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金曜…国井咲也

2013.08.09
XML
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第360席

ひさしぶりに、
その筋の店で本を購入した。

  rengakouka.jpg

場所が場所だから、近隣の店舗すべてが
その筋だろうともいえるけれど、
そこで気になったことがある。

その筋の店なので、
一階フロアには人気作品関連のCDや
そのキャラクタが各々プリントされた
Tシャツが並んでいるから、

「うおう!西木野さんのは欲しいぜ!」

というような衝動的な気になる、も
もちろんあるのだが、そうではない。

気になったのは
商品(本)の検索のシステムだ。

もちろん、ここで言うのはその店の品揃えや
検索システムの有無ではないので
勘違いしないように。

先週述べた通り、
「多様化が進んだだけ」という事実を
実感するということ。
というより、
毎度実感するから気になるという感じだろうか。

まず結論から言えば、
「欲しい商品がみつからない」
ということになる。
購入を決めた時点でかなり詳細な商品情報を
購入者が持っていないと、
なにがどこにあるのかすらわからない。

あまりに大量で、
店としての分別がすでに
「作品のジャンル(雰囲気)」や
「創作者本人」から、
『メーカー』(本の場合は出版社となる)で
振り分けないと、
あまりに大量でさばけないからだ。

けれど、
よほど「欲しい!」という動機を持っていなければ
作品の作り手や企業まで目を向けるユーザは稀だ。

そうなるとうろ覚えでの
キャラクタ名や作品名が頼りとなる。

「ひらがな4文字がタイトルの
 作品だったんだけど…」

国井が店員に尋ねた台詞だ。
実際のところ、この尋ね方(情報量)では、
現代のシーンではまったく伝わらない。
さすがに店員が
「そんなの山ほど有りますよ」などと、
にべもない対応を取ることなどなかったけれど、
とどのつまりはそういうことだ。

よく言うではないか。

「砂漠の中からひとつまみの
 美少女フィギアを見つけ出す。
 8分の1じゃなくて12分の1だから
 もっと見つけにくいよね」

って、いわないか。いわないなぁ。

ただ、「その筋」の店なわけだから、
「ひらがな4文字が作品タイトルならば
 ウチで扱う作品には違いない」という
確信のみ得られたかもしれない。
なんとも珍妙な状態ではある。

ジャンルで分別しようにも、
多様化の進行で
「ジャンルを明確にできない」状況というのは、
いまだひとり気を吐いている
(ように国井には見える、という意)アニメや
マンガ、ライトノベルの市場だけで
起こっていることではない。

音楽のシーンをみると、マンガに限らず、
おおよそエンターティメント市場に必ず起こる
『問題』がいちばんわかりやすい。

エンターテイメント(ビジネス)としての歴史が
もっとも長いからだろう。
もともとシーンが抱える問題が
いち早く顕在化するのである。

         次週へつづく。






最終更新日  2013.08.09 21:02:49
2013.08.02
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第359席

『マクロス』の話をしていたら
シンガー・ソング・ライターという
言葉が出て来た。

テレビで観ていたイメージでは
「ピアノを弾きながらオリジナルの楽曲を唄う人」
という感じだろうか。
それらは、
女性である印象も強い。
これは、グランドピアノなどは、
それこそ「お嬢様教育御用達」のひとつでも
あったのだろうから、
もともとピアノが弾けるレベルまで
やっている人が男性より女性の方が
多かったのもあるのではないかとも思う。

その前の世代では男性が
アコースティックギターをかき鳴らして
やや社会とのつながりが密にある
テーマを唄うというものが
多かった(人気を博す、という意)ようにも
思えるから、このスタイル、いわゆる
『フォークソング』が主流になった為に、
インパクトとしても『逆』『対』になる
「女性」
「社会性を切り離して語られる自己の恋愛」
「座って演奏」
という形が出て来たのだと推測できる。

「社会性を切り離す」と書くと
やや嫌味に聞こえるかもしれないけれど、
そうではない。

もともと、人気を得やすい「うた」そのものの
ほとんどは恋情を唄う『ラブソング』だからだ。

『フォーク』でも語られる内容は
おそらく、恋愛のものが多かったはずだ。

興味深いのは、
男性がギターで語るフォークなるものは
「貧乏」というイメージを
見て取れるものが多いのではないか。

70年代というと実際、社会が
裕福層とそこにはいけないであろうと
諦めた層が明確になり始めた頃で
あったのだろうから、
当然といえば当然だが、
これはやはり「男性視点」では

