黄 金 時 代

2009/12/25(金)06:21

気になるニュース【日中歴史共同研究】

雑談(365)

日本と中国は立場が違うのに、統一見解はありえない。 事実を積み重ねて検証するのが歴史。 この研究は中国共産党政権に都合がよくなるように 日本側が歴史の解釈を歪曲しているだけに思える。 歴史ってそんなものじゃないと思う。 中国に配慮しすぎではないか? 結局中国共産党の思うつぼ。 南京事件は本当にあったのか疑問の声が多いのに、 あっさり事件における日本の関与を認めてるのも怒りを覚える。 そして、中国共産党政権が行ってきた人権蹂躙には一切触れず。 北岡氏は中国共産党による虐殺には目をつぶり、 日本人の諸先輩方にはありもしない罪をかぶせるのか? 以下、ネットからコピペ ************************** 日中歴史共同研究:「戦後」は対象外に…1月にも報告書 日中歴史共同研究の第4回全体会合で発言する日本側座長の北岡伸一・東大大学院教授(右端)=東京都港区で2009年12月24日、西本勝撮影 日中両政府が06年末から進めてきた初の日中歴史共同研究の最終会合が24日に東京都内のホテルで開かれた。報告書の全文は10年1月中にも公表される。ただ、中国側の意向で、天安門事件(89年)などを含めた戦後史の部分は報告書の対象から外された。南京事件が両論併記ながら盛り込まれた一方で、戦後史がまとまらなかったのは、中国側が現政府への批判につながることを懸念したためとみられる。東シナ海のガス田や尖閣諸島をめぐる問題など日中間の懸案にも影響しそうだ。  ◇南京事件は両論併記  最終会合後、日本側座長の北岡伸一・東大大学院教授、中国側の歩平・社会科学院近代史研究所長は共同記者会見した。序文にあたる「総論」のみが公表された。  戦後史の記述が見送られたことについて北岡氏は「現代に直結する問題はなかなか難しい。冷戦や朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約などでの日中間の(評価の)隔たりはかなり大きい」と説明。歩氏は「一般民衆への影響をどう与えるか考慮しなければならない」と語った。天安門事件や天皇陛下の訪中(92年)などでも評価が分かれたという。  南京事件については両論併記で報告書に記述される。両国は「虐殺(行為)があり、日本側に責任がある」(北岡氏)との認識で一致したが、歴史的背景や原因、被害者数については今後の検討課題とした。関係者によると、中国側が従来の公式見解の「犠牲者30万人」にこだわったが、日本側が「数万人から20万人」などと主張、溝は埋まらなかったという。  日中歴史共同研究は、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題で日中関係が悪化したのを受け、歴史認識問題のトゲを研究者の対話を通じて取り除くことを目指して、06年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月に始まった。報告書は、時代ごとに両国の担当者が執筆する両論併記方式。08年7月に東京で最終会合を開いて報告書をまとめることが決まったが、延期になり、今年9月にも東京で最終会合を開くことになっていたが直前で再び延期された。いずれも中国側の要請によるものだ。東シナ海のガス田問題でも首脳間で合意した共同開発の具体化が、国内の反発を恐れる中国側の事情で進んでおらず、同じ構図になっている。  一方で歩氏は「戦後の日本の平和的な道や中国への政府開発援助(ODA)は十分に評価している」とも強調した。歴史共同研究を今後も継続するという点では両国は一致しているが、具体的な日程などは決まっていない。【中澤雄大】  ◇中国、世論配慮し日程遅れ  中国指導部は国内の愛国世論が政府に対する「弱腰批判」に転じることを警戒し、日本への譲歩と受け取られかねない共同研究の結果公表を慎重に扱ってきた。  最終会合が08年7月と今年9月の2度にわたって延期されたのも、中国側が国内で愛国意識が高まる北京五輪(08年8月)や建国60周年(今年10月)を前に反日世論が高まることを警戒したためとみられている。特に、今年9月には最終会合のために中国側研究者が訪日した後に延期要請があり、中国指導部の意向が反映されていることをうかがわせた。  中国国内では今年、南京事件をテーマにした映画がヒットするなど日中戦争への関心が高まっている。歩氏は共同会見で、「近代に関しては中日間の不幸な戦争をいかに認定するかで大きな障害があった」と述べ、中国指導部や国内世論の圧力にさらされたことを示唆した。  また、戦後史が見送られたことについて歩氏は「発表しないのではなく、第2期の継続研究としたい」と釈明した。だが、89年の天安門事件については、学生らの民主化要求運動を武力鎮圧したことの正当性を中国共産党が強調しており、再評価を話題とすることは今も国内でタブーとなっている。  「これから長い道のりがある」と歩氏は語ったが、共産党の歴史的評価に踏み込む戦後史を体制の異なる日中間で共同研究することは、政治的に難しい判断を迫られることを意味している。【工藤哲、北京・浦松丈二】

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