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灯台

名人伝



 しろつつそで          うまのりばかま
 白筒袖にしゅっと身を通して馬乗袴を穿き、洗濯したばかりの白足袋を履く。

 競技者数は六万人前後――実施校数は約二○○○校・・

 しかし見た目以上にハードなトレーニングで、こんなクラブを選んだことを、

 呪ったこともある。いやしかし、朝――、それも秋ごろの・・、

 弓を放つ時の静かな気持ちはこの世のものとは思えぬほど、胸にくる。熱くなる。

 と、俺はそんなことを考えながら、部室のロッカーからすべてを取り出す。

 弓道部の部室内は男の部屋とは言え、綺麗だ。

 クラブ内容がそうさせているのかも知れない。

 「と・・・」

 俺は左袖を弦で払わないための襷掛けを、

 すっかり忘れてしまっていた。

 裏庭のコンテナの工事現場風の部室――

 おそらく仮設トイレがない方が不思議な部室だ。

 と、その弓道部の部室に女子制服&黒のストッキングの、

 タイガーリリーがやってくる。

 しかしそんな俺の頬に――

 朝陽がカッと窓の向こう側から射す――。


 親父がタンスのうえにネクタイを忘れたまま出勤し、

 会社のロッカーから いやもしかしたらユニクロや古着屋で

 購入したネクタイを首からブラ下げているかも知れない。
  
 忘れものの名人で――、いつも通りとすまし顔・・・、

 しかしその父親がいなければ、弓道部に入ることもなかった。

 もう何も抗うな・・目覚めのコーヒーを沸かす薬缶の蓋が、

 カタカタ! カタカタ! 

 いまにも吹きこぼれてしまいそうに思える俺に・・・、

 寄りかかった壁が、ひんやりと冷たい。

 タイガーリリーの目が合う――。

 俺達は会話を交わさない・・・、

 でも、可憐だ・・・。

 僕等は、手をつないだりもしないし、キスもしていない。
 
 もちろんそれ以上のことなんか出来るわけもない。清いと言えば、

 純愛なのだろうが、たんに奥手で、実際彼女がそういう気持ちでいることを知ったのは、

 本当につい先日のことだ。タイガーリリー!

 (それにしてもすごいあだ名だなあと思う・・

 そして彼女は、青春ドラマでお約束の、

 商店街の籤の賞品の身の上となりながら・・、

 あなたを信じているからと、一週間前の川べりで自転車ごしに、

 俺の手をやさしく握った。


 近的・遠的の違いがわかる奴は弓道部だと、

 そういえば、昔、先輩がフイていたことがある。それぐらい、地味で、目立たない。

 学校の敷地の隅にあり、いつも日陰にあるような感じがする。

 でも、それ以前に、『筒袖』というのが読めたら、弓道部だ――。

 建物の扉を勢い良く開けた。

 誰もいない。広い屋内弓道場・・。

 部室とのギャップに面食らっていたのは、高校一年生の時だ。

 語るのは勝手な価値観と考え方・・、

 自分が正しいとは思っていないけど――。

 ウォーミングアップを念入りに行う。たんに、怪我を防ぐためだけじゃなく、

 運動パフォーマンスを高めるためにも重要なポイントだ。

 弓を引く時のフィーリングも、こころなしかよくなる。

 準備完了で、俺は弓を取り出し、稽古用の巻藁に俺は向かう。

 巻藁は射場に八つ用意されている。

 弓に矢をつがえる時の音。的を睨みつけるように見る姿。
 
 弓を引き、じっと構える様。スパン、と――。

 さまざまな確認をしながら、無心になって弓を引く。

 空気の流れも匂いも、音も温度もいらない。

 これから俺は決闘をする。


 浮き沈みをくりかえすことが多い思春期は・・、

 ちょうど川のながれに為す術もない、一葉みたいに、

 静かにそして確実に 薄れてゆく意識が、俺を押し流していく。

 きっとあらゆる抵抗なんて無駄なんだと気付きながら、

 それでも俺たちには若さがあって、恋をして、勉強をしている。

 クラブでくたくたになって家の飯を空っぽにする。

 なにもかもを吸い込んでしまう、ブラックホールのような食欲。

 数年後、まるで何事もなかったかのように、

 サラリーマンをしてる奴、遅い青春している奴、

 そして結婚してる奴もいるだろう。でも確かなことは、期限付き。

 だから欲しいものは絶対に自分の手で奪い取れ!


