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灯台

灯台

僕自身を説明せよ!


傲慢不遜より厚顔無恥な人・・

実名より匿名・・・

厳しい人より優しい人――


弁解にだって注解がある、人それぞれ考え方も違う、

だけれど弁解をする相手が

いない場合はどうしよう?・・


足下を黒い蛇が横切って行った――思い出す手がかりすら見失われ、

問題はもっと別の所にある、と思うのだが・・

いつも心をしまってある、常に状況を客観的に判断する、

掛け軸のようなものは、僕が何をしてようが

それはそれほど誰かにとって意味があるわけではない、と述べる・・


でも彼、檜木くんは、

「世の中は表面上しか見ないんですよ」と言う


――表面上しか見ないくせに、社会批判する檜木くんは、

多分に、卑怯だ。

他力本願の人を僕は好かない。

そうだ、真面目に社会を変えようとして、猛烈な抗議活動をしている僕に、

本当になめた口を利く。


「なんでやらないの。やれよ――

お前、おい、やれよ・・おいコラ」


・・・頭を小突く、腹を蹴る――


(もちろん、こういうのを暴力と

言う人がいるわけですが・・・

日常的に暴力を黙認している我々にとって、

この行為はどういう類のものでしょう?)


――いちばん、僕がわからないと思うのは、

たまにこの檜木くんのような人がいる、ということです

もちろん、本当にするわけじゃない・・

でもだから僕は衰えなかった・・老いなかった・・・


僕はあなたの敵でも味方でもありませんし・・ね――

まず、あなたが敵としか見えない諸々の理由を除いた所で、

百歩譲っても、つまりどう転んでも

あなたは僕の味方ではありません――


どうも近頃の天気予報はなかなかよく当たる・・


「享楽的な人は、何かをしているだけでそれでよいのです。

不特定多数の現場にとって、自己主張は怖いのです。

正しいとか、間違っているとかいうのはわかります。

でも妥当性は別だし、自己の引け目においては、

その人が自分より優れていることを認められない。

マザコンだから――あるいはファザコンだから」


僕はふと思った。

あたらしい次の日の精力を恵んでくれる・・

偉大なる不調和を――


「・・・それで世の中が変わらないっていうなら、

自分は可哀想だって言うなら、ただの馬鹿だろう。」


・・・世の中にとってのかくあるべし、平等や平和や愛というのは、

本人なくして成立しない。

その時々に自分の人格に許された限りの誠実を盡くして、

思想を解剖する・・たとえば、能の舞台、

約六メートル四方の小さな舞台の中で、物語のあらゆる場所が表現される・・

そんな風に少しは世界よ、はっきりしては来はしまいかと、

果敢ない望みを思うが、水にやはらかき星の今は下界・・


「自己否定が出来ない人なので、許してあげて下さい。

彼も彼女も、

毎日仕事で忙しいんです・・いい加減なんです、

どうしようもないんです――才能もないんです・・

言い訳の癖が多いんです、情けないんです」


と言ったのは、辻井さんだったかしら?・・

文章の内容を規定する力――内的衝動・・限りなき自然の調べに触れ、

論理的客觀的思考の力に富んだ者のアドレナリンは、

人の世の行方をようとして知れぬ――彷徨と、所在不明の、何処へ行くのか?

(それは、)文字の散乱を残した白い吸取紙・・


「でもねえ、辻井さん、耳なし芳一じゃないんだから、

はたまた王様の耳はロバの耳じゃないんだから、

・・・・・もっと真面目に、話を聞きなさい。嫩葉が延びるように、天国煉獄地獄・・

おかしいな、とはみんな思ってる。この人言ってることおかしいと、

よく言われるけど、知りもしないくせに適当なことを言うから、僕の怒りを買う、

――しかし怒った後で、一本筋が通ってる、とよく褒められる。」


「睡眠時間、二、三時間って、あれ本当ですか?

