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金曜…国井咲也

2013.05.31
XML
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第350席


『進撃の巨人』が面白い。

先週、先々週放送回の展開に
「な、なんと?!」という
驚きの声を隠せなかった
「進撃のない巨人」(でくのぼう、と読む)な
国井だったが、
あそこでふと、感じた。

作品放送前に
サンキュータツオ氏が司会を
つとめたTV番組で
原作の諫山創氏のインタビューを
聞いていたからかもしれないが、
あの怒濤の展開で咲也はこう、邪推したのだ。

「ああ!これ、ミカサが主人公なのね」

もちろん、
読者の嗜好を反映させたゆえの
美しい女性兵士を
物語の主軸に据える、という意味ではない。
作品の中で「もっとも作者が反映されている」
キャラクタは誰なのか、ということ。
誰の視点の物語なのか、ということだ。

いや、別に考える必要などないのだけれど。
(こういうのも面白い)

ハーレムの中心や特殊技能を持って
『物語をまわす役』としての主人公ではない。
作品の中で、その作品(世界)を視ている人物だ。
ミカサが視ているの作品の社会(設定)ではない。
だから国井にとっての彼女は
ヒロインであって、ヒロインではない。

そう考えているからだろうか。
諫山氏のインタビューをふまえながら見ると、
ミカサが「作者の投影率」が
もっとも高いキャラクタのような
気がしてならない。

あの場でのミカサが絶望を感じて、
諦観した『はず』だったのに、
あのような行動にでたミカサが、
インタビューで原作者が
おっしゃられていたコメントと
どうしても重なってみえてしまうのだ。

深いな、『進撃の巨人』。

と訳知り顔をつくるつもりだったけれど、
今週の、そのミカサの『女の子な泣き顔』に
してやられた咲也。
こういうのに弱いなー、俺。

別の意味で彼女に進撃したいっす。


  shinngekinokuma.jpg
    ファンシー自治区攻防戦 ♯01













最終更新日  2013.05.31 18:19:10
2013.05.24
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第349席

『はたらく魔王さま!』のはたらく女子高生、
ちぃちゃんが可愛い。

「あんなコいたら、俺もはたらきたいっ!」

などと書いてしまえば
これで十分なのだろうけれど、
ここは国井には「働く場所」なので、
もう少し踏み込んで考えてみよう。

以前にもここのコラムには書いたが、
この「はたらく女子高生」、
つまりは、看板娘と呼ばれたような
若い女性を街のファーストフードで
見かけなくなっている。
コンビニでもそうかもしれない。
もともとの商店街では、商店街そのものが
もうすでに失われつつあるのだから、
看板娘がいないのは当然だ。

地域差や勤務時間帯にもよるので
一概には言えないが、イメージ的に
コンビニやファーストフード店には
「若い人がバイトをする場所」というものが
あったけれど、どうやら最近はそうとも
言えなくなってきているのではないかと感じる。

働いているのは
三十代や四十代とおぼしき男女ばかりだ。
十代にみえるような人を見かけたのは
この十年では、ほとんどない。

大手チェーン店で働く友人に聞くと、
バイトの求人に無反応という事が
少なくないらしい。
莫大な広告宣伝費をかけて募集をかけても、
まったく人が集まらないという
事態なのだそうだ。

その昔は、このような職種に、
日本での雇用と賃金を求めた
外国人(主に中国だったのでは?)が
入っていたのだろうけれど、
すでにその日本近隣のアジア各国の
経済力が上がって来ているために、
外国人もそのような労働を求めていない。
旅行として来日はしても、
働く国ではなくなったという事だろう。

日本の若い世代の中には、
「年中無休」というのは、
使う側にとってはこの上ないサービスだが、
職場としては、かなり過酷な部類に入ると
考えているのだろう。
つまりは、
働く場所としての魅力がないという事に
なっているのだと推測する。

すると、どうだろうか。
「働く場所」としての魅力はどうなるのか。

見目麗しい少女が同僚にいたならば
求人広告など必要なくなるだろうか?