金も持っていない俺だけど、

というニュアンスになりやすいからだろう。
社会という「周り」と比較対比をしているのだ。
現状を認識した上で、いちゃラブな世界を
幻想として語るのだ。

これらのカウンターとして
女性ライタによる楽曲は
そのような「自己の現状」は切り離され、
二人が結婚したら
こんな家で、こんな生活をするのが夢です、と
語るのだ。

『悲恋』というのも好まれる
傾向にあったようだ。

日常こそが
『ささやかな、わたしのゆめ』だと
語りながら、その相手が
「来なかった」
または事故などにあって
「永遠に叶わないものとなった」と
訴え、その上で

「それでも私は待っている」

という形が大人気だったような気がする。
ここからも基本的に
女性は『待ち体質』の傾向が読める。

これが2000年に入ると逆転する。
若い頃に恋人の女性を失った男性が
「君がいなくて、寂しい」と
うるうるえーんえーん、と喪失感を
忘却できぬまま過ごしている、という
形の物語を音楽ではなく、
文字で追うようになる。

この、音楽から文字という
変化が起こるのは、もちろん、
コンテンツを引き出す
端末機器の変化によるものが大きい。

個々が所有する端末だから、
どんなメディアであれ、
大ヒットしています、といわれても、
皆、一様にピンとこない、というような
印象になるのはこの為だろう。

「隣の人は興味が無い」

これは当然のことだ。
ヒットが出ないわけではない。
多様化が進んでいるだけだと言えるだろう。

         次週へつづく(かもしれない)

  piano.jpg







最終更新日  2013.08.02 23:35:09
2013.07.26
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第358席

音楽。楽曲について。

前回は敵兵への心理攻撃に
歌を用いた作品、『マクロス』の登場に
驚いたという話で終わったが、
今週はそのつづき。

「心理攻撃」と書くと、
昨今の多くの人は
インナスペース的な不条理世界(映像)で
登場人物たちが自己の
『トラウマ』と対峙する、みたいな
印象を持つかもしれない。
これだけでも
偉大なことをなし得たなぁ、庵野監督。と
携帯電話だかのCMをみるにつけ、
しみじみとしてしまうが、
『マクロス』ではこの、
エヴァンゲリオンのような
テイストではない。

戦争ばかりしていた種族が
普通のラブソングを聴いて、
「俺たちはいったい、なにをしていたんだ」と
戦意を失うのである。

これも、先週書いた「ビラ作戦」のように、
完全な創作ということでもないだろう。
実際、戦時下における『歌姫伝説』の
ようなものがあったと聞く。
リリーマルレーン(M・ディートリッヒ)とか。
終戦後、
日本の国会議員になった人で、
そんな物語を持った人もいたと記憶しているが
よくは知らない。
(よく知らないのに知ってはいるから伝説?)

戦争となるとどうしても
プロパガンダという側面も
持ち合わせてしまうのだろうから、
それら言い伝えの、
どこがどう『真実』に近いのかは
当事者でない国井にはわからない。

わからないが、
このような話を聞き及ぶと、
戦争状態にあって、
「荒んだ人心に響きやすい」という
手法としての『歌』が見えてくる。

『マクロス』がもうひとつ面白かったのは、
その歌を唄うのがアジア系の
美少女アイドルというところだ。

アジア系(まぁ、アニメなので
名前ぐらいだけども)と
いうのもすこぶる新しかったが、
つまりは、
そのアイドルが唄うポップス曲によって、
全身これ、武装しているような男達が
「心理的大打撃を受けた」として、
頭をかかえて悶絶するのである。

そう、この描写は俯瞰してみると、
「いいおっさんが
 美少女アイドルに転がって、
 萌え狂ってしまった」サマを
描き出していたのだ!

