新聞コラムより
本日の中日新聞コラムが秀逸だったので覚書のために掲載します。===================================【コラム】中日春秋 2012年11月5日 <てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。うつくしいていねんは しんじつそのものです。くるしみのなかで ひかりかがやいています>▼美しい諦念を握り締めて生きる。この言葉を書いたのは十五歳の少年だ。臼田輝(ひかる)君は一歳になる直前、都内のマンション五階から落ちた。動くことも、話すこともできなくなった。母の真左子さんは「心も身体も毀(こわ)れてしまった」と思った▼数年たって、彼の目が輝く瞬間があることに気づいた。鏡を覗(のぞ)き込むように瞳を見つめなければ、気づかない光だ。十三歳で指先の微細な動きでひらがなを表示する装置に出合い、光は言葉となった▼<へいわがくればいい/うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり/いつのひか ちいさないのちがうまれて/そだっていくように>▼その言葉に、みんなが驚いた。真左子さんは言う。「やっと命をつないで生きている子どもたちは、喜びと悲しみは隣り合わせだと知っている。輝もすべてを受け入れていたのでしょう」▼<てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。のぞめばいつでもてにはいりますが だれもこのことはしりません。なぜならにんげんは つねにらくなみちのほうをこのむからです。いきるということは くなんとなかよくしてゆくことなのです>。輝君は十六歳で天に召された。====================================美しい諦念こんな言葉を思いつかなかったが、これはこの頃ずっとわたしの中にあった思いだった。神戸の先生は よく「いかに生きるかは問題ではありません。いかに思って生きるかが問題なのです。」と言われる。わかるような気もしたが、実際のところ???と思っていた。だって、殺したいほど憎い人でも心の中で思っているうちは罪ではないでしょう?実際に行動に移すのを我慢できる理性があるのだから、それでいいでしょう?心の中は人には見せない。その中ならわたしが何を思おうが自由なはず。誰も傷つきはしないし。そう思っていた。夏が過ぎる頃からかな。先生の言われることが深く深く自分の中に入りだしたのは。いかに生きるかが問題ならば臼田輝くんは、いかようにも生きられなかった。寝たきりで言葉を発することもできない。装置なしでは感情の表現もできない。植物のように、ただそこに存在するしかない人だ。でも、いかに思って生きるかに目を転ずれば彼の思いのなんと気高いことか。内的世界の豊かさに圧倒されてしまう。(彼の瞳の光に気づき、言葉を与え続けたと思われるお母さんの細やかな愛情にも打たれるのだけれど)「生きるということは、苦難と仲良くしてゆくこと。」照太の命を諦め自分の命にも執着を持たず親子や夫婦の関係からくるさみしさも思い通りにいかない生活上のもろもろも受け入れる何も持たず 裸の自分で立つ。それを恐れずにいたい。静かで強い 美しい諦念 をわたしも手の中に握っていたいと思う。