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テーマ:『義経』(333)
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やっぱり義経は戦に出てナンボだろうと思う。
ヨロイの派手なことったらまあ・・・真っ赤っ赤ですよ。 やはり見てくれがよろしくなかったのでは(反っ歯の小男) 「世界不思議発見」では、義経を「史上初の戦術家である」と言ってましたが、そのとおりだと思っている。 どころか、日本史上の戦術家が束になってかかってもかなわないほどの天才だと考えている。 何しろ、常識を覆す度胸がある。 土壇場の思い切りがとても良い。 状況判断も的確で、指示は簡潔で要領を得ている(多分) カリスマ性も天上知らず。 運もいい(全部ビギナーズラックだろうお前という感じ) 戦場においては、そういったものがシバシバ形勢を決めたりする。 義経といえば、一の谷の鵯越の逆落しで見られる奇襲。 それと、五条大橋での対弁慶戦(?)や、壇ノ浦での八艘飛びに代表される身の軽さ。 壇ノ浦では更に、500艘で水軍得意の平家軍に対し、陸戦主体・海とはあまり無関係にやってきた義経群300艘で渡り合って、堂々の勝ち。いやさ「勝ち過ぎ」 軍を率いてもよし。 個人戦も優秀そのもの。 これ以上の将に、そうそうお目にかかれるものじゃないでしょう。 ただし、非常に独断専行も甚だしく、自分の周りしか目に見えていない。 義仲追討~平家討伐では、頼朝は軍をふたつに分け、一軍を弟六郎範頼に、もう一軍を九郎義経に任せた。 それまで彼らを使ってこなかったのは、ドラマ的には「義経への不遇な扱い」として表現されているが、頼朝としても血縁者をやはり切り札として考えていたわけで、初めて弟たちを特別扱いしたと言ってもいい。 いきおい、部下の郎党どもの志気は上がる。 形成的にはまだまだ不利な源氏、健全着実安定路線の戦略家で政治家でもある頼朝は、その辺も狙ってたんじゃないかと思う。頼朝としては、一か八かの賭けよりも、確実な勝利を願っていた。 頼朝も、機が熟すまでじっくりと待つことのできる一種の天才なんである。 が、その頼朝の予想を覆すほどに活躍してしまったのが、一方の将・末っ子義経だった。 最も面食らったのは、六郎範頼ではなかったか。 彼らは連携して戦をする必要があったのだが、天才義経は人のことなど構ってない。相手の判断を待ちきれない。 決断が早過ぎて並みの人間にはついてはいけないし、ついてコイとも思ってない。 実に華やかに派手やかに、鮮やか過ぎる功績を挙げてぶっ飛ばしていってしまう。 ・・・勝ったから良いようなものの、一歩間違えばボロ負けなことばっかりやっている。 普通に考えても、崖を馬では下れまい。梶原景時の制止には無理はない。 組織の中で、コレをやられるとたまったもんじゃない。 私の好きな永井路子さんは、梶原景時は「お目付け役」だったのだろうと書いている。 頼朝は周到なので、弟たちが暴走しないよう、No.2の位置に手綱をつけていたそうだ。 その手綱にそれなりに従ったのが範頼。彼の方についたのが誰だかは忘れてしまったが(汗)、範頼は兄分としても、また「一の軍」で人数の多い方を率いた分のプレッシャーもあり、その辺の分をわきまえていたのではないかと思う。 つまり、本来範頼のほうが主役で、義経はワキのはずだった。カバの兄者のサポートが彼の役目だった。年齢順からいっても、それは道理だと思う。 が、義経の方は、そのあたりの斟酌ができなかった・・・もしくは「現場は現場のやり方がある!」と糸が切れてしまうタチだったのか。ハンドルを握ると性格が変わるというヤツ。さしもの景時も引きずられてしまったというイメージ。 景時は間違っても凡将・バカ将ではなく、名も実もある堅実優秀な将である・・・とすると、義経の天才ぶりが光るというものではないのだろうか。 連戦連勝に勝ち誇り、お肌もツヤツヤぴちぴちな義経の横で、青い顔して胃に穴を開けていそうな梶原景時が目に浮かぶんです(笑) ・・・と、永井さんは平時の義経をけなす代わりに、戦時の義経はかなり持ち上げている。 彼女は色々な人のことを書いているけど、こう手放しで褒める人はごくわずかだ。 思うに、ご自分で書いているほど義経を嫌ってはいず、逆にきっと好きの裏返しなんだろうなと考えているのだけど、どうでしょうね(笑) 周囲は天才に、引っ掻き回されるものである。 頼朝のフットワークがもう少し軽ければ、修正もできたんじゃないかなあという気がしないでもないが、嫡男のプレッシャーや、あたら若さをすり減らしてしまった流人生活で常人を超える辛抱強さは身につけたものの、山でほぼまったく自由に走り回ってたであろう暴れん坊な弟君の土壇場の度胸や機転といった瞬発力とは縁が薄かったと思われる。 彼の予想よりも数段早く、源平の決着がついちゃったんじゃないだろうか。 (平家ももう少し粘れよと思う(笑)) 「過ぎたるは、猶及ばざるが如し」というコトワザを思い浮かべてしまいます。 この2人の類稀なる天才兄弟。 うまく手を取り合えてたら、どれほど日本の歴史が変わったことかと思う。 天皇家、無くなってたかもしれないね。 (頼朝は終生、都に帰りたがってたようだし) しかし、兄は平時を基準に物を考える性格であり、弟は祭(戦)を基準に物を考えるタチであったのが、きっと不運だったんだ。 ・・・なんて^^; そして、その用意周到で辛抱強く、権力も絶大になった兄貴の討手を振りきり振り切りしながら日本国中逃げ回り、従う武将も郎党も減っていく中で、ついに地の果て奥州まで駆け込めた義経君は、やっぱり凄いと思ったり思わなかったり・・・どうかな。 この兄弟、やっぱり面白い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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