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2007年03月02日
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<また無視された国家元首の演説>

 以前,国会におけるインド首相の演説ヴェトナム首相の演説の全文をテキストに起こし,紹介いたしました。これらの演説は評論家の西村幸祐先生がそのブログにおいて紹介してくださったおかげで,ネットを利用している方にはある程度知れるところになったと思われます。

 さて,通常,他国の首脳が国会で演説した場合,その国のメディアはその内容がどうであれ,全文を紹介するべきでしょう。しかし,両国の場合,国会における演説はおろか訪日されたことさえろくに紹介されませんでした。

 あれ以来,外務省や国会のホームページを見て,どのような国の首脳が日本を訪れているのかをよくチェックするようになりました。そうしましたところ,今年もまた早速,マスコミがそのマスゴミっぷりを遺憾なく発揮される事態に直面いたしました。

 表題にありますように,本年2月27日,モンゴル国大統領ナムバーリン・エンフバヤル閣下が国会で演説されました。その様子は,国会の中継としてネット上で閲覧することはできますが,マスコミが取り上げなかったため,ほとんど知られていないと思われます。モンゴルは親日的な国家として知られており,またかの地に我々日本人のルーツがあるともいわれるなど,起源においても近い民族同士であるいわれています。まして,大統領といえばその国の代表。国家元首であられるわけです。その国会における初の演説を無視するというのは,モンゴルに対して失礼なことではないかと思います。

 そこで本日,ここに大統領の行われた演説の全文を掲載いたします。

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 「(挨拶略)モンゴル国と日本との間に外交関係が樹立されて僅か35年ではありますが,両国の国民は,起源・歴史・文化において古の時代からのつながりを有しておりました。(聞き取り不能)については,モンゴル及び日本の著名な学者が研究を行い,定説となっています。このようなつながりは,両国間および両国民間の交流を発展させるための良好な関係を作っているといえましょう。


 今日,モンゴル・日本両国が相互的パートナーシップに基づき,多くの分野において協力関係を積極的に発展させることは,(聞き取り不能)と存じます。ただし,モンゴルと日本の関係発展の道のりは,平坦ではありませんでした。モンゴルにとって,日本は最近まで『近くて遠い国』でありました。これは社会体制と価値観を異にする両国が,冷戦の『鉄のカーテン』によって隔絶され,相互理解が不十分であったことと関係しています。しかしながら,関係を改善したい,協力関係を発展させたい,また仲良くしたいと願って共に努力すれば,歴史の曲折を乗り越えて未来を志向した緊密な友好関係を構築することができることを,モンゴルと日本の両国は示したと本日誇りをもっていえることは,喜びです。


 当時のソ連で起ったペレストロイカの影響を受けて,80年代末90年代初めにモンゴル国に広がった政治・経済・社会改革は,モンゴルと日本を自由・民主主義・市場経済といった共通の価値観によって結びつけ,両国関係を発展させる新たな時代をもたらしました。共産主義体制を放棄し,新たな発展の途を歩み始めた当初数年間,モンゴル国民は多くの困難に直面いたしました。モンゴルでは『苦しい時に真の友がわかる』と申します。日本国は,モンゴル国の民主化と改革を二国間において,また国際条理において支援するとの政策を1991年に表明し,一貫してこの政策を実施してこられました。これまでに日本国から,総額23億米ドルの援助をモンゴルに供与していただきましたが,これは支援国,国際機関の対モンゴル援助総額の過半を占めております。これらの援助は,モンゴル国が移行期の困難を克服し,経済を安定させ,将来の発展の基盤を構築する上で,大きく寄与してきました。また,日本国には世界銀行との共同議長の下,『モンゴル支援国会合』をこれまで10回開催していただきました。モンゴル国及びモンゴル国民は,日本国の支援,援助を高く評価しております。日本国国会のこのような名誉ある演壇から,日本の国民と日本国政府に,心から感謝を申し上げますと共に,深い畏敬の念を表明させていただきます。


