イラスト詩「暗い廊下」
暗い廊下だった―――。月光が豁然と射しこむ―――。頭がおかしくなったように考える、そうだ―――。注射を打つ場所は、顔に決まっている・・・・・・。レンズの底のように。黄色い魚が泳ぐ、夜の黒い海・・・・・。廊下は―――“ゆっくり”と・・・息をし出した・・・。静かに追憶に燃える―――その繊やかな光・・。イメージはタツノオトシゴや、水母・・泥―――緩慢・・・・。膝まで水に浸かった闇―――。前へ―――前へと急ぐ・・・跫音がしたのだ。それは、低く、動かない、一個の小さな遊星を証明する。あの―――殺人事件・・・。まだ、犯人が見つかっていない―――。香水壜の蓋が開く―――オルゴールが鳴る。学校舎に潜伏しているかも、という噂・・・・・・。白が黒の上をわたるとき―――。この学校でおこなわれた―――月の戦慄・・・。ヒヤシンスの青い洪水・・。アネモネの海原・・・・・。被害者は―――遺体は、まだ青い莟・・・・・・。唇を引き締めたものの口角を歪ませ―――。挙動不審なあたりをさぐる、その眼・・・・・。ぐるぐる、と渦を巻く・・。静寂が三半規管をくるわせ、右へ左へうねらせる・・。むしばまれ、うなされ、こわばっている、こわれたバネ。恐い夢―――。たとえば夢遊状態の健忘症・・・。脳裏に展開されているプランが抱えている諸々の欠陥。怖い夢の続きのようなその夜の暗い廊下。瞳は―――沙漠の夢・・・。かぎりない沙漠が生の身振りを押し戻す―――。足が―――萎えているのが見える。それを暗闇は冷笑する―――嘲笑する・・・。さながら―――翩翻と漂っている小舟・・。手が震えている。かのあやしく鼓動する心臓の在り処。舞台の幕が降りようという瀬戸際。それを感情の粥さながらの―――鳥肌にするもの。立ち止まった瞬間に―――“するり”と・・・。その進路は怖気―――拘束する・・内側からの使者―――。しっかりした二脚のコンパスと同じ。固定され、中心に据えられても、ほんの弾みで簡単に狂う。打ちつける、釘。声をかけてみる。もう一度、声をかけてみる。もちろん、反応はない。死んだ人間の名前を連呼している自分―――。木を鋸で挽くような音―――。ひややかな、生命なき、美しき夜の燐光が―――。魁偉な影をつくりだす。汗をにじみださせる―――。袋小路―――。階段の方で―――“ぎいっ”と・・・。廊下の先で―――聞こえる。背筋に不安が走り、プラタナスが張り詰める・・・。死せる亡霊―――それとも、生きた亡者・・・。聖者を堕落させて悪魔にするなら。誰かが言った。天使を堕落させて悪魔にするなら。誰かが言った。神を堕落させて悪夢にするなら。誰かが言った。ねじは廻転する・・・。断崖を覗くよう―――に。ひからびた穴倉―――。まるで淋しい駅に下りたような、衝動・・・。首筋の白い―――黒の喪服・・・教師―――。まだ残っていたの、帰りなさい・・・。公式的な決まり文句。万物ことごとく、悪魔のたずさえる暗い鏡。そこで素直に従うことが。言い換えればルールに従順であることが。社会に適応するということ―――。一緒に帰る、帰ろうとする・・・・・・。いたたまれなくなっていた、いっそ駄目になりたいとも思った。もっとずっと以前から。何か不吉な重い流れのようなものが自分を―――。ファンタジーの絵が得意な女性が。自分の現実について描いてみたとき。―――部屋の隅で膝を抱えている暗い絵を描いた、受け入れがたい自分の現実。違和感、うまく呑み込めない落差・・。夜の街が自分を―――自分を殺そうとしている・・。幽霊がいる、悪魔がいる、と彼女は言った。自分はそれに肯きながら。彼女にとって優しい世界に向けて話をした。心を壊さないよう―――に。けしてけして―――傷つけないように・・・。でも―――人間じゃないという気持ちは残った・・・。月見草が、打ち捨てられている。勿忘草が、記憶を失って―――いる・・・。輪廻の旅を続けている―――。灰色の日が―――無限回廊に接続される・・・。三色菫が、抜き取られる。虚偽の化粧、最後の審判の前の驟雨。教師の顔が―――ひんまがった狐の顔に見えてくる・・。その、螺旋、渦巻き、法螺貝・・・。釣り上げられた河豚の顔をしているように見えてくる。早く昇降口へ、早く校門へ―――。何食わぬ顔をして、このままやりすごしてしまいたい―――。あったかい布団にもぐりこみ、何も考えずに眠りたい・・・。昇降口、到着する・・・・・・。夜の障子の上に浮かび上がる人の影のように・・・。右肩に手がある―――手が置かれようとしている・・・・。すばらしい、くるおしい、その諧調。過去の謎、吹き溜まりの雪。甲虫の角だけが―――見えている。鼠の衣が、鴉の羽根が、この世界の終わりの姿をつくりだす。教師の顔が、苔のようなフナムシに見えてくる―――。暗い廊下に、音もなく流れてゆく水―――。光さえも速度を落とす、砂時計のくびれ。アマランスが、眠っている。死んだらどうなるんでしょう?誰かの声が呼び戻された。鶏小屋の鶏の羽根がすべてむしりとられたような悲鳴が聞こえた。廊下は、きらめく水にいる魚がおぼろなエデンの園に、迷い込んだことを知る―――。夜、囁きながら耳を澄ませると。インクの匂いのする活字が盗まれる。そしてもう一人の自分と巡り合う、それが―――どんな仮面を持っているかを君は知ることになる。夜はまだ、地獄の中にある。と、誰かが言った。夜こそがまだ、君の戯れ道化だ。と、誰かが言った。