どんでもないイケメンが勢揃いしていれば
バイト募集有無の確認の電話は、
果たして鳴りっぱなしになるだろうか?

『働く』となると、絶世の美少女や
ウルトラハンサム(造語)がいくらいた所で
雇用側にとってウハウハな状況になるとは、
想像しにくい。

まず問われるのは
「勤勉であるか」という資質であって、
見目の麗しさではないからだ。
もちろん、職種によっては、
顔や体つきなどのスタイリングデザインが
最優先されるものもあるから
すべてという訳ではないが、
想像力を働かせて、
自分を「使う側」だとイメージすると、
重要視するのは
「こいつはちゃんと働くのか?」と
いうことになる。

けれども、このような話になると、
今度は「働く」を
どう定義するのかという話になる。
哲学や美意識の問題ではない。
内容についてだ。

多くは「流れ作業」でできるように
システマティックに単純化されている。
だからこそ、多くの人が比較的楽に
雇用にありつけるというのは、
事実としてあるとは思うのだが、
若い世代には「誰にでもできる」事への
抵抗もあるのだろう。
だからこそ、若い世代を
店頭で見かけられないという事にも
つながっているのではないだろうか。

では、若い世代は店頭ではなく、
どこに立っているのだろうかというと、
おそらく、舞台の上なのだろう。

おじさんおばさんが総出で
十代二十代のアイドルに
きゃーきゃー言っているようでは、
当然の帰結かと思う。
「大人が価値を見いだしているのは
 画面の向こうに立つ少年少女だけなんだ」
と感じているのではと言ったら、考え過ぎか。

自分が歳を重ねる事に夢をみていない、というのは
いささか危機的かとも思う。
これは、レッド・データガール以上に、
『おもしろい大人』が
絶滅に瀕しているのではないかとも思う。

『おもしろい』というのは、つまり、「自己哲学」や
「強い美意識」を持った人のこと(国井私見)なのだが、
少し前までならばこれらの人々は
個性的、反逆児、などと呼ばれていた。
ひとことでいうと、
「価値観を有した人」なわけだが、
これが大変困ったことに、
『変質者』(男性だけではない。女にも確実にいる)の
増加によって、同一視とはいかないまでも、
それら犯罪者と近いニュアンスで
くくってしまう人も多いように感じるときがある。

これは、
「同じ価値観を有さない」という
事が理解できないままに、それらを
「気味が悪い」と一言でくくってしまう、
大衆の観察力の低さも起因のひとつとして……

…とか書いていたら、
あれ?
『はたらく魔王さま!』の
佐々木千穂ちゃん賛美(略して『ちぃさんび』)の
つもりだったのに、いつの間にか
『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』の
比企谷くん(主人公の男性。高校生)のような
口ぶりだ。おかしいな。まぁいいや。

  nannten.jpg

どうでも良いことだが、
国井咲也スカウタでは、ちぃちゃんは100点。
けれど恋する相手が相手だから、
100点なのに『なんてん』ガール。
なんてね。(ええ? 駄洒落?!)

花の名の由来と、花言葉がまた、
彼女らしく思えて、愛らしい。






最終更新日  2013.05.24 09:31:30
2013.05.17
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第348席

先週、「海外のホラーには
自然環境を用いたものが多いように感じる」と
書いたのだけれど、
それとタイミングをあわせたわけではないが、
劇場版『花咲くいろは』を見てきて、
少し気になって考えた。
  ohana.jpg

何が、気になったのかというと、
「風景」だ。
これは、国井が良くいうような
「描き込み方が凄い」というものではない。
当然のように、絵としての映像クオリティは
すさまじいものがあったけれど、
風景、と書いたのは
その意味においてではない。

どういえば良いだろうか、
「風景をどう見ている」かだろうか。
もちろん、その世界、
社会に生きているキャラクタ達が、である。
ここが重要だ。

その視点で捉えると、
『惡の華』と
『花咲くいろは Home Sweet Home』(うーん、
80年代ハードロック世代には
たまらないサブタイトルだ)における、
「日常として、視野に入っている風景」の
描き方の差異が興味深いのだ。