百日参り、したっていうのも?」

と聞いたのは、橘さんだっただろうか・・


下品な言葉の上へ、むやみにおの字をつけるような詩、

戯れ歌と知りながらごろ合わせをやめられないサイコロ詩――

という発言をしたら、ウケマシタ、と何故かカタカナでくれた人・・


「もちろん、本当ですよ・・でも、逆によくわかった。

集団的無意識という泥を噛む轍は本当だと思うけれど、能力セミナーは嘘だ。

宗教も嘘だ。前世も嘘だと思うのが筋だし、霊界も信用するにはあたらない。

・・・・・・ただ、超能力と、アミニズムの接近、

虐げられ、圧しつぶされそうな精神の悲鳴が別の幻想を見させる、

神話と現代を結ぶ、物語の特徴・・」


自己の見解を弁明するように、

一語を口にするたびに、少し顏の色を変える。

僕は社会を一詩人でもなく、やはり一労働者として見ているし、

それゆえに、人間の救い難いニヒリズムを感じる。

僕が超越的であろうと、僕の根っこは、

若さと、健康とによってはぐくまれた、自然の美しい知恵だ。

でも世の中を、餓えた心臓とでも言おうか、

氷れる胸に刻まれた二月の庭の池の鯉の斑紋とでも言おうか。

多くの詩人にとって有難い話のはずだし、

それは勇気のある発言のはずだが、

それがいまでも、遠い夢、現実的に無理な話だと決め込んでる、

いわば、年若き夢想――木漏れ日・・


(毎日会社へ行きながら、詩を書くのは辛い。)

(・・ねえ、一生の仕事として、詩人という職業は辛くないかい?)

そこから詩のビジネス化や、職業化の話を大真面目に考えた。

選択性がなく、ただ妥協し、あるいはそこに暗黙の了解をさせられ、

ゆえに、困窮し、創作は息詰まる。でも状況を変えることは出来る。

大衆主体のスポンサー制度や、寄付金を募ってもいい、

もっと詩が愛されるなら、人びとはもっと考え方や感じ方を変えてくれる。

でも、飯が食えない理由は、明白だ。詩は、人気がないのだ。

そして詩を書く人は、やはり自分のことを語りたいだけなのだ。

そして、多くの人達が何もしない。出版社はビジネスをしなければならないし、

詩人は仕事へ行かなければならない・・


「人って、他人の不幸が好きなんですね。

しかも、自分と比べて、他人より優れていることに微笑む。

だから稀薄な同情がありうるし、危険な誇大妄想が起こりうる。」


こういう道理に話をするたびに、お金の話が出てくる――

そして嫌な話の一つや二つが出てくる

それを何で誤魔化すか知っているか?

大人なんだから――と 言うのだ・・

でも、そろそろ重い腰を上げて、みんなでもっと、

発展を臨めないかと思ったのが、詩壇革命の始まり。

外面の剛直らしい人がそうであるように、正直な、人間らしい真情だ。


「実際、当初のケースはもっと別の所にあって、

僕は出版や、宣伝活動も必要だと思っていた。賞の参加も。

けれど、出版が個人的であるために、

いつまでも、そういうのが当たり前になっていかないもどかしさを僕は感じた」


――山下さんが、黙って首を振った。
                        あおぞら ひとすじ
彼は、僕と多分大体同じ種類の人だ、蒼空の一線なお落日の余光

人格は極めて高尚で、性質は極めて温和、親切で、

決して暴力を喜ばない・・


「でも、みんな、プライドが高いからね。

ましてや、年齢的な問題とか、ハードルの高さとかがある。

しかも、塚元さんは神様だし――神ですよね?・・いや、神だと思う、

紛れもなく宗教的な傾向を持っているし、超攻撃的で、

読む人の心臓を突き刺すような、

強いメッセージ性が作品にある。うなだれて影のごとく歩む人ならぬものの気配?

プロレタリア的アジテーション?・・あるいはダーウィンの進化論?

ともあれ、俺は前から、

塚元さんは正しいと思ってた。賢いと思ってた。実際、塚元さんが言うまで、

ネット詩の闇――しいては現代詩の闇について考えたことがなかった。

社会の闇も、考えたことがなかった。単純な行為の複雑な手続きをする、

個人が・・どうあるべきなのかということを、塚元さんはよく考えていて、

非常に刺激を受けます。」


・・・湯の煮えたぎる鉄瓶の蓋――

喧噪のある、活気のある生活と・・・反面の、後ろぐらい感情・・

そして爆発する・・生を地上に充溢させるより外にない!