そういう意味では、
『エヴァンゲリオン』よりも、
より今風でリアルなシーンと思える。

『超時空要塞マクロス』の放送はもう、
相当に昔の話だが、ぜんぜん、
日本人は変わってないのである。

違うのは、
攻撃を受ける(歌を聴く)側ではなくて、
歌を提供するほうに強い変化が見てとれる。

『歌姫』という肩書きに見られるような、
シンガーとしての技量や
コンポーザとしての能力というような
「専門性を有する個人」でなく、
「趣味として集まった集団」がそのまま
舞台に立ったら喝采を浴びる、という
構造になる傾向にある。

萩本欽一氏が司会を務めていた
『仮装大賞』という番組と同じプロセスだ。
賞というのも、
イベントや商品告知イベントとして巨大化すると、
必ず形骸化する。
すると、参加する側の「出ることが目標」という
意味だけになる。

番組がまだ継続されているかどうかは、
もう国井は知らない。
最初は興味深く視聴していたが、数年もたつと、
学校の文化祭の沿線のように
クラス皆で練習して来ましたといわんばかりの
ような物であふれるようになった。
これは
「みんなで練習できるネタにしよう」という
大前提が存在するからだが、
そういうものが幅を利かせるようになると、
ただでさえ少数派の
仮装や演出の『視点』で魅せる、つまり
オリジナリティーや作家性を
感じさせるようなものが出にくくなる。
そうなると、国井はさすがに飽きてしまって、
もう何年も見ていない。

もちろん、
「みんなでなにかやる」ということが
悪いと言っているのではない。
その感覚は大切なものだし、素敵なことだ。

だから
努力をしていない、という意味ではない。
作品中でのアイドルたちはみな、
一様にトレーニングに励んでいる描写はある。
むしろ、作品としては
そちらを少年少女の生活の核の部分として、
描いているものが大半だ。

ただ、
「どれだけ努力しても、
 思い通りの結果は得られないことのほうが多い」
という現実的な部分が意図的に省略されている。

悪い意味ではない。
ここが「作り話」の良いところとも
いえる部分だからだ。

いや、ここでまて。
『マクロス』を既に観ている人は
こう思っているかもしれない。

「いや、ミンメイは80年代の
 アイドルのスタンダードまんまじゃん」

そうなのだ。
マクロスのヒロインの一人のアイドルの
リン・ミンメイは
現在大人気の学校制服の衣装イメージは
みじんもなく、
パステルカラーのふわふわスカートに
うち巻きカールのアイドル。
同性たちには
文字通り「ブリっコ」などと揶揄された、
ストロングスタンダードスタイルだったのだ。

なのだけれど、

国井にとっての
このキャラクターの特殊性、
先進性はここではない。
このスタンダードな『アイドル』を、
声優が演じていたのではなく、
「シンガー・ソング・ライター」いまの言葉だと、
『アーティスト』(ミュージシャン)が
演じていたことだ。

真逆の立ち位置の人間が
「中の人」をやっていたということが
革新的だったのである。

        次週へつづく(かもしれない)


なんてことを書いていて、
ふとニュース番組が終わったままの
モニタを観てみると、サンキュータツオが
「おもしろいから国井さんも観てポポー」と
言っていた朝のドラマが流れ出した。
タツオ氏いわく
「海の海女さんでやる『花咲くいろは』ですよ」と
いう話を鵜呑みにしていたので、
今日みておどろいた。

   amacyan.jpg

海、でてねーじゃん!
なんか、主人公らしき少女は
「アイドルになりたい」とか
言ってますけどっ?! なんだこれ?!

といぶかしんでいたら、
先輩だか同僚だかのアイドルが出て来て、
これがまさに先述した
80年代の
「ストロングスタンダードスタイル」の女の子。

あのうち巻きカール(正確には知らない)は
「聖子ちゃんカット」とか呼ばれてた
ヘア・スタイルで朝からびっくり。
現代劇ではなかったみたいだ。
舞台設定が80年代ということか。

瞬時にわからないようでは、
国井もまだまだ、
甘ちゃんだ。(今回も駄洒落オチか…)






最終更新日  2013.07.26 22:51:12
2013.07.19
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第357席

音楽。楽曲について。

昨今の作品では「歌う」キャラクタが
多いように感じる。
正確には、
増えてきている、だろうか?