 
モンゴルと日本の協力は,政治・経済・文化・教育・人道的分野において活発に発展しており,友好関係・相互理解は益々深まってきています。一つの例を申し上げれば,昨年は大モンゴル建国800周年を,『日本におけるモンゴル年』として記念し,2万人近くの日本人がモンゴルを訪れました。その中に国会議員が約80名,現職大臣が数名,モンゴルを訪問され,さらに両国首相の相互訪問も実現いたしました。本年はモンゴル・日本外交関係樹立35周年を迎えており,『モンゴルにおける日本年』として幅広く記念事業が実施されています。これらはすべて,モンゴルと日本の関係が高いレベルに到達したことを示すものであります。モンゴルと日本の関係に現れたこのような変化は,モンゴル人の日本に対する気持ちの変化につながっているといえるでしょう。日本に対する現在のモンゴル人の気持ちを,モンゴル人は,モンゴルの専門家は『3つのK』,感謝・関心・期待という『3つのK』で表現しております。日本国からモンゴル国への支援に対する感謝,多くのモンゴル人が日本について知りたい,日本と協力したいという関心,そしてモンゴルの発展のために,日本が今後も支援してくださるという期待であります。日本はモンゴル国が困難な時代に友人としての手を差し伸べていただき,また日本国は今後モンゴル国の発展を加速させ,モンゴル国の国際的な地位を強化するための重要なパートナーであることから,我々は日本国をモンゴルにとっての『第三の隣国』と位置付けています。従いまして,日本国との協力を発展させるとの目標は,モンゴル国の多極的外交政策の重要な方針の一つと申すことができます。

 尊敬する国会議員の皆様,モンゴル国は,民主主義体制と市場経済体制へ移行する過程において,具体的な成果を収めてきております。1990年に行われた初の自由選挙によって組織された国会は,1992年に新憲法を制定し,モンゴル国が民主主義,市場経済によって発展するための政治的及び法的な基盤を構築しました。政治改革は成功裏に実施され,自由選挙,複数政党制は実際に定着し,基本的人権と自由が保障されています。経済改革は多くの困難に直面しましたが,成功裏に進展し今日移行期は基本的に完了しております。移行期当初の数年間は,インフレ率が300%以上に上昇し,国の歳入が激減し,実質的賃金が減収するなど,財政難は極めて深刻でした。この困難を惹き起こした実質的な原因は,国内総生産の大部分を占めていた当時のソ連からの援助が止まり,COMECONが崩壊したことでした。経済体制の移行は,モンゴル国の工業生産の急落,社会サービスの欠乏,失業の急激な増加,貧困等を生み出しました。国が採った様々な施策及び支援国の援助のおかげで,経済は1995年から回復し,2000年からは安定的に成長し,2004年には10.7%の経済成長を達成し,最近数年間は平均6%~7%の経済成長で推移しています。インフレ率も一ケタ台に抑えられ,実質所得も増加しています。国内総生産の70%以上を民間部門が占めています。モンゴル国の改革の特徴は,政治改革と経済改革を同時に行ったことです。これは,『苦しみは短く,幸せは長いほうがいい』というモンゴル人の人生哲学と関係しているといえましょう。こうして全体主義政治体制から民主主義政治体制へ,そして中央計画経済から市場経済へと歴史的移行が実施されたのは,過去17年間の主要な成果です。しかしながら我々は貧困を削減し,失業問題を解決し,国を持続的に力強く発展させる上で容易ならぬ問題に数多く直面していることに変わりはありません。我々は比較的長期的な開発計画と戦略を策定しています。我々がその目標としているのは,鉱物資源分野に依拠した,力強い発展の端緒を開き,富を蓄積し,更に加工業を発展させ,先進技術を導入し,知識経済を振興し,国民が高度な教育を受け,比較的豊かでかつエコロジカルな環境の中で生活する力強く発展する国の建設です。

<2へ続く>






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最終更新日  2007年03月02日 22時24分08秒
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