「実際ね――詩の歴史は、マゾヒズムの歴史と言っていいくらい、

不幸な感情がつきまとう。本当は詩で飯喰いたいし、

本当は、そりゃあ、責任も増えるし、楽しいばっかじゃないだろうけど、

それでも、作家に出来て、詩人に出来ないわけがない。

ましてや、テーマやジャンルをもっと変えていけば、

色んなことってどんどん自由になる。読者層を変えていけば、

イメージを変えていけば、ベストセラーも生まれる」


・・・この瞬間は僕自身にとって宇宙だ、

前向きで、いつまでも明るい気持ちが永遠に続きそうに思える。

でも、そう!・・・そうなんだよ・・何処でも事情は同じと見えるなあ――


「でも、中央管理局構想とか、最小単位の情報発信と組みあげとか、

詩の法人化とか、面白いアイディアがありますよね・・」

と言ったのは大野さんだ。


――「勝利は確実だ!」・・「俺は絶対にお前に屈さない!」

という一連の犬の遠吠えをしていたら、勝手に反応してきた人でもある。

本能的で、野蛮で、非文明的で、主我的・・だが・・・

終夜の宴の終局を告ぐる疲れたる乱舞――とは言える・・・・


「賞の意図は、才能の発掘と言っているが、

才能の発掘をしても次の場がない。――と塚元さんは言っていたけど、

まさしくその通りだと思う。ニセ聖者のコペルニクス的転回・・

当初は、あるいは一部の人はいまでもそうかも知れないけど、

段々と目的が失われ、扱いは当初と今では相当違う。

・・・そういうのが若者礼讃主義に繋がったり、賞にとって最悪の敵、

盗作を認める十代の事件・・」


だったら、賞なんていらないんじゃないか、

だったら、そんなもので立身出世を図るような底の浅い構造は、

いらないんじゃないか、と僕は思った。

――賞ではなく、もっと別の方法、地道でもいいから、

もっとみんなにとって利益を還元するような仕組み-システム・・


「塚元さんの面白い所は、早い段階で、

作品のコピーや、模倣を了解したり、著作権放棄にいち早く理解を示してる、

出版社に頼らない――結果を短期間で求めない在り方を長い間持続している。

これはもう相当驚異ですよね。風あたりは厳しいのに、

それでも、もっと沢山の人に詩を読んでもらいたいという考えを持ってる。

でも、彼等を受け容れられない――個人的な感情を棄てた時、自分が不幸だから、

それをもう次の時代へ持って行きたくないと考えてる。幼少時代や、

過去にどういうことがあったのか、本当に興味があります・・

でも、正常だけれど、思い込みが強い。思い込みが強いけれど、けして、

間違った主張はしていない。」


・・・でも何が正しくて、何が間違っているのかという問題は、

個人-たとえ批評家でも、不可能なのではないか、と近頃よく思う。

不思議と生き生きとしている。この、えも言われぬ色彩の価値・・


「ここだけの話ですけどね、僕は詩の出版社が企画する賞より、

クオリティーは低くても、ポエムでも、

たくさんの人から作品を選んでいる、あるいはそれも間違った形ではあれ、

まだ、大衆的な賞の方がいいような気がする。

望みはどうあれ、そちらの方がずっと健全だし、

評価がきちんとできないなら、賞なんか権威にすべきじゃない」


大衆的な考えというのは、大切だ・・

自分よりも他人のことをと考えられる仕組みがないから、

気がつくと、仲のよい人と、泥沼化する。

お互いに要領を飲み込んで、ニュースや政治の話をする、

でも、詩の話は明るい話題しかしない。

しかも、大抵どうでもいい詩の明るい話題。

つまり諦めるところは諦めて、じたばたしなくなり、

気付かなければならないことから眼を逸らして、

間違っているとは知りつつ、それで何も変わらないことは知りつつ、

しょうがないじゃないか、と言ってしまう・・


「塚元さんが傲慢だと言う人いたけど、

むしろ、傲慢な人はそう言ってる人だと本気で思う。塚元さんは、

斜に構えてもいない、・・だってサア、損するって知ってる人が、

ニコニコ笑ってる方がいい、なんて言わないモン。

嫌な時代だと知ってる人が、負わなくてもいい責任を背負ってる人が、

ここまで厳しく言うって相当なことネ・・

ここに塚元さんの不思議なキャラクターがネ・・ある・・・

でも、悲しいかな、日本人の大半は馬鹿だから、

憎むよりかは憐れむ感情の方が強い――残念だなあ――だよね・・

塚元さんみたいに、言わねばならないことと、

言っちゃいけないことの区別がついてない。」


――と言ったのは、藤井さん。

保守的な日本人、明日は明日の風が吹く、甘えに充ちた平和ボケが、

間違っているとは思わないけど、懸隔が大きくならぬように調節しなくちゃいけない、

一言も発言しないのは、デクノボウ、ガランドウだと言ってるのに等しい。

このような眺めに見える、その瞬間が本当に存在する。

それをそうと意識させないのは、蜃気楼の揺れている視界だからだ。