いや、上記した通り、国井の感性では
両作品も「絵として凄い」ことに
差異などない。

その風景を「どう感じているのか」という
描き方のベクトルだ。
ここが真逆になっていると感じられて
とても面白い。

真逆でありながら、
物語の主人公(視点)として
登場する少年少女(『花咲く』は少女だけだが)がとる、
または「そうしたい」と渇望している行動が
『花咲く』も『惡の華』も
きわめて近いものだったからだ。

一言で言うと、
「走って、自分の町を出る」(または逃げる)のだ。

この行動に少年少女たちを文字通り
走らせるものとは何だろう、と考えると
一つの要因が浮かび上がる。

「閉鎖された環境」としての日常だ。
とくに若い世代は
この閉塞に恐怖を感じるものだ。
(現代はどうやらそうでもないらしいが)

つまり、それが「風景」として
そのように描かれているのか、それとも、
そうではないのか、という作品上の差異として、
この2作品を見比べると、とても興味深い。

どこが『ファンタジー』と
位置づけられているのか、ということだ。

ファンタジーとしての閉鎖環境。
現実としての閉塞感。

がぜん、花咲くいろは劇場版も
先週書いた「ホラーの要素」を
包含している(ように見えてくる)から
不思議だ。
そしてどちらも、日本映画のそれよりも
海外のニュアンスを感じるのは、
どちらも「私は、私の意思でここを出る」という
強い信念を持ったキャラクタが存在するからだろう。
とはいえ、惡の華はまだ
『恐怖の体操着デート』の前までしか
みていないのでこのあと、主人公たちがどう動くのか、
不確定だが。(だからこそ面白い!)

こんなふうに感じたゆえの、本日のタイトルでした。


   renjinomise.jpg

どうでも良いことだけれど、
緒花ちゃんのお父さんは
ちょっとスペース・カウボーイ似。
いつイスラエル製の拳銃がでてくるのかと
意味不明なわくわく感で
胸いっぱいになる二枚目だ。
その彼がフィルム交換のさい、
モータードライブで
数枚かしゃかしゃとするシーンは
「水素増感」とか知ってる世代には涙。
デジタル技術の普及でメモリィ一枚で
数百から数千枚撮影できる
カメラしか知らない世代には
信じ難いことだとは思うけれど、
昔は「写真をとる」というのは
とにかく技術と根気と、
そしてお金が必要なものだったのです。
いや、ぼく、17歳ですけど。
だから『フォトカノ』にも万歳。新見さんすてき。






最終更新日  2013.05.17 16:48:32
2013.05.10
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第347席

そもそも、
「ありふれた日常」というのは何だろう。
いや、まぁ、ただの言いまわしだから、
書き手のさじ加減ひとつなのだろうけど。
よく耳にする表現という印象がある。

砂埃のなか、旧式のライフルかついで
歩き回るのも地域(国家)によっては
日常のはず。

そんなことはあまりない日本で
「規則正しい毎日」が
どうして恐怖たりえるのか。

同じ事を毎日延々、という「繰り返し」への
漠然とした恐怖だろうか。
それとも「規則」という枠に組み込まれて
「すべて同じになる」という事への
恐れだろうか。

だからだろうか。
日本でホラーと呼ばれるような
作品の舞台では
学校や団地が好まれる
傾向にあるように思える。

  koushya.jpg

見た目も中身も
他と同じことを強いられる要素を
包含しているからだと推測する。

悪いばかりではない。
建築や服装を他と同一化させるのは、
エネルギーやマテリアルの観点から、
合理的だと言えるし、
そのぶん、個人で考える必要性が薄れ、
「楽に」なる。だから多くの人に
受け入れられたわけだ。