 そう言い聞かせながら 弓道部歴十年という同級生が、

 すごみを帯びていつもより肩幅が広く見える。

 背丈まで、ずうンといつもの二倍に見えるのも、

 俺の眼の恐怖心のせいかも知れない。

 呑まれるな・・落ち着け――。

 平常心がどんなに大切なことか、改めてよくわかる。

 しかし、昨日の夜、あまり眠れなかった。

 どのくらい時間が経ったのだろうと見た時計がふっと浮かんだ。

 短い針が、あらぬところを指している――。
 
 結局、あんまり眠れなかった。コンディションは最悪だ。

 それでも、集中して、いつもの状態をイメージしてそこに近づけていく。

 弓道場の雰囲気にも、若干の変化が見受けられてきた。
 
 ぽつらぽつらとギャラリーも集まってきた。

 心を鎮めていないと、聞こえてこない、

 鼓膜を軽く鼓つ・・・、かぼそい音――。

 やがて鶏の声も、原付バイクの排気音も・・、

 亡者も、たき火の爆ぜる音も消えるだろう――。


 ――スパーン! スパーン! スパーン!

 練習時には調子に乗っていつも連続射的をくりかえす奴が、

 ファミコン・ゲームよろしくコンボと言う。

 弓道というのは、二十射で的に当てた矢の数を競う。

 普通はひと立ちで四本の矢を射て、そのたびに回収し、

 それを五回繰り返す――。

 (もしあいつが喋るのなら、どんな言葉を俺に掛けるんだろう・・)

 と、昨日から考えていた膨らんだそれが破裂してゆく。

 わりと普通に接することが出来そうだ。

 でもこれからは違うコンボが俺たちを待っている。

 塾いかなくちゃいけない・・、進学どうする――。

 放浪の旅に出たい、という変わり種はともかく、
                    まと
 俺達はただ只管に無知蒙昧に標的をめざす。

 バッティング・センターと化す道場。

 混迷の世に境地を目指す三昧――

 無智への排斥・・・しろい息――。

 いつもとかわらずに湾曲する細長い和弓約二二一センチ。

 両端に張られた弦の張り詰めがゴムのようにしなり、

 柄にもなく、バナナ型と誇張しそうなフォルムを、

 俺は下弦の月みたいに思いながら、

 その不安定な形をぎゅッと握り締める。

 執り弓の姿勢・射位・足踏み。

 徐々に徐々にたかまっていく興奮が道場の雰囲気を変える頃・・

 ギャラリー、またの名を、名もなきやじ馬たちが集まって、

 否が応にもプレッシャーは両肩にくる。

 なんでこうなったんだ、と溜息をついても、もはや後の祭りだ。

 だが緊張を切ってはいけない。その時に糸はよじれ、

 途切れてしまう。そのまま、解けてしまえば跡かたもなく消え去ってしまう。

 そして神々しいほどのしずかな時間・・自分だけの世界――。

 
 唇と舌で、動かない空気を震わせる。

 ごみが散らばるのは袋がないからだ・・、

 鳥を捕るために網がいる――、

 時間は砂時計を見ればわかる・・・。

 あらゆるものは何かの作用によって濁っていく。

 卓見した叡智は『ススメ』という、

 けして、『モドレ』とはいわない――。

 最後の審判をも感知する一つの声。その直後、意識を手放した。

 そして力が白紙に吸い取られ、もういち度だけ、眼をつむる。


 勝負がはじまる前に、俺は奴と正々堂々と握手をした。

 しばしの間、気まずい沈黙が流れた。

 ようやく思考が追いついた。

 お互いにどちらから切り出すか探っているようだ。

 (俺は絶対にお前に負けない――とか・・)

 まさか、違う・・いい勝負をしよう――。

 ほんの少し前まで、ギャグや、ジョークを言いあっていた間柄だ。

 なんだってこんな真剣勝負をするのかもわからない。

 (お前は俺のライバルだ、とかなら、締まるんだろうが・・

 実際には、奴の転校が事の発端だ。そして、奴は、

 タイガーリリーに告白をした。

 しかしタイガーリリーは俺のことが好きだと言った。

 そしてある日の二時限目のトイレで奴は顔を洗いながら、

 俺に今度の決闘のことを持ち出してきた。

 もちろん友情と恋愛を天秤にかけるような真似はしない。

 というか、恥ずかしかった。返答は短かった。

 意図が、掴めない、と言った。

 オマエ、ドウカ、シテンジャナイカ、と言った・・・。

  
 すばらしかったあの日々――

 太陽はとっぷりと頭まで潜ってしまい、街灯が嬉しそうに道を照らしている。

 帰り道に、屋台でラーメンを食ったり、

 中華料理店で半チャー半ライを喰った。ポカンと口を開けながら、

 いつもジャンプとマガジンとサンデーを立ち読みした。肉まんを食った。

 そして忍び足しながら・・、エロいビデオや雑誌を売ってる自動販売機に・・、

 かしゅかしゅっ、と硬貨をを入れ、

 息を殺しながら戦利品を手に入れた、あの夜――。

 共有する、分かり合うということは、多分、

 親友という言葉以外で表現できないと思う。

 俺はあまり誰とでも親しく接するタイプではなかったし、

 まして子供の時から全国大会で顔をあわせることの多かった、

 ライバルでもあったし、特待生で入学してきた時、

 正直、面食らったことをいまでも覚えてる。そんな奴と、

 最高に楽しかった時間を過ごして、女のことで、争いたくない。


 しかし面食らった!