「この人、絶対にシモネタ言わない人だろうな、と思ってました。

――のんびり屋で、受容性が高くて、

でも曲がったことが嫌いな人だろうな、と・・」


伊東さんはそう言い、じいっと、僕の顔を凝視めた。

ねえ、と思った。僕は誰に羨望されても、所詮は、

うだつの上がらない労働者である、落ちこぼれである、

でも、だからこそ、人間らしい行いをしたいと思うのだ――

社会はこれからどうなっていくんだろうね、と僕は思った。

詩人たちの閉鎖性、腐った林檎が箱の中の林檎をすべて腐らせる考え、

――作品にとっては、エゴも、嘘も、きれいごとも、

確かによい。両価性とも言える。ただ、そういう考え方が、

マイナスに働いている場面を僕はネットの中で何度も見てきたし、

そういうスポイルが燃え尽き症候群や、

詩人たちの心の病気の問題と深く結び付いているんじゃないか?・・・


「でも不思議だな、塚元さんが語れば語るほど、

どうしていままで、否定しようと思っていたのかよくわからなくなる。

・・・憧れる人も多いでしょ?」


どうかな――そんな人、僕は見たことがない・・

でも自己利益も大切だ。マイナスも乗り越えられる度量の持ち主なら、

そこから心地よい緊張に変え、さらに発展への原動力となるフレーズまで飛び出す。

けれど、雨に濡れると、世の中は嫌なものだ、

まして、濡れ続けていたら、肺炎になってしまう――


「ただ、出版社の問題って、本当に複雑だ。

それが絶対的に悪いのかっていうと、そうじゃない。

でも、出版する-自費出版する、あるいは企画でも、共同でもいいけど、

いや――別に、同人誌を作るでもいいけど、

それで何か変わるならいい。でも現実はもっと厳しい」


・・・そしてこの厳しさって、

大衆を否定し、文化を否定し、その考え方を根本から正さないと、

本当に都合のいいように進んではくれないように出来てる。

浸透度は大切だし、カリスマ度も大切だ。だが、僕にとっては、

ダーウインの進化論でも、ドストエフスキーの罪と罰でもいいと思ってる、

――ああ、主題が立ち返るそのありさまは、ほとんど一定の周期をなしている。


「・・・ハッとして、目から鱗が落ちたんですけどね、

(がんばって下さい)とか(これは素晴らしい)

とかは、いらないっていう、塚元さんのコメントを見た時、

すごい精神力のある人だな、と思った。

いや確かに技術的に――あるいは危機的破滅力?・・

創作意欲のあり方が人と大きく違うというのも」


そうだろうか、と僕は思う。

そう-だろうか・・

僕の芸術的な破壊行動-あるいは真理に基づいた有言実行は、

個人の小さな器から離れさせ、より大きなものを考えさせる。

だけれど、小さな器の者にとっては、不必要な自覚を敷くことであり、

強制的な命令文で暗示をかけるようなものだ。

流行る歌は忌み歌――呪われるために、詩を書くのか君は!・・


「でもただ、僕は作品を作ってるに過ぎない、

というのも、一つの正しい考え方だ。

他の人は言わないかも知れないけど、僕はそういう嘘はつかない。

でも結果がすなわち、真実とはいかない。

そういうのが、多くの人にとって生活の糧や、あるいは一時的な熱情を産んでも、

いつかは飽きる。あまり効果がない。

すごいのがわかっても、自分は素人だからという目で見る。

そういう磁場が、社会の混乱をどんなにやわらげてくれようと、

来るな、と言わなくちゃいけない。

僕は誰も救済できない。僕は呼びかけているのだ。

だから、そういう人の存在は、あるいは実在はスポイルだ。

大切なのは、僕を見て、僕を感じて、

そこから何かの発展的要素がないとおかしい。」


――でも社会ってそんなものなのかなあ・・

変わらなくてもよいのは構わないけど、

何もしないのを自分で認めて生きるのは本当に勿体ない。

心にぽっかりと穴があかないと、二度と貴重な時間が戻ってこないと、

気付かなければ・・本当の暖かい励ましはない。本当の優しさはない。

実際、人ってあまりにも凄過ぎると何も言わないもの。

真理的裏打ちもある逆効果、けれど、

僕はアーティストだ、パンク詩人だ、革命家だと言えば、

それでどんな発言も許容される。つまり僕は記憶の中に残る詩人となる、

死を選んだ努力的献身者、ということにもなる。

もちろん、ポーズだと言いながら――何が正しいのか、何が間違ってるのかは、

本人が考え、わからないなら尋ねるほかなく、

自分が馬鹿だと、結局毎日同じだと気付かなければしょうがない。


その時、僕の中に潜んでいる僕がそっと囁く――


「でも、・・・深い闇だ。社会が詩人たちの正常な理解を奪い、

大衆は主観的な視座を持たない。

おそろしいことだ、明日戦争が起こっても、

多分同じことをしてる。」




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