とろとろと
この3日間、とろとろと眠りに逃げていました。一昨日と、昨日と。宅急便を出したり、振込みに行ったり、買い物をしたり。それでも少しだけ外に出ましたが、今日は全く。自宅前のゴミ捨て場にゴミを出しに行っただけ。メールの返信もせずにごめんなさい。電話もでなかったりしてごめんなさい。とろとろと 眠りながら あの頃歌ってた歌を 夢の中で聞いていました。照太を病院に残し、つかの間自宅に戻る道すがら車の中で歌った歌。小さい頃、照太は よくお花を摘んでわたしにくれました。髪に挿してくれたり、ぽっけに挿してくれたりしました。わたしは、とてもうれしかった。交換条件のない無償の愛を受け取ったのははじめてだと感じました。小さくて大きい 愛のかたまりのようなかわいい子。陽だまりみたいに あったかい子。照太と巡り合うまでのわたしは、どうしようもない寂しさを抱えていました。「お勉強ができたら 良い子と思ってもらえる」「おりこうにしてたら 」「きれいにしてたら 」「明るくしてたら 」・・・・「〇〇だったら」という条件なしには愛してもらえないと思っていたし、実際そうだったのではないかと思います。何もない素の自分には価値がないのだと 無意識の意識の中で感じていて、それが救いがたい寂しさとなってわたしを縛っていたのです。両親にも友人にも恋人だった人にも夫にも。それは癒されることはありませんでした。頑なに自分を閉じ込めていましたから。自信がない。自分をだして拒否されるくらいなら、条件でかためた自分でいた方が楽。(あのね・・・また?って笑われるかもしれないけれど・・・マイケルにシンパシーを感じるのはここのところ。多分彼も同じ寂しさを抱えてた。わたしと同じ匂いがした。)それが、照太の前では自分を解放できたのです。照太の前で、わたしは「母」の時もあったけれど「子ども」の時もあって、与えられなかった子ども時代をやり直していました。誰にも見せたことのない甘ったれた自分も、ダメダメな自分も。照太はそのまま笑って受け入れてくれました。信じられなかった。呼吸が楽にできて・・・そして、何もない素の自分を愛してくれる人がいることがこんなにもあたたかく自信をくれるものだと知りました。自分のことをもっと愛してあげよう。照太に出会って、はじめて自分を見つめました。「赤い花 白い花」は、照太の笑顔を思う歌です。同時に、無垢な心を感じる歌です。照太がどんなわたしも無条件の愛で受け入れてくれたようにわたしも、ただただ透明な心でに照太を思い、快復を願い、傍に寄り添おう。どんなことがあっても・・・・たとえ、照太がどんな姿になったとしても、この歌のようにわたしの真心の花を照太に捧げ続けたい。そんな祈りのこもった歌でした。