湘南のカモメ

2006/04/01(土)18:17

東京タワーが傾いている・・・

今朝の東京新聞でこんな記事を紹介していました。     東京タワー傾く 原因は足元の“おなら”  東京タワーが傾いていた。傾きの原因は、「おなら」だそうだ。巨大な鉄の塊が、どうしたというのだろうか。その事実を突き止めたのは、タワーを愛し続けるある会社員男性だった。「なぜ、東京タワーは傾いたのか」。この男性のタワーへの“片思い”が、その答えをみつけ出した。都会に埋もれた物語を-。  「あれっ、傾いている。いや、そんなバカな」  今年一月、職場ビルの窓から、いつものように東京タワーを眺めていた会社員・思井(おもい)高志さん(58)の湯飲みを持つ手が止まった。「いつも視界の隅にあるこのビルの窓枠と比べ、微妙なずれがあった」。タワーが北側にわずかに傾いている、ように見えた。  五十年近く、東京の空にそそり立っている巨大建造物だ。傾いているのなら、騒ぎになっているはず。だがそんな話は聞かない。思井さんは「気のせいだ」といったん片づけた。  翌日、出社して自席に座ると、恐る恐るタワーに視線を移した。  「やっぱり傾いている」  意を決して職場の同僚女性(24)に告げてみた。答えは「この会社のビルが傾いているんじゃないですか。ずいぶん古いですから」だった。タワーの管理会社にも連絡してみたが、「そういう話はよくうかがいますが、そんなことはございません」。いたずら電話がけっこうあるらしかった。  思井さんは東京タワーからほど近い印刷会社に勤める。定年まで二年を切った。今は倉庫管理を担当するいわゆる“窓際族”だ。管理責任者だが求められる仕事はない。出社すると東京タワーが見える机に座る。一日の大半がタワーの“観察”になった。  国立大の工学部卒業後、同社に就職、印刷技術の開発部門を歩んできた。当時は高度成長期。注文がひっきりなしに来た。「印刷の品質向上が至上命令だった」という。印刷部門の責任者まで務めていたが、バブル後の不況にパソコンの普及による印刷需要減で業績が悪化、「肩たたき」が始まった。五十歳になったとたん思井さんも倉庫管理への異動を打診された。でも唯一、東京タワーを見ていられるのがうれしかった。  その後も誰も騒がない。ニュースにもならない。  「同僚たちが忙しくしているのに、あんまりタワーのことばかり言っていると、暇な立場に反感を持たれそうで…。やっぱりこのビルが傾いている」と思うしかなかった。  思井さんに東京タワーを語らせると話が長い。「東京タワーって、赤白の二色と思われているでしょ。でも実は赤はインターナショナルオレンジという航空法で定められた世界共通のオレンジ色なんです。それに意外と白い部分は少ない」  「ライトアップの照明色は夏は白色灯、冬はオレンジ灯に交換している」  「大展望台の上にはタワー管理用の事務所があって、時々作業員が地上百五十メートルの屋外で保守作業をする。日課とはいえあんな高所で軽々作業する光景に、いつも感心する」  会社の同僚たちは知らないが、思井さんは「東京タワー通」だ。それには訳がある。「大学入学で広島から上京した時、真っ先に東京タワーに上った。見下ろす東京の大きさと、その中心にそびえるタワーに大きな興奮を覚え、これからの人生に期待感が高まった」  凜(りん)としたたたずまいに魅了され、東京タワーに関する文献を集め新聞記事を切り抜いてきた。ゴジラが東京都庁を壊し、東京ディズニーランドが開園しても、思井さんにとって東京の象徴は東京タワーだった。 ある日の朝、いつものように出勤前に自宅トイレで新聞を広げていた。「東京タワー」という文字が目にとまった。小さな記事だったが「『タワーがおなら』と警備員」の見出しに目を見張った。東京タワーの警備員が夜中、巡回中にタワー直下の地中から「ブブブッブー」と音がして、タワーが身震いしたというのだ。しかも「臭(にお)った」という。  記事を読んで思井さんはある新聞記事の切り抜きを思い出した。トイレから出ると三十冊にもなる書棚のスクラップブックから昨年十二月の記事を探す。記事は、地下鉄第一号の銀座線開通(一九二七年)より前、大正時代に東京都(旧東京市)による蒸気機関車(SL)を使った地下鉄の実験路線があったことを伝えていた。タワー東隣の都立芝公園の地下からタワー直下まで約二百メートルのトンネルが掘られたという。  記事で国立交通博物館の山下通館長(60)は「地下鉄発祥のロンドンでは電化される一九〇五年までSLを使っていた。排煙は水の中を通し軽減する方式で、この実験路線でも同様の方式を採用したようだ。ただ、やはり排煙がうまくいかず中止になった。トンネルの大半は埋め戻されたようだ。部分的に空洞のまま残ったが、そこに地下水に含まれるメタンガスがたまり、安易に埋め立てなどができないでいる」と話していた。  警備員の「臭った」という言葉を聞いて、山下館長の話が頭に浮かんだ。東京タワー直下にも空洞が残っていると考えた思井さんは、山下館長を訪ね思い切ってタワーの傾きの話をした。山下館長は疑いもせずある人物を紹介してくれた。江戸工科大学の調(しらべ)進教授(地質学)だった。「調教授は東京の地下水に含まれるメタンガスが、なにかのきっかけで集まり爆発して地上に影響がでると主張していた。それと関係あるかもしれないと思った」(山下館長)  調教授は依頼を受け東京タワー直下の地質を調べた。すると四つある橋脚のうち南側の一つの地下三十メートルに、空洞と爆発の痕跡を見つけた。空洞の痕跡は地下鉄の実験線路と重なった。  調教授は「東京タワーは各橋脚ごとに地中二十メートルまで、直径二メートルのコンクリート柱八本が打ち込まれている。比較的安定したれき層に杭(くい)を打ち込むことで支えているが、トンネルにメタンガスがたまり、その爆発で南側の脚部が持ち上がったようだ」と推測する。爆発の理由を「東京タワーは落雷の電流を地下のアース盤に送る。昨年暮れに落雷があり、この時電流が漏れてトンネル内のガスに引火した」とみる。  構造設計の専門家による調査で、タワーは北側に二・三度傾いていたことも分かった。イタリアのピサの斜塔の傾斜は約五・五度で、それより軽微だった。幸い「爆発で空洞が完全に埋まり、地盤も安定しているので、これ以上の傾きはなく、タワーの維持管理上問題ない」という。  調教授は詳しい調査を今年夏までに終え、研究成果を学会で発表する。論文には協力者に思井さんの名前も載る。この話は職場にも伝わり、思井さんはちょっとしたヒーローになった。  思井さんは、こう話す。「東京タワーだって“体調”の悪いときもある。それをみつけて東京タワーに抱き続けた片思いの恋がやっとかなった気分です」 (この物語はフィクションです) と、最後まで読んでハット気が付いた。 今日はエイプリールフールだった。

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