 奴は俺をその気にさせるために、あることないことフキまくった。

 挑発だというのはわかっていたが、腰ぬけだとか、あいつは根性がないとか、

 挙げ句、後輩の前で、ヘタクソ、とか言ってくる。

 それがどんなに下らないことかと言っても、奴は止めない。

 勝っても負けても、意味がないことだと言っても、聞かない。

 でもやがて僕も悟った。友情にヒビが入っても、

 もうこいつとは昔のようにはいられない。僕は受け容れた。

 けれど、その話がタイガーリリーへと進んだ時、

 僕等がタイガーリリーを賭けて決闘をする、という話に尾鰭がついていた。

 これには参った。もちろん、あくまでも決闘をするだけだったからだ。
 
 だが、周囲はそう思っている。もちろん奴が勝っても、

 タイガーリリーを振り向かせられるわけじゃないことぐらいわかってるだろうし、

 そんなこと、できるわけもない・・。

 でも、そんな漫画みたいな決闘に仕立て上げられていた。

 ぶるぶるっと感じた手ごたえは、腕を引き抜いた瞬間まで続いた。

 噎せ返らせるためにしかない呼気と吸気 

 弓道場の緊張感が肺を満たしてゆく――。


 でも確かにそうだ、俺たちは所詮親の都合でうごくしかない。

 どんなにペダルを漕いでも 街灯のテリトリーから

 俺たちは抜け出すことはできない・・・、でも、もがいてた――。

 何か違和感を覚えながら、それでもその正体には気付かぬまま過ごす。

 いつかきっと『今日』もなければ、『明日』もない、

 『思い出』だけが、静かに佇んでいるような瞬間が来る――。

 グレープフルーツをざっくりと切り分けると、

 酸っぱい芳香・・、でも、そう果物になりきれない――。

 反射――。神経が研ぎ澄まされる一瞬・・、

 ごくりと俺は息を呑む――。

 牙を剥いた的にロープではられた、そのテリトリーが、

 仲違いの証のように見えてくる。

 でも知っていたんだ、お前も多分はじめから、

 タイガーリリーのことなんてどうでもよかったんだってこと。

 だからお前は一本勝負というトンデモない条件をつけてきたんだと思う。

 『アタリ』と『ハズレ』という勝負・・。

 より真ん中に近い方が勝ちという条件だが、技術よりも、

 運や、その時のコンディション、メンタルの具合が左右する。

 腕前は五分五分。まるで 戦国時代に巡り合った武将同士みたいに、

 胴造りで弓の下端を左膝頭に置き、弓を正面に据える。

 右手は右腰の辺りにある! 血管がどくどくと脈動すれば、

 桜の花びらがちょうど頬をそめたように、
               フリーズ
 美しいもの、儚いものに絵様帯する。さまざまな姿形を表現してみせる、

 この白い指に、やさしい殺意がひろがり、奪われたままの、叫びが・・、

 しきりに俺たちの背中を刺す――。

 
 奴が最初に打った。奴は真ん中から少し外れていた。
 
 そして俺の番だ。絶対的有利だが・・、

 その通りの結末とはいかない――。

 弓構えで斜面の構えをとれば すうッと呼吸が楽になって、

 おびただしい線ではない、ひび割れたような一すじの線が見えてくる。

 蟻地獄に引き摺りこまれたような一瞬。しろい生きもののつむぎ、

 卑屈な笑みをみせているあの日の俺たちが見えてくる。
 
 無免許でバイクを乗りながら校庭をはしりまわり

 夜なかのプールにすっ裸で飛び込んだ。

 いつもそうだ『アタリ』や『ハズレ』じゃない・・。

 丹念に、丁寧に、何かを拾い集めてゆく。

 言い間違いを指摘された羞恥心 仲間外れにされたような孤独

 でもそれは『モドレ』じゃなくて、

 『ススメ』で、

 やがて完成されたジグソー・パズルが俺たちの家をつくる。
 
 そこにはきっと子供がいてさ、安月給でさ、うだつが上がらなくて、 

 でも思い出せば ほんのりとあまい思い出があって・・・・・・。

 やや弓を押し開いた斜面の構えから、両拳を左前方に打起す! 