ただ、面倒な事に、どうやら人は
「他の人と同じだから安心する」と同時に
「他の人と同じではイヤ」という意識が
少なからず働く。

携帯電話やらの「デコる」なんていうのは、
この意識の現れと言えるだろう。
現在では携帯通信機の機能上、
ハードウェアに「デコる」事が
難しいスタリングになりつつあるので、
見かける事は少なくはなったが、
これはそのまま、
技術的にハードの中にそれを
入れる事が可能になったからだ。

そうすると小さな液晶画面上の
アイコンやキャラクタがユーザに
とって、いままで以上の意味を持ってくる。

携帯ゲームやアプリケーションのキャラを
独立させて物語を構築する手法での
アニメ作品が多くみられるようになっているのは
こんなところからだろう。

さて、話がそれてきたので
戻そう。
では、日本の学校や団地という
スタイルでない国のホラーはどうだろうか。
土地や食料事情から「同じにする必要は無い」と
いう場合だ。

するとどうも、「一軒家」と
町から少し離れた「森」というような場所が
物語の舞台になっている
作品が多いような気がする。

もちろん、
先述した通り、
国井はあまりその手の分野に
詳しくないから単なる印象だし、
それ以上に、国井が無意識に
「森でなにか起こる話なら面白そうだ」と
感じて作品を手にしている可能性が
圧倒的に高いから、
あまり真顔で聞いてはいけない。

海外のものの核にあるのは
「外界とつながっている場所だが、
 それが閉ざされる」という
恐怖のニュアンスなのかと僕は思うけれど、
どうだろうか。

少なくとも、
ここに日本のそれに感じるような
「他と同じ」という要素は感じられない。
このニュアンスはホラーというよりも、
海外の場合では、
それは必ず『社会』と直結しており、
物語としては「それを壊せ」「疑え」と
いうような方向になっているのでは思う。

とうぜん、
なぜこの方向でデザインされるのかといえば、
「それが商品として望まれる」からだ。
これは、個人の尊厳や権利を守る為には
「戦闘は必ず生まれる」という
認識があるのだと推測する。
ここが日本と違うところだ。
だからこそ、
尊厳や権利というのは水と同じで
「すでにある蛇口から無限に、
 タダで得られる」というような
認識が大多数を締めている日本とは
異なってくる、と言ってしまうと、
やはり考え過ぎだろうか?

けれども、
すると、どこでも同じ服装で毎日を過ごす、
どこも同じ建物の「学校」がホラーの舞台に
用いられ易いというのも頷ける。

個人で建てた一軒家や人間の手が届いていない
自然環境をもちいる海外とは逆に、ここはまま
「社会が作りだしたもの」というのが
興味深い点である。

話は変わるが、「森」という舞台になると
日本の場合は宗教的要素が強くなる傾向にあるように
感じることがしばしば。
エンターティメント(中二病表現)では
「異界」というとわかりやすいかもしれない。
これはもちろん、
過去からある「山を神とあがめる」というものが
根底にあるかと思う。
木(巨樹)や巨石を神として祀っているものも
現代でも数多く残っているから、
森がホラーにはあまり用いられないというのは
日本ならではの「山の神格化」も
どこか影響しているのではないかと思う。
(国井的『ヤマノススメ』?)






最終更新日  2013.05.12 11:52:10
2013.05.03
カテゴリ:金曜…国井咲也
通常のモードに戻った。
いろいろとコンセンサスをとって
原因を調べていただいたら、
なんてことはない、イージィなミスでした。
お騒がせしました。(ぺこり)

では今週は、
先週更新予定だった原稿をそのまま。



国井咲也の満巻全席 第346席

   rdg.jpg

その対象に興味を持つ人ほど、
その分野の『ジャンル』を知るようだ。
それだけ細分化している、
もしくは、微細な差異を明確にすることで
自分にとっての物差しの
目盛りを増やすということなのだろう。
そして、単なる目盛りだからこそ、
興味の無いひとたちには
それが指針となりやすい。

映画の分野(もちろん、
単なる観客としてだ)には
スプラッタ・ホラーと呼ばれている
ジャンルがある。
詳しくは知らない。
どうやら、
『ホラー』と呼ばれるものよりも
「過剰な演出」が用いられているような
もののようだ。

