40日のこと・・・ICUの夜
事故の夜は、主人と、ICUに詰めていました。本来ならば、いけないのですが、看護士さんたちは、黙って見過ごしてくれました。夜中、刻々と変わるモニターの数値から目を離すことができませんでした。 しょうた・・・胸にあけられた穴は痛むかい?話したいことがあるのではないの?おかあさんやおとうさんがいることは、わかる?しょうた・・・しょうた・・・しょうた・・・。早く戻っておいで。おかあさんに抱っこさせてね。 ずっと、しょうたの身体にふれていました。しょうたの身体は低体温療法とやらで冷やされていました。冷たいだろうと、かわいそうでなりません。脇の下や首筋に氷をあてられています。身体の下には冷却シート・・。「これをこえれば、しょうたは戻ってくる。今だけの辛抱だ」と自分に言い聞かせました。 実家の両親や、義父や義妹一家がいてくれる間は、待合室でぼーっとしていました。ゆきちゃんやけいちゃんが心配して来てくれました。事実が受け入れられず、わたしの身体は不安の涙を流しているのですが、心は天井からなんの感情もなく自分を見下ろしている感じです。 一日目は、じりじりするような長い長い夜でした。 夜中にひょっこり顔をだした主治医に、モニターの数値について聞きました。「先生、この数字は何をあらわしているんですか?」「ああ・・これはね・・・」血圧、脈拍について話しました。そして、ついでのようにこう言いました。「これは、血中の酸素の量ですね。100が最高。そして、70をきると危ないんですよ。爪がだんだん、紫になってきて危険な状態になるわけです。そして最終的には、死を迎えるんですね。」わたしは、激しい感情を抑えて、無表情に医者の顔を凝視しました。無言になったわたしに気がついた医者は、そそくさと部屋を出て行きました。「なんだ、あれは!」主人が吐き捨てるようにつぶやきました。 しょうたの酸素量はどんどんさがります。「すみません!」必死の思いで看護士さんを呼びました。 「大丈夫ですよ。クリップがずれてうまくひろえないこともあるんです」そう微笑んで、クリップの位置をなおしてくれました。数値が90台に戻りました。涙がでました。 しょうたの命をあの医者に託すしかないのか・・・。疲れと虚しさと不安が澱のように心にたまってゆきます。じっと、夜明けを待ちました。