盤から物が不足している状態ですので、現代生活では当たり前の贅沢な食卓(ほとんどの場合、必要以上の栄養素を摂っている状態)から、この質素な食卓を見ることによって、今日の命をつなぐために養分を摂ることが食事なのだということを再認識させられます。

 しかし、このジャガイモも、四日目に井戸が枯渇して茹でるための水を得られなくなり、生の芋をかじるハメになってしまいます。

 日々の食事の光景は、当たり前のようでいて、実はいつどうなるかわからない状態のなかで続いているのです。


3) 走査線

 テレビやビデオ映像では画面に横方向に縞模様が映っているのが見えることがありますね。
 これは走査線と呼ばれるもので、ディスプレイ画面で画像を表現するときに、上から順に画素に光(色)を乗せることで全体の映像を表現しているのですが、映像にムラが生じていたりすると、走査線が波打って見えることがあります。

 参考:走査線 [外部リンク]

『ニーチェの馬』が始まって1分で気付くと思いますが、画面に不規則に走査線が走るのが確認できます。
 そしてよく良く見ると、動く物限定でこの走査線が見えるようになっているのです。

 つまり、馬、馬車、人間ですね。
 これに対し、背景や家屋の様子などは、はめ込み写真のように鮮やかに表現されています。

 近い将来、馬と人間は死に、馬車は壊れて消えることが確定していても、この荒野と石の家はそこに存在し続けるのでしょう。


4) 衰え

 馬はもともと老いていて、働く気力も体力もありません。
 二日目に動けなくなり、町に出られなくなってしまいます。

 老人は右半身が麻痺しています。
 過去に落馬か、くも膜下出血か何かで倒れて今の状態になっていることが容易に想像できます。
 今は娘の力を借りて何とか生活できていますが、近い将来身体に不自由が出てくるでしょう。

 人間は元気なうちは何でもできるという自信と希望に満ちあふれていますが、いろいろな状況が重なって自由が奪われていくと、行動範囲も限られ、できることも少なくなっていくことがわかりますね。


5) 闇

 五日目になると、貴重な火種までも消えてしまい、とうとう家の中は真っ暗闇に。
 暗闇の中、生のじゃがいもを見詰める二人。
 まるで、訪問者の言葉を反芻するかのように。

「すべてが永遠に奪われた」
 

 字数制限に達しましたので、次回に続きます。



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最終更新日  2019.01.23 22:41:51


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