これは、
グッズ的商品展開として
楽曲を用いることを
前提とする場合が多い為に、
「物語の中でキャラクタが
 歌うことが当然であるという」
というデザイン(設計)に
起因するものだろう。

人付き合いと距離を置くタイプの
ようなキャラクターのグッズが
「その人が唄う楽曲」というのも、
それはそれで人物設定の派生としては
いささか不自然さが生まれてしまう。
なので最初から
「歌をうたう」という職種や、
目的を与えられる、という
形になるのだろう。

すると、どうだろうか。
「歌」の使用としては、
大別すると二種になるのだろうか。

そもそもが「通常の音楽」としての
音楽と、武器、武装としての音楽だ。

上記したように、
「職種」と「目的」に
分けられるかもしれない。

前者はいわゆる芸能人で、
舞台上で歌うことを生業とする。
近年は『アイドルブーム』らしいから、
そのニュアンスも追い風になって、
ひたすら少女たち(青年のもある)は
歌い、踊るために
日々のトレーニングを積むという構造だ。
ドラマの見せ方としては
オーセンティックであり、
それ故に
二次元、三次元に隔たりは感じない。

後者は非常に二次元(日本アニメ的)では
ないかと思う。

「敵」を倒す武器として
「歌」が用いられるのである。

曲ではない。「歌」になる。
ここがポイントだ。

敵が歌を聴いただけで、
弱くなってしまうのである。

戦闘(交戦状態時)における、
「通じる言語はなんなのか」という
大命題はさておくから、
妙な設定と言えば設定だけれど、
言葉のかわりともいえるほどに
「歌」が歌われるのである。
ミュージカル人気は今ひとつ感が
ありありな日本において、
国井にはここが面白い点の一つだ。

ただ、
「戦意喪失」という意味ではなくはない。
過去の戦争では、
楽曲などではなくビラなどが
用いられたのだから、
それを歌に置き換えていると見ることも可能だ。

架空の物語の中の設定として
歌がどうの、ということではない。

戦術として
「何を利用しようと人間は考えるようになるのか」だ。


「戦意喪失」をさせる意味で、
物語に楽曲が使われたのが
『超時空要塞マクロス』(映画は1984年)だった。
もちろん、「かっこいい変形する戦闘機」に
目を輝かせてもいいたけれど、
こういう部分が、
かなり衝撃的な作品だったと記憶している。

インパクト絶大だった
『ガンダム』のように、
戦術や戦略を効果的に進める上での
「道具としての武器」が、この作品では、
「敵兵の心理に訴えるもの」として、
アイドル(作品中の)が歌う曲が使われたのだ。

いや、これが新しいのなんの。

文字通りきゅーんきゅーん、きゅ−んきゅーんと
来たのである(古いなぁ)



               次週へつづく。


ちなみに国井は早瀬派閥である。
…であるのだが、
本命は最終的には人妻となってしまったが、
敵女性軍団のエースパイロットのひとだったりする。
そして、
このパターンはこの作品から十年以上経た
『機動戦艦ナデシコ』にも当てはまったりする。
世は「艦長派」と「電子の妖精」派に大別されたが、
国井はエステバリス隊隊長の
リョーコちゃん派なのである。
だから最近、『宇宙戦艦ヤマト2199』を見ると、
森雪おねーさまより、
パイロットの山本さんを
注視している自分に驚くのだ。
エレベータに乗る時の「小走り」が
リアルで最高! 彼女が着る
フライトジャケット感が
ハンパないのであるっ!(なんのこっちゃ)

変わってないのは作品か?
いや。
とどのつまり、自分自身なのでしょう。



  brahms.jpg
   だいさんがくしょうがゆうめいな
   しんふぉにあですよぅ。






最終更新日  2013.07.19 19:34:16
2013.07.12
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第356席

7月からはじまりました
『シンフォギアG』の
前期物語のコミック版。
本ブログのマスコットキャラを手がけていただいた、
吉井師匠(国井はこう呼ぶ。会社の先輩だからです)の
手によるものです。
みなさま手に取って読んでちょーだい!

