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しょうたを喪った時から今までを除いて
わたしの人生の中で寂しさを最も強く意識していたのは 小学生の頃。 普通の人なら多分、一番何も考えずにいられたはずの時期かな。 この時期、「自分は愛されてるんだ」という思いを根っこのところに持てずにいると 人生が変わるように思う。 とことん、自信がない。 自分に誇りは(かろうじて)もってはいるものの、他者のほうが大切に思えてしまう。 コンプレックスやネガティブな物の捉え方に四苦八苦して自分を持て余す。 (今も、そんなところは なおらない。) 耐えられないほど寂しい時は、 よく空想の世界に逃避していた。 漆黒の闇の中 宇宙には 小さな美しい球体が無数に浮かんでいる。 浮かんではいるが、実際は目に見えない。 球体は、しゃぼんだまのように 破裂と誕生を繰り返している。 破裂した 球体の破片は 静かに地球に降り注ぐ。 そして母親の胎内に眠る胎児のタマシイに溶けていく。 それぞれの球体のカケラが それぞれの人のタマシイに入り それぞれの人の感性の元となる カケラは、ゆっくり飛散して降り注ぐので どこの土地の人にいきつくのか いつの時代の人にいきつくのか 皆目見当がつかない わたしは、同じ カケラを持った人を探すのだ 出会った瞬間に タマシイ が呼び合うはず 「ここにいるよ」 「やっとあえた」 タマシイ は固く結びついて離れないだろう 今がこんなに寂しいのは 同じ カケラを抱えた人に まだ出会えていないから その日がきたら、寂しさは消える 小学生のわたしが焦がれていた出会いは、残念ながら まだない。 いや・・・ ひとりだけ見つけた。 けれど先に逝ってしまった。 多分・・・きっと・・・同じ寂しさを抱えていたはずの人。 出会いたかったな。 手の届かない人だったけれど。 人生の半分以上は、もう過ぎた。 今生では、無理かもしれないね。 ほとんどの人が出会えないはず。 小さな球体のカケラだもの。 わたしの中には 11歳の小学生が。 膝を抱えて 宇宙を見つめている。 ジョン・レノンと オノ・ヨーコは 出会ってしまったんだね 奇跡のように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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