原発への思いなど。
昨日のこと。我が家の向いの駐車場付近で、花火を見物していた家族がいました。見終わって帰る頃、小さな男の子が「終わっちゃうのイヤだ~」とかわいらしい声をあげました。お父さんらしき男性が「また、来年も来ような」と優しくこたえていました。「来年」か・・・。・・・・瞬間、涙がどっとあふれ・・・・その場所は、照太がはねられた場所で。はねられた照太に「来年」はこなかった。「またね」の約束は永遠に果たせない。悲しいのとも 切ないのとも 悔しいのとも 微妙に違う気がする涙。ただ ただ 照太とともにあった明日も明後日も来年も・・・ずっとこないことを思うと胸の中に焼け付くような痛みがある。あの家族に、来年がありますように。来年も、再来年も ずっとずっとずっとこの先の日々が、当たり前のようにありますように。======================================今日の中日新聞朝刊のコラムがよかったので紹介したいと思います。(以下 青字部分)「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ▼教授の試算は衝撃的だった。福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという▼福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある▼細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない▼児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない▼「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。わたしは、原発に関しての事実の隠ぺい工作に、いいかげんうんざりしています。猛烈に怒りをもっています。中国の列車事故を、日本人は笑ったり馬鹿にしたりできないと思います。中国政府は稚拙なやり方で。日本政府は巧妙なやり方で。表だって見えるものが違うだけで、やっていることは同じです。「人命の軽視」あらゆる場所に あらゆる人に 原発マネーがばらまかれてて。事実を隠すために皆必死だ。自分たちが現役のうちにバレなきゃいいやと、口をつぐむ。来年も 再来年もその次も・・・ずっとずっとずっと・・・子らは生きていく。その子らも生きていく。わたしに通じる血は絶えて 生きる子はいないけれど。日本の子は ずっとこの地で生きていくのでしょう?この地を汚した責任は誰がとるの?それは、大人であるわたしたちのはず。知ること。つらくても。目をそむけず、見ること。わたしにできること。わたしの選んだ政治家がどんな動きをしているか。何が本当で何が偽りなのか。常に知ろうとすること・・・そう し続けること。ちょびっと次回に続きます。