前期のファンの方ももちろん、
『G』で作品に興味を持った方もぜひ。

   syntho.jpg

と、これだけで終わると
「仕事をしていない」といわれそうだ。

せっかく
『シンフォギア』の新しい物が
始まったことだから、
次回から
『武器としての楽曲』について考える。

もちろん、
作品世界の設定としての武器(歌)と、
「歌を歌うということが
 前提になる物語を設定せよ」と
いう商品デザインの「楽曲」について
考えてみたい。


その相対を見る意味でも、
最近、
オペラを見ている国井咲也だったりする。

『ラピュタ』の悪役に
似た名前のやつとか。
ああ無情。

オペラも
『THE・中2病』といえる構造が多い。
記号としての「中2」ではなく、
「これみよがしな
 ダイナミズム(ドラマティック)」とでも
言えるだろうか。

けれど、
そのジャンルにどっぷり浸かると、
相互理解に至りにくくなる傾向になるという
普遍も見えてくる。ここが面白い。

『ファン』という「視野狭窄のプロセス」は、
世界共通だといえるだろうか?
このあたりは
自戒も込めて考える必要はあるだろう。












最終更新日  2013.07.12 20:36:38
2013.07.05
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第355席
  kyoukai.jpg

劇場シリーズで制作された
『空の境界』がTVで
放送されるのだそうな。

原作は読了しているので、
ここで「下世話」な見方。

ラストシーンの
コクトーくんのあれだ。
とても
ろまんすてぃっくなもので、原作にも
「折り目」(国井は気に入ったシーンやセリフに
目印を付ける)をしっかりとつけた
名シーン(告白)なのである。
きのこ回路爆発の悶絶ものなのだが、
これがどのように映像化されているのも
興味津々だけれども、
確か、主演声優のお二人は
この作品のしばらく後に
ご結婚されたと聞き及ぶ。

だから、
どうしてもコクトーくんの
「告白」シーンが
気になって仕方ない。

「きゃぁ! きゃぁああ!」って
中学生女子的歓声(感性?)をもって
見てしまうに違いない。

なんだかんだで、
国井も下世話な見方をする。
ゆゆしき事態だ。






最終更新日  2013.07.05 20:02:05
2013.06.28
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第354席

『革命機ヴァルヴレイヴ』が超展開だ。

いや、流れとしてはスムーズだから、
表現としてはあまり正確ではないから、
「過激な展開だ」だろうか。

あのような形での性接触の表現が、ではない。
もちろん、これをTVシリーズの
アニメーションでやったという事自体も
センセーショナルだけれども、

よくよく考えると、
先々週放送の問題(?)のシーンは
言ってみれば、この作品世界では
なにも気にすることはない。

勘違いしないでいただきたい。
彼女のほうが、
彼に恋愛感情を持っていたであろうから、
「あんなことやこんなことをされても、
 気にする事は無い」という事では決してない。

そう、してはいけないからだ。

あのような行いを
犯罪と見なす(事実犯罪である)というのは、
当事者が『人間』であるということが前提だ。
当然、被害者もこれにあたる。

だからこそ考えた。

思い出してほしい。
あの男女二人はパイロットなのだ。
ロボットに搭乗する為に
「人間をやめますか」と問われて、
イエス、と答えた人間なのだ。

つまり、
あのシーンで行われていたのは、
「獣同士の交尾」ということだと
言えてしまうのだ。
二人とも自分の意思で
「人間ではなくなる」という事を
選択したのだから。

動物や昆虫の交尾に
誰が「同意のもとか?」などと
気にするだろうか。

この作品(設定)では、
そういうことになるのである。

だからなのだろう。
淡い恋心を抱いていた少女のほうが、
これは呪いだと悟り、
凶暴化している彼を受け入れるのである。

ここが凄い。
過激だと感服したのだ。

少女が自覚しているかどうかは
定かではないけれど、おそらくそれまでは
「ごく普通のデートして」
「うんとロマンティックに」
「思い出の一夜を」などという、
夢想もあったはずなのだ。

 buranko.jpg


少女の夢想を笑ってはいけない。

この「平々凡々な恋愛」のプロセスはつまり、
『多くの人間が夢見る憧憬』でもあるからだ。

少女は獣と化した少年に
くみ敷かれてしまったときに、
自分が名声を得たいが為に
ロボットと交わした契約は
「平凡な夢を見る事すら
 叶わなくなるということ」と
理解したからこそ、
先ほどの「これは呪いなんだ」という
言葉になったのだと思えるのだ。

だからこそ、
あんなことやこんなことされたのに
最後の最後で見せた、
男の国井から見ても
不可解にも見えた『優しさ』が、
あまりに哀しいものに映る。

いやほんと、せつないわー。
流木野さん。(二次元のキャラクタです)
魅せるなー。
大河内さん。(脚本家さんです)
ますます熱くなるわー。
僕。(ただの視聴者です)

野から流れた木。そのサキには…と読める
名前からして、もう、なんか…
凄絶さがにじみ出ていて、
「せつなさ炸裂」なんですけど?!