犯罪における、
殺害の手法や犯行現場のリアルな
ディテールというようなものではなく、
頭が崩れているような遺体が町を歩き回って、
生存者を襲うというようなものを
「これはスプラッタだね」というらしい。

先に書いた「殺人の犯行」というような
現実に起こっているものは、
どんな生々しく、
グロテスクな描写であっても、
それは「ホラー」ではなく、
「サスペンス」というくくり(ジャンル)に
なるようだ。

だとすると、
この「ホラー」と「サスペンス」の境界も
いまひとつわからない。
境界条件はなんだろうか。

国井にとってはサスペンス、と
呼ぶものには
犯罪の定義が根底にあるものが、
サスペンスだと感じる。
「ホラー」とい呼ぶものには
あまりこの「犯罪」を感じない。

犯人たちの動機だ。
いわば「犯罪を犯す」という
自意識の有無といえる。

物語を動かす(主人公というよりも、
主人公を動かすキャラクタ、というほうが
正しいかも)人間が
「理由と秩序を越境している」というような感覚を
持てるものに「サスペンス」という認識を
国井は持つらしい。

だからなのか、
物語の視点は『個人』(キャラクタ)であっても、
社会そのものにこの「越境」の感覚が含まれると
がぜん「おもしろいな」と感じる。
個人のためにと、構築されたはずの社会が、
やがてシステムを維持管理する為に、
個人をないがしろにしてゆくのである。
本末転倒的な「秩序崩壊」のパターンだ。

サスペンスというのは、
『現実との接点』という
観点になるのだろうか?

けれど、「ホラー」というのも、
どうやら現実味というものが不可欠なようだ。
それも日常的に
目にするものであればあるほど
「怖がらせる」には都合が良いらしい。

さて、話がそれてきたので
「ホラー」の話に戻す。

なぜ、今、ホラーの話を書くのかというと、
4月からの『惡の華』がとっても「怖い」からだ。
国井にとってこの作品の導入部における
空気感は、もはやホラーなのである。

フランスの詩人の詩集を読む
思春期の男子高校生の物語を
ホラーだと感じてしまうのは
どうしてだろう?

おそらく、この『惡の華』では、
徹頭徹尾、現実的な風景や人物、
つまりは、ありふれた日常が
描かれているからではないだろうか。

すると、思う。

なぜ「ありふれた日常」に
恐怖を感じるのか?


       このお話は次週へ(つづく?)







最終更新日  2013.05.07 16:09:23
2013.04.26
カテゴリ:金曜…国井咲也

 国井咲也の満巻全席 346席

 

またまた本ブログのインタフェイスの

仕様が変更されたようで、

文字数が10分の一以下になったみたい。

なので、ちょっと対応に苦慮中。

 

今後は本コラムも一行感想になるかと思います。

写真もあげられないようになったみたい。

いままでと同じものを

期待していてくれた人には申し訳ないけれど、

あしからず。 

(これだけでも2千文字を超えている、と

 いう表示になるのだ。なぜだ?) 







最終更新日  2013.04.26 16:51:11
2013.04.19
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第345席

   hikarisasu.jpg


第2話に出てきたアジアの国と
その国の彼女の来日のタイミング。
あれは、偶然だろうか?
作中に登場するパロディより興味深い。






最終更新日  2013.04.19 08:01:12
2013.04.12
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第344席

登場人物

ギノくん:眼鏡男子。
コウちゃん:スーツ男子。
      ネクタイはいつも緩めている。

マッキ−:書籍男子。屈折系インテリ。
かんしかん:実はいい女。


   ginokun.jpg



ギノくんとコウちゃん 01 
〜眼鏡と伊達ネクタイ〜

○小田急線代々木八幡駅ホームにて

    電車がホームに止まらずに走り抜ける。
    それを後ろからおうように—

ギノくん「お前まで俺をおいて行くのか!」

コウちゃん「いや、あれ特快だから」


ギノくんとコウちゃん 02 
〜眼鏡と伊達ネクタイ〜

○東京駅八重洲南口一番バス停

    止まっているバス。
    ドアは空いている。
    すでにバスに乗っている
    ギノくんとコウちゃん。(二人とも立ち)
    
