さよならハンサムボーイ
昨日夕方。同じ町内に住む同級生から電話が入った。普段 話すこともない人なので、はじめは誰だかわからなかった。「今日、S子から電話があって知ったんだけれど、 MA君が亡くなったんだって。」「・・・本人なの?」と思わず。「うん。26日に通夜で、27日が葬儀。場所は〇〇のセレモニーホールだよ。わたしは明日行く予定にしてる。」と電話の彼女。MA君は同じ町内に住んでいた同級生だ。結婚して近くの町に引っ越していたらしい。詳しいことはわからないけれど、病気で入院していたらしい。S子が友人を介して聞いた話によると、家族葬として送るのかもしれない。少し話をして電話を切った。MA君か・・・・。小学校も中学校も同じだったけれど、ほとんど話したことはなかったなあ。彼は小学校の途中で転入して来た、甘いマスクのハンサムくんだった。彼のハンサムぶりをやっかんでか「Mの歌」なる歌を男子が作って歌ってたっけ。”〇〇〇(M君の名字)〇〇〇、ハンサムボーイ いーつも オンナにモテちゃって。 〇〇〇 、〇〇〇 、ハンサムボーイ ”誰が作ったんだか。いかにも小学生のガキ大将が歌いそうな歌だ。でも不思議とまだメロディーを覚えている。おもしろがって歌ってた 同級生ダンシの声と共に耳に残っている。変な歌を献上されて迷惑だったろうが、M君はいつも飄々としていた。顔のハンサムぶりよりも、わたしはその態度がカッコイイなあと思ってたような気がする。大人に見えたから。そういえば中学を卒業してから、彼と2度ほど意外な場面で出合ったことがあった。1度は 大学受験の帰り、最寄の地下鉄駅入り口で。お互いびっくりして、しばし顔を見合わせてしまった。だって、その場所は東京だったのだから。時間帯から言って、彼も同じ大学を受験していたんだろうと思う。わたしは、その大学をすべってしまった。多分、彼も。2度目は わたしの実家の門扉前で。中学の同級生だったとあるダンシが、わたしに告白(!)するのに付き添いとしてM君を連れてきていた。その時わたしは大学生だった。(こんな所にいるのだから、M君も東京の大学をすべったに違いないと思ったわけ)なぜM君がついてきたのかは全くもってわからなかったのだけれど、その時も相変わらず飄々とした彼の態度に、不思議と安心感を抱いたことを覚えている。そうか・・・。MA君は、もういないのか。地下鉄駅で偶然会うことも、実家の門の前に立ってることも、もうないのか・・・。1回しかなかったことなのに当たり前すぎることなのになんだか、そんなふうに思ってしまった。今日、わたしは通夜に行かなかった。明日の葬儀にも行かない。家族葬のようだし、今までも 今もお付き合いはないし。残されたご家族のことを思うと胸がかすかに痛む。でも、ニュースで流れる事件や事故の被害者の方たちを思うようには悲しみの感情が動かない。何故だろう?彼が病気だったからかもう半世紀近くを生きたのだから、そんなこともあるさとわたしが思っているからか近くにいなかったせいで実感がわかないからかわからない。どれもがそうで、どれもがそうではないような気がする。ただ。わたしの記憶の中のMA君は いつも飄々としていて。亡くなったからといって、それは全然変わらなくて。それが一番 彼らしいとわたしには思えて仕方がなくて。そんな彼に不思議と安心しているわたしがいるのだ。MA君。きっと何人かの同級生が あなたを想って「Mの歌」を胸の中で歌ったよ。いつか向こうの世界ですれ違うことがあったら今度は立ち話でもしよう。今は さよなら ハンサムボーイ いつか、またね。