最終更新日  2013.06.28 18:40:20
2013.06.21
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第353席

『バンブーブレード』のさわやかな余韻、
つまりは
「あれ? 俺、最終的にはきりの先輩や
みやみやよりも、タマちゃんかも」という
おとこ感想に惑いながらも、
今週も「は」の段の作品が続く。

『はじめの一歩』がとても面白い。
国井が良く言う「THE・かっこいい」の
典型型作品だ。
古典的ともいっていい。

悪い意味ではない。
それだけ、普遍だともいえるだろう。
『ちはやふる』も制作がマッドハウスだから、
もしかしたら「少年マンガ」の
王道はやるべきなのだ、という
スタンスがあるのかもしれない。
これが、
「萌え」よりも「燃え」と
いわれるようなものだろうか。

もちろん、「はじめの一歩」においても、
おおきい女子たちの「わっさわっさ」は
大きかったとも聞いている。

ここで不思議に思うのが、
『ちはやふる』ではあまりそのような
声が聞こえてこない。
作品の核にあるものは
両作品とも
まったく同じものだと感じるのだけれど。

『黒子のバスケ』では、やはり
「わっさわっさ」が激しかったように
観察できる。

この差はなんだろうと考えるが、
それはもちろん、作品における、
登場キャラクタたちの『男女比率』だろう。

いわゆる「非オタ」として
ヒットする、つまりは
”万人に受け入れ易い作品”いうのは、
「オタ向け」とは男女比率が明らかに異なる。

むしろ、狭い範囲で顧客獲得を狙うと、
まずこの比率が変化するのだとも考えられる。
女性がみる物と想定されるものは、
まず女性キャラクタを排除し、
男性がみる物は男性キャラクタが
排除されていく。

実に興味深いけれど、
このような考察は
似たようなものがたくさんあるし、
すでにいろいろしているので、
またの機会にしよう。

今回はこのテの話ではない。

『はじめの一歩』を再視聴していて
気づいたのが、
メモリが何語かということ。

Memoryではない。目盛り。
計測における『単位』が何語であり、
つまり、どこの国家における
基準によるものかということだから
その対象の出自がみえてくる。

スポーツであれば、その規格が
どの国家(社会)の基準に
拠るものかということだ。

『はじめの一歩』であれば、
プロボクシング競技であるのだが、
そこでは『ポンド』『オンス』という
単位が用いられている。
グラム、キログラムではない。

詳しくはしらないが、
オリンピックなどをみると、
世界的基準はどうも
「キログラム」になっている
ように思える。
長さでは「センチメートル」ではないだろうか。
ウエイトリフティングなどでは「〜キロ」と
表示されていたような気がするし、
水泳でも「〜メートル/バタフライ」というように
なっていたはずだ。

視聴者(お金を出す一見の客)を
多く獲得するためには
「なにがなんでもわかりやすく」
しなければいけないという大命題が
どの分野でも存在するわけだから、
ルール改定にも強く結びつく
「距離」「重量」の測定値の単位統一は
必ず問題点として出ているはずだ。

なのに、ボクシングでは
変わっていない。
もちろんこの競技だけではないけれど。

ここに
「わかり易さの為にかえる必要は無い」という
強い意志がみてとれる。
これも「わかりやすく」換言すると、
由緒という頑固さだろうか。


rainingajisai.jpg


「かえない」と「かえたくない」というのは、
その対象そのものの寿命を決めてしまうほどの
大きい差かと思う。
頑固さ、というのを「耳を傾けない」というのと
混同してしまいがちだ。
なぜなら、それは楽だからだ。
一歩くんや綾瀬さんの生き様をみて、自戒したい。

あーでも、ちはやはボク、もう駄目だわ。
好きすぎて。
ついついブヒブヒ言ってしまうのです。

文字通り「色にいでにけり」。






最終更新日  2013.06.21 23:30:21
2013.06.14
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第352席