    乗る事無くバスを見つめている
    若い女性かんしかん。

かんしかん「……」

コウちゃん「乗らないのか?」

かんしかん「私は、これには乗りません」

    眼鏡を指先で軽くあげるギノくん。

ギノくん「…賢明な判断だな」


ギノくんとコウちゃん 03 
〜眼鏡と伊達ネクタイ〜

○池袋繁華街

   池袋の街。
   青い看板が目立つアニメショップ店内。
   棚から一枚のDVDを取り出している
   コウちゃん。

コウちゃん「…クラナド…
      旧世代コンピューティング・
      システムのことか?」

    背後の棚から白髪の青年が現れる。
    片手には書籍(純情ロマンチカ第二巻)

マッキー「…それは、
     映画版はやや赴きが異なるそうだね。
     だから原作をやるといい」

コウちゃん「原作?」

マッキー「それが『鍵』になる」

    やたら大仰な男が割り込む。

男「お前らは何もわかっていないっ!
  アニメを愛するならどちらも見ろ!
  原作をやり、TVシリーズを見て、
  劇場に足を運ぶんだぁぁぁっ!」

コウちゃん「…誰だ、貴様」

     す、と男は帽子のつばをあげる。
     にやりと笑う。

男「俺はここの店長! 
  アニメ店長だぁぁぁっ!」






最終更新日  2013.04.12 14:34:56
2013.04.05
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第343席

どうやらロボットものが多いらしい。

詳しくは知らないけれど、
国井以上に浴びるように
アニメを見ている人たちの口からは
そのような声があるらしい。(推測)

国井にとってのロボットというのは
「兵士が使う道具(兵器)」であって、
その他のものは対象にならない。

95年の『新世紀エヴァンゲリオン』の
メガ・ヒット以降、いわゆるロボットは
「兵士が使う道具」という位置づけよりも、
主人公ハーレムを構築する為の
設定になった傾向にある。

そう、ハーレムなのだ。

こう書くと
「男一人に美少女よりどりみどり」
「ごく普通の女の子に超絶イケメンたちが
 こぞってボディーガード」
というようなものを
想像するかもしれないけれど、
ここで言うのはもっと広義。

「主人公が物語の中心になる」

という意味だ。
なんだ、当たり前のことではないかと
憤慨するひともいるだろうが、
よく考えてもらいたい。
現代のニーズの『主人公像』というのは
あくまで「自分自身」の投影だ。
だから
これを平たく言えば
「なんの取り柄も無い人物が
 『主人公』となれる」という事になる。

『共感』を得る、ということが
主人公像には必須条件だとは思うが、
現代では「生き様」だとか
「考え方」というような
抽象的な部分を自分で見いだすということが
多くのユーザは苦手なのだろう、
もっとシンプルに「自分と同じだ」と思える
形を望む傾向が強い。

すると、ロボットものであれば
「戦争に巻き込まれる」という形が
ごくごく共感できる範囲だと思うが、
これではつまり、
「主人公になれない」という
物語上(商品)の不具合が生じる。
そこで、ごく普通の「一般人」に
特殊な道具(ロボット)を
与えるという事になるのだけれど、
そもそも、
なんのトレーニングも受けていない
人間が強力な兵器を乗りこなすことなどできない。

無免許の人間がいきなりF1マシンに乗って、
セナやマンセルと同等に
戦えるはずはないのだ(例えが古いなぁ)。

もっと道具の例えを簡単にしてみよう。

スマートフォンだって、
自分の機種でなければ
「電源スイッチすら、
 どこにあるのかわからない」
人が大半ではないだろうか。

どこかの部分を何秒間押しつづければ
起動するのだろうという推測は
慣れからできるかもしれないが、
その「どこかの部分」がもし、
ミサイルのスイッチだったり、
非常用脱出射出装置である可能性が
ある操作板であればどうだろうか?