 そして引分け・・、この時に脳裏では、弓を両腕で弓と弦をそれぞれ前後に、

 引き離し保持しながら弦に矢をかけている――。

 少なくとも、もう遊び心は消えている。

 ばらばらになった 俺に残されたスウィッチは一つ、

 なおも硬直させる全身に またしても聞こえてくるあの日の誓い

 恋なんてしないとか、お前とは絶交だよとか、

 勝負してやろうじゃねえか、とか――

 ああ、いつのまにか、俺の眼に汗じゃないものが浮かんでくる。

 でも全部が『カチ』とか『マケ』で、決まらない・・。

 矢とともに弦を手で強く引いて離す・・・、

 鹿の革のゆがけがひとつの腹のようにみえてくる――。

 弓の放つ心――身体動作、型、この秩序のために身動きひとつとれない。

 才能が残酷なほど物を言い、努力が必ずしも比例するとは限らない。

 あらゆるスポーツ、勝負ごとには、さまざまな運が詰め込まれてる。

 何もかもが寝静まる中でさらに問い掛ける・・、

 言葉はそういう時、それほど重要視するほどのものじゃない――。

 ついに結び得なかった映像が、語り得なかった想いを 

 今も深いため息の奥のそれを甘酸っぱく甦らしてみせる・・・。

 矢は右頬に軽く添え、小鼻の下部から上下唇の間の高さ以内に収められ、

 次動作の離れへとむかって力はかけ続けられている・・、
 
 残心――。そのままの姿勢を数秒保ち、心身ともに一息置く。

 たがいを見守りながら、掛け声をかけ、手ほどきどおりの獰猛な爪牙、

 その弾性から得られた反発力で、矢が飛翔し遠方の的を射抜く一瞬、

 あのイメージの鳶が舞う。三つの羽根の後尾燈が天使のラッパを吹く。

 葉裏を返して揉み合う樹々の鋭い叫び・・、

 たとえばそれは、影のなかに毛虫を見つめる――。


 『目指すものに形はない』と思う――

 『変わりつづけること』すなわち『遊ぶこと』だ・・。

 いま心が水にひたされ、呪いや祓いの力を持つ伝説を追い風に、

 弓折れ矢尽きんとも、名人伝の域に達するまで、俺たちは、勇猛果敢に闘う。

 そこには、意識を束の間たゆたい沈んでいったものたちがある。

 こらえきれずに洩れたかすかな呻き声が聞こえる。

 俺はもう何も見ていない――

 数十秒間、俺たちの息の根は止まっている・・・。


 歓声が聞こえた。

 驚くほど、真ん中に命中し、勝利は確実に俺のものになった。

 愛しのタイガーリリーがそれを見て、惚っとりとした様子で、

 俺の胸に飛び込んでくる。そして、まるっきりまとまりのつかないことを、

 話す。すごかったとか・・、絶対に勝ってくれると思ってたとか――。

 小走りにジャンプしてくるうさぎを、

 はじめからそうしたかったみたいに、俺は、やさしく抱きとめる。

 一瞬宙に舞ったとりどりの鮮やかさに、

 奴はもしかしたら、恥ずかしそうに眼を伏せたかも知れない。


 長い髪に隠された・・・、ふるい夜半のこと――。

 くろ髪は夜の川の流れのものとして忌み嫌われていた、

 深いほど流れは早い・・、だが――、

 乱暴にあつかわれることのおおかったその黒髪を
 
 やさしく撫でる者がいた。そしてそれを美しいと言った。

 何故なら、そのみどりなす黒髪は――、

 汝以外のものに相応しからぬ・・・。


 ようやく私にもわかってきた、とタイガーリリーが言う。

 そうだ、俺は戦国時代のかなしいさだめの妻に言う。

 あるいは、地位ある者の娘というだけで政略の駒とされたこと、

 また、それ以上に、好き勝手な恋ができなかったことを――。

 そしてタイガーリリーは、頬をふくらませ

 俺の眼がとじることもできないほど、いつも以上に大胆になる。

 もしかしたら、男より男らしくなる。彼女は俺にキスをする。

 ギャラリーの拍手が一層大きくなった。

 そして奴は『敗北者』から、

 『他人』になりすまし、ピューピューと口笛を吹き、

 お似合いだよ、ご両人と言う。そしてその一部始終を、

 新聞部に見事にスッパぬかれ、次の日の俺は、

 首とからだのつなぎめがわからない編集技術にやられて、
 
 素っ裸にさせられ、ゴリラしていた・・!

 でも今は太陽が昇るところを見ていた――、

 そう、奴と、タイガーリリーと・・・・

 青色ばかりのパレット――なにかが違う。違う、溜めこんだ、

 空の色、温度も質感も、違う、自由で美しい空の色・・。




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