「まえがみりょく」と読む。
国井造語なので
詳しく調べないでいただきたい。

どうしてこのような言葉を作る
必要に駆られたのかというと、
今週放送の『アイカツ!』によって、
長年にわたる謎が氷解したからだ。

気がついた人も多かろう。
そう、
蘭ちゃんがみせたあのシーンで
見る事ができたあの前髪の動き。

簡単に言うと、
「前髪の位置だけでこんなにも
 印象が変わるのか」
というもの。
もっと簡単に書くと、
「蘭ちゃんが! 蘭ちゃんがっ!」
となる。

あの蘭ちゃんの前髪の揺らぎによって、
ただでさえ彼女に対して「好ましいな」と
感じていた男の子(この場合は国井を指す)の
心象が上向いた事実。ここをふまえると、

「どうして女子たちは
 あんなにも前髪を気にするのだろう」

という深淵なる謎の回答がおぼろげながらも
姿をあらわす。

休み時間になっちゃぁ、
手鏡で前髪チェックに余念がない生物という
観察が確認されている。
現在はどうか知らない。これは、
髪の長短だけでなく色、また、
爪といった別の部位に嗜好が
反映できるようになっている
ということもあるだろう。
広義による『化粧』が
手軽になっているのだと推測できる。

ここで膝をうつ。

そうだ、前髪を気にしていたのは
女子だけではない。
いたよ、いたいた。男子にも。
休み時間になるとトイレの鏡の前で
念入りに前髪を作る男たちが。

当時はその行動を
鼻で笑っていたが(誇張です。
興味が無いから見ていない)、そうなのだ。
これも必要な「意思」なのだ。
あそこで「おまえたち男女は
そんなにまでしてモテたいのか。俺はないね」と
自分の中から切り捨ててはいけない。

他者にどう見られているかを
気にかけるというのも、
自己を律する『鏡』となる。

そんなことを、考えさせてくれた、
『アイカツ』の蘭ちゃんの前髪。

そうなのだ、前髪には印象をがらりと
変えるほどの力があったのだ!
奥が深いぜ。(誇張です)

追記しておこう。
「なにをいってるのだ。具体的に書け」と
怒ってはいけない。
これも「具体的な書き方」といえば具体的だと
国井は考えている。
つまり、
具体的すぎて(見たまま、とも言う)
なんのことだかわからなくなる、という事を
利用した「だから本編を見てください」という
意図を隠している。これは誇張ではない。

やや話がそれてしまうが、
前々から言っていることでもあるのだけれど、
本当に
「放送が終わったら、誰も、何も言わない」という
状況になっている。
これはまず数に溢れている現状が
もっとも大きい要因だと考えられるが、
これが、かなりもったいない。

去年から続けている
整理整頓作業で、今週から
「は」の作品棚に入った。

『バンブーブレード』(2007年)
面白いんだけどなー。
いや、これすごい面白いのよ。

『ちはやふる』『黒子のバスケ』では
少しばかり
「向上心を持った人が
 ひたむきに努力する」という
ニュアンスが現実的で嫌だ、という人にも
楽しめるのではないだろうか。

だからなのだろう、
「そこへ踏み込まないように、
 コメディの要素として読める部分を
 強めている」
という設計にみてとれる。ここが凄い。

…だんだん、わかってきました!
倉田センセィィィィッッ!!(なにが?)

ちなみに先週までは「な」の段だったので、
『成恵の世界』(2003年)とか、
『隠の王』(2008年)とか
国井自宅のモニタには流れてました。
あ、この言葉で思い出した。
『流されて藍蘭島』(2007年)も
ありましたね。

   nennrinn.jpg

いま並べたタイトルと、なぜか多いように感じる
「今期は何?」という声を重ね合わせ、
考えてみると、
作品がどのように嗜好性に対応し、
変化したのか、または、
変化していないのかが見えてくる。

実は、ここがいちばん面白い。






最終更新日  2013.06.14 19:22:10
2013.06.07
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第351席
  ashiyu.jpg

足湯に若い女性がいるわけがない。(そうなの?)

ここから、
日本が向かう高齢化社会と、
もはや(観光地として)『すでに有名』でないと
一見の客は集まらない、という情報過多社会が
読める。…わけがない。(?)






最終更新日  2013.06.07 12:32:57

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