触る事すら躊躇するのではないだろうか。
そういうことだ。

そうなると兵器に乗り込めるのは
やはり「訓練を重ねている経験者」のみ
という事になる。しかし、
これではユーザの共感は得られにくい。
だから今度は兵器(道具)側が
自らの意思において
「操縦できるのは、あなただけです」という
設定が用いられるようになりやすい。
これならば「ごく普通の少年少女」が
巨大兵器に乗り込める整合性が
生まれるからだ。

そして、

「兵器が選んだんだから、私に罪は無い」

という、責任回避も成り立つ。
これをギャルゲー的に言えば、

「私は好かれているだけなんですよ、てへへ」

というふうに換言できるのだ。

まさにギャルゲーハーレムと
変わりない。(国井の中では)
そして、この『ロボット』を
『魔法』と置き換えてもまったく
同じ方程式が成立する。

主人公(となる)人物が、
なんの努力もせずに、
『まず圧倒的な力を手にする』事で、
物語の中心に座る事になるのだから。

このあたりは
見ていて実に興味深い部分かも。
また別の機会に考察を深めたい
テーマではある。(でもない?)

   runway.jpg

もちろん今回のお話は
「好み」のレベルの話。
すべての作品がそうだというわけではないし、
作品の視点が兵器による
戦闘描写にはないものだってあるわけだから、
イコールで
「面白いものが存在しない」という意味ではない。
注意されたい。

おっと、では自意識を持つ、という
設定を与えられた巨大ロボットが
登場し搭乗する(駄洒落?!)作品は
なにかと聞かれれば、こう答えましょう。

「そりゃぁやっぱり、
 『バディ・ムービー』なんじゃない?」






最終更新日  2013.04.05 21:25:18
2013.03.29
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第342席

先週行われたサンキュータツオ氏のイベントで
『機動戦士ガンダム』の話をしていて、
自分で自分のスイッチが入ってしまった。
「なにか忘れてないか?」と
記憶の隙間を思い返し、
物置をくまなく調べるとやはりあった。

   corebooster.jpg

実家を出る時に
「一人ぐらしならば
 おかーさんに怒られることはないだろう」
と一緒に引っ越ししてきた
未組み立ての『コアブースター』のキット。
何十年もほったらかしだったが、
箱をみつけてしまうと気分はもう、
侵略カエル宇宙人。

物置の片隅で
「ケロケロケロケロケロ〜〜〜〜」と
共鳴(いや、国井一人しかいないけれど)
であります!
いまみると、基本色の「白」も
この頃のガンプラって
絵としての「白」とはかなり
違っていたのだなぁ、と感心しきり。
「MG」なんかはもうそのままでも
十分「白」だものね。
こういう部分に
メーカの企業努力のすばらしさを感じる。

それと一緒に発掘(?)できた
原作漫画の連載再開が告知されている
永野護氏の『ファイブスター物語』の
「MH」の「インジェクションキット」も
でてきた。
同時期に同じメーカからリリースされた
インジェクションキットシリーズの
「パトラクシェ」「NOG」もあったのだけれど、
こちらはかなり前に行われたコミケかなんかの
フリーマーケットイベントで『アニメ会』として
出店する為の品物として出してしまったが、
さすがに「白いヤツ」は必ず作りたい、と
温存しておいたのだった!

しかし、プラスティック・インジェクションは
けっこうヒケが多いから、
表面処理とかかなり丁寧に
やらないといけないのだ。(なんのこっちゃ?)

国井の中での永野氏デザインのロボットは
ガンプラと違って
「MHは圧倒的な存在感を持って、
そこに美しくたたずむ」が絶対条件だからだ!

ちなみに「インジェクション」「ヒケ」などの
言葉の意味がわからないひとは
しらべてみるのであります!

…で、でも…
い、いつ、つくるんスか?! 
時間、ないスけど。
いいすか?! ガンプラ作っていいっスか?!
たちけてー! クルル曹長ーっ!







最終更新日  2013.03.29